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推しが存在する世界に転生したモブAの話  作者: 西瓜太郎
七章〈推しに認知された結果〉
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22(西尾新平)

 一旦トイレで髪を整え直す。このダサい頭はどうにかしなきゃならんからな。そうして午後一の集合時間ギリギリに顔を見せた俺に対して、まだ控室にいた部長が一言告げる。


「走って来たんですか? 心配せずとも時間内ですよ」


 別に走っちゃいないが、何を言っているのかと首を傾げたところで……まだ俺の顔が赤いままなのだということに気付く。まずい、バレバレじゃねぇか。にしても上手い具合に俺がここまで走ってきたのだと勘違いさせることはできたらしい。


「で、部長は……なにを調べてんだ?」


 思わず聞いてしまったのは、部長の様子があまりにもちょっと異様だったからだ。おそらく自分周辺の荷物は全部片づけ終わってて、きちんと整理整頓された大荷物に囲まれた中で座り込んだ状態で、彼女は配布された今日のプログラムを凝視しながら自分のスマホを弄っていた。普段は張り詰めたように真っ直ぐ伸びている背中も丸めた状態で。


「今日の審査員たちの経歴を調べていました」


 俺は何も言っていないが、目線で言わんとしていたことが分かったのだろうか。流れるような動きで姿勢を正した部長は、座っていた体勢を変えると眼鏡を指で押し上げた。レンズがキラリと反射していつもの如く目元が見えなくなる。


「審査員か……」


 そう言えば配られたプログラム表にそいつらの名前と肩書きが書かれていたはずだ。俺は貰ってすぐに鞄に押しこんでぐしゃぐしゃにした覚えがあったので……座り込んでいる部長の側にしゃがんで、部長が開いていたページを覗いてみる。


 中学生の部、高校生の部をまとめて一気に審査する今日の審査員は、例えば有名な楽団の演奏者とか指揮者とか、あとは名のある作曲家とかの数人が審査員として選ばれる。俺はあまり気にしていなかったが、改めてその面々の名を見てみると……まあ、俺でも知っているような有名なオーケストラ楽団の一員であったりなどと、錚々たる面子ということは分かった。ただ、俺の知識は小学生止まりだ。その頃から有名だった楽団の名は知っているが、中には聞いたこともないような楽団もあったりした。ただ、ここにいるってことは相当な実力者であることは間違いない。


「お……こいつは知ってるぞ」


 思わず指を伸ばす。それは、ある楽団の名前だった。その上に大きく描かれているのは、その楽団でトロンボーンを担当している中年の男の名前。そいつのことは知らなかったが、この楽団は知っていた。


「……意外ですね。確かに有名な楽団ですが、あなたもこの分野に詳しいのですね」


「いや、知ってるのはこれだけだよ」


 この楽団にはかつて、親父が所属していた。

 隣の部長が心底驚いたような目で俺を見ているが、ただきっと、親父が今も生きていたとすれば俺は今でもここにある名前全部を把握していたかもしれない。


 部長は両手で握っていたスマホを握り直したようだ。指が止まっているが、俺とその手元の名前を交互に見つめている。何かと思っていたら、部長は静かに口を開いた。


「私は、この楽団には特別な思いがあります。昔、小学生の時……ある期間に、小学楽団に指導をと付きっきりで私たちに演奏方法を教えてくれた楽団が、ここでした」


 部長の目が何かを懐かしむようにして細められる。俺は何も言わずにそれを聞いていた。……実は、少し心当たりがあった。親父が昔よく話していたからだ。俺と同じくらいの小学生たちに楽器を教えているんだと。


「私は小学三年生の時にその楽団に入って、トランペットを学び始めました。初めこそ、親の勧めで言われるがままに始めたことでしたが――」


 部長の指が動いた。スマホの画面を操作して、何かを表示したようだ。そうしてゆっくりと手首を傾けて、その画面に映っていたのは――


「プロからの指導、その言葉に感銘を受けて、私は本気でこの道を究めようと決めたんです。私の地元はもっと遠い地方ですが、姫ノ上学園が全国有数の吹奏楽強豪校と聞いて進学を決めました。想定から外れ、二年間は無駄にしたようなものですが」


「――おい。なんで、その男を?」


「この方が、当時その楽団に属していたトランペット奏者。私はこの方から指導を受けました。今でも尊敬しています」


 部長が見せたスマホの画面には、一人の男の写真が写っていた。音楽家ってのは宣材写真にやたらと気取った写真を使うもんだが、その男はトランペットと片手にへったくそに引き攣ったような笑みを浮かべ、ぎこちないポーズで映っている何とも滑稽な姿だった。

 俺はそいつのことを知っている。この写真も、嫌というほど目にしてきた。


高良(たから)古一(ふるいち)、という方です。今でもこうして調べればすぐに写真が出てくるくらいには中々著名な方でした」


 ああ、そうだろうな。演奏の実力は当然、基本的に頼まれたことには断れない性格だったその男は、地上波の子供向け教育番組にレギュラー出演したりと、何かと人の目につくような仕事も請け負うことが多かった。そのせいで、そいつには音楽家としてではない変なファンがついていたりしたもんだ。


 ――そして、その男が何を隠そう俺の親父だってこと。

 画面を見せられる前から黙っていてよかった。急に黙ったら変だと思われるはずだ。顔にこの動揺が出ないように努めているが、さっきから首筋あたりに変な汗が張り付いているのを感じる。というか、こんなタイミングで親父の話を出されると思っていなかったので完全に不意打ちだった。まさか部長が親父のことを知っていたとは……。


「私にとって始まりの人なんです、この人が。……合同練習期間が終わって彼と会えなくなってから、私は高良先生の経歴をとにかく調べましたし、出演していたテレビ番組も全てチェックしました。この楽団の演奏会にはできる限り足を運び、高良先生単独出演の演奏会にも聞きつければ向かいました」


「大ファンじゃねぇか」


 思わずツッコんでしまったが、正直ここまでの追っかけは初めて見た。いや、俺も親父に誘われた演奏会とかはよく見せてもらってたが……となると俺と部長、幼少期にどこかで会っていた可能性もあるってことが。そう考えると変な感じだ。


 部長はスマホを伏せると、今度はプログラムに連ねてある今日の審査員たちの名前を指でなぞった。


「もちろん、他にも尊敬する音楽家は多くいますが――私は未だに彼を超える人物を見つけられていません。だから、探しているんです」


「……そいつの代わりをか?」


「そうかもしれませんね」


 部長は小さく笑った。が、痛ましい微笑みだった。ちっとも嬉しそうじゃない、苦しそうな顔だった。

 俺はそれに共感した。部長が何を思っているのか、手に取るように分かるからだ。俺も多分変な顔になっていたと思う。


「その口振りですと、あなたも彼がどうなったかは知っているようですね」


「……」


「残念ですよ、本当に」


 部長はそう言うと、床に広げていたプログラム表を畳んでゆっくりと立ち上がった。それから、近くにあった小さめの手提げの中に折り畳んだプログラムを入れる。そして、未だ座り込んだままの俺を、いつもの無表情で見下ろした。


「そろそろ会場入りしておくべきでしょう。結果発表はもうすぐです」


「……そうだな」


 言われたので俺も立ち上がる。すぐに今度は俺が部長のことを見下ろす形になった。ただ、部長はまだじーっと俺の顔を眺めていた。そんなに見られるとなんか焦ってくるんだが……何となく目線は俺の目線より上、頭へ向いているような気がした。そうか、髪型か?


「戻さない方がよかったですよ、不安にならずとも、よくお似合いでした」


「はァ……? おい! 絶対に小馬鹿にしてんだろ」


 やっぱり髪のことだった。さっきトイレで直しておいてよかったぜ、無理やり固められたあの髪型はどうも落ち着かなかった。あの姿をキョウに見られる訳にはいかないので、どちらにせよあのまま帰ることはできなかった。

 淡々と言う部長に嚙みつきたくなって強めに返すと、なんと部長はクスリと小さく笑いながら続けた。


「本当ですよ。実は、先ほど高良先生の話をしたのはふと彼のことを思い出したからなんです。あなたの姿が不思議と重なったような気がして。……周りで男性のトランペット奏者があまりいなかったというのもあるでしょうが、あなたの演奏は少なくとも私から聞いて良いものです。尊敬するあの人と重なるくらいには」


 ――彼女はそれだけ言うと、スタスタと歩き出して行ってしまった。対して俺は、ぼんやりとその場に呆けて立ち尽くしたまま動けずにいた。


 部長は……気づいたのか? 俺と親父の関係に。いや、そんな気配はなかったはずだ。だったら純粋に、本気で、部長はそう思ったということか。俺があの偉大な音楽家の子供ということを知らない誰かが、俺を見て、俺の演奏を聴いて――親父に似ていると思ってくれた。


 それが、何となく自分の存在意義を認められたような気がして、俺はどうにも言葉にするには難しい感情で胸がいっぱいになっていた。熱い何かが腹の底から湧き上がってくるような間隔。それを抑えようとして拳を強く握った。


 喉から溢れそうになった何かを必死に堪えていたら、今度は目の奥が熱くなった。情けねぇ、部長の言葉が去り際でよかった。

 ただこの控え室にはまだ他の学校の誰かが多くたむろしている。部長にも言われたことだし、俺は熱を持った顔を冷ますためにも一度ホ建屋の外に出てから、すぐにホールへと向かうようにした。

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