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新平くんの昼休みは一時間半程度あるということで、私たちはホールの近場にあるファミレスでゆったりと過ごしていた。
新平くんは竜さんの奢りということで遠慮なく色んな注文をして、こちらが驚くほどの食べっぷりを見せてくれた。流石は食べ盛りの男子高校生、その影響か私も普段より多めに食べてしまって少しお腹が苦しい。
満腹になった私が少し眠気に襲われそうになっていたところで、ウーロン茶を飲んでいた新平くんがおもむろに口を開いた。
「あのよ、茂部」
「ん?」
新平くんはいつもよりしっかりとワックスで固めた毛先を弄くりながら続ける。
「お前の意見はどうだ? 今日の俺らの演奏」
「私は素人だから意見も参考にならないと思うけど……うん、すごくよかったと思うよ。トランペットが目立ついい曲だったね」
「そうか」
私の答えに満足したのか、新平くんはふっと表情を綻ばせた。その微笑みがいつになく優しげで、私の心臓が一瞬激しく脈打った。
新平くんはよく笑う人だけど、こんな風に儚げな雰囲気を醸し出すことなんてそうそうない。その柔らかな微笑みは普段見せないもので、不覚を取られて顔が熱くなる。頬の熱を悟られないように、私は顔の向きをそれとなく変えることで誤魔化した。
「ところで……恭くんは呼んでないの?」
ついでに質問を投げかけてみる。
「……呼ぶ訳ないだろ、小恥ずかしい。……あいつは気づいてると思うけど。気遣って俺から言うのを待ってんじゃねぇかな。ただあいつに見せんのは、もう少し俺に自信がついてからだ」
「恭くんに言ってなかったの!?」
私が目を丸くし大声を出してしまうと、新平くんはどこか気まずそうに視線を泳がせた。どうやら本当に恥ずかしがって言っていないらしい。これは、恭くんはさぞもどかしく感じていることだろう。新平くんが自分で言っているように、恭くんは気づいてはいるだろうから。
「それに、あいつはあいつで勉強に忙しそうだからな。今日呼んだって来れたか分からねぇ」
「受験勉強?」
「ああ。医大を受けるんだとよ」
「すごいなあ……」
ゲームでも恭くんは医者を目指して勉強に励む真面目な印象が強いけど、やっぱりそうみたいで、本気で医者を目指しているらしい。ゲームだとあまり深く考えたことなったけど、冷静に考えて医者を目指すってすごいことだ。当然、相当勉強しなきゃなれるもんじゃないし。
そして、そう言う新平くんは少し表情が曇っている。
「……何か思うところが?」
「いや……進路のことを考えると頭が痛くなる。俺は……」
新平くんはそこで重々しいため息をついた。
「……中言の口車に乗せられたってのがでかいんだ、今日こんなとこにいるのは。もちろんラッパは嫌いじゃない。ただ、内申点を稼ぐためってダサい理由もある」
「なんでダサいのさ! 立派な理由のはずだよ」
「中学の頃は喧嘩だので問題を起こしまくってた俺が姫ノ上なんて学校に入れたのはたまたまで、俺はキョウみたいに頭がいい訳でも美南みたいにスポーツが得意ってもんでもない。取り柄ってのが、こんなもんしかねぇんだよ。それすらも最近までは錆びついてたようなもんだけどな」
新平くんは指先でこめかみあたりを掻きながらそう言った。そんな彼のことを改めてじっと観察してみる。……写真撮影を終えてすぐに胸元のボタンはいつものように開け放った今、確かに見てくれは素行があまりよくなさそうな男子高校生だ。
新平くんはゲームだと進路はどうなったんだっけ……? ルートによって分岐もするから、全てをはっきりとは覚えていない。ただ、あまり進学するイメージはなかった。
「進路希望はもう出してるんでしょ?」
「進路希望なぁ……」
新平くんは重々しいため息をついた。
「俺は一々深く考えられないから、自分のやったことに後悔することが多い。ああすればよかった、なんで思うことばかりだよ」
ふと、肘をついて遠くの壁まで視線を向けた新平くんが神妙な面持ちでそんなことを言った。それに何か返そうと思って口を開いたけど、すぐに言葉が出て来なかった。その言葉はズシリと私の心にも重くのしかかったのだ。
やり直したい、と思うことは何度もある。朝、洗濯機を回さないまま家を出てしまったり、洗濯物を取り込まないでいたら雨が降ってきたり、洗剤と柔軟剤の量を間違えたり……って洗濯物の後悔ばかりだな私。とにかく、それだけではないけれど「あの瞬間からやり直したい!」と思うことは少なくない。特に、ゲームをたくさん遊んでいる人ならよく分かるんじゃないだろうか。
私が知っている、この世界を舞台としたゲームでも『やり直し』は可能だった。リアルタイムで分かる好感度の状態、選択肢を選んだ時に見せる相手の反応で、「間違えた」と確信した時にはすぐにリセットして正しいルートを進むのだ。……最高難易度である逆ハーレムルートにおいては、乱数狙いによるリセットを繰り返さないと攻略はほぼ不可能と言ってもいいほどのものだったはずだ。
私は新平くんのルートしか興味がなかったけど、スチルを回収するのにたくさんリセットはした、それに、何も知らない状態で進めた最初のプレイでも「流石にミスったなこれ」という状況の時はリセットをした覚えがある。ただ、そこにあまり罪悪感はなかった。
……今、こうして生きている私には当然だけどこの世界を巻き戻す力なんてないし、そもそも『攻略』をしている感覚もない。敢えて言うなた記憶を取り戻した高校一年生の四月、新平くんと出会いたいがためにゲームの知識を持って同じバイト先を選んだことくらいだろうか。だけど、一度離れようともした。色々あって、新平くん――だけじゃない、恭くんや美南くん、中言先生に北之原先輩までもと知り合うことができたのだ。トラという素敵な出会いもあった。
この出会いは自分が引き寄せたものなどと思ったことはない。ほとんどが偶然のようなもので、そして私は幸運だと思っている。――少なくとも私は記憶を持ったモブキャラとして、大好きだったゲームの世界で目覚めて、こうなった今を今さら「やり直したい」とは思わない。
「……何事も、都合よく解釈してポジティブに生きたほうが、きっと人生ラクだよねえ」
「なんだ急に、達観したようなこと言いやがって……いや達観か?」
「言ってなかったけどさ、私ってオタク気質なんだよ。オタクの特技って知ってる? バッドエンドすら都合よく解釈して栄養に変えるんだよ」
「なにぃ?」
怪しげな笑みを浮かべながらそう説明したけど、新平くんは頭の上にこれでもかというほどの疑問符を浮かべた状態で、鳩が豆鉄砲を食ったような顔で私を見ている。こんな話はあまりに唐突すぎたかもしれない。けどその顔が滅多に見れない面白い顔だったので、言ってよかったと解釈する。そう、こういうこと。
「何度もやり直して、納得のいく答えだけを選び続けて得たエンディングにも達成感はあるかもしれないけど……何も知らない自分が、それでもその一瞬一瞬は必死になって積み上げていったその結果。大正解のハッピーエンドにはならないかもしれないけど、それも一つの結末だよねってこと。人生ってそういうもんじゃん?」
「……やっぱ、達観したようなこと言ってやがるな。人生ってお前、まだ二十年も生きてない高校生だろうが」
新平くんは呆れたような、でも笑ってそう言った。私もそれにへらりと笑いながら、でも前世の記憶があるから精神年齢は成人済みなんだよなあ……なんてことを考える。
ただ、前世の自分が何歳まで生きたのかは未だに思い出せない。そもそもはっきり覚えてるのもゲームに関する記憶ばかりだし、身体で覚えていたことと言えば昔習っていた記憶があるピアノとか……そう言えば前世の記憶のおかげで勉強が捗るみたいなこともなかったな。毎回必死に予習で食らい付いていた。
「その考え方も悪くないが、あの時こうしてたらって未来を考えちまうんだよな。俺の場合、特にお前のことだ」
「ええっ?」
と、急にビシッと指を指されて背筋が伸びる。
「俺は、お前と同じ学校に通ってみたかったよ」
そうして何だか切なげに、少しだけ頬を緩めて目を細めた彼がいつになく穏やかな声でそんなことを言った。私は一瞬息が詰まるような間隔になる。
――これがゲームの画面だったならスクリーンショットを連射しているところだ。あまりに破壊力のあるその台詞と表情は私の頭をショートさせるのに十分な威力を持っていたが、あまりの衝撃からか逆に私の心は冷静だった。きっと私の頬はピクリとも動かないまま、口元だけ機械的に弧の形になり「それは面白いルートだね」と言葉を紡ぐ。
新平くんは頬杖をついたまま、私の顔を凝視するように見たまま続ける。
「で、お前の進路は決まってんのか?」
「……栄養士の資格は取りたいかなって。ちょっと遠いけど、県内に専門学校がある。まずはそこを第一志望にして勉強してる。何とか推薦枠は取れそうだから、十月には試験があるよ」
「うわ、しっかりしてんなオイ」
私の回答に新平くんは一度目を丸くさせると、小さくため息をついて目を伏せた――けどそれは一瞬で、すぐにいつものような不敵な笑みを浮かべて言う。
「俺も同じとこに行けば晴れて夢が叶う訳だ。なァ、そこの偏差値どんくらいだ?」
「今から!? 夢ってまさか私と同じ学校に通うことですか!?」
「流石に冗談だ。取り敢えず俺は第一志望は地元の公立にしてる。それがダメだったら就職だ」
私がぎょっとしたのも束の間、新平くんはすぐに真面目な声色に戻ってそう言った。それを聞くと……どうも無難な選択肢だ。それにしても第一志望がダメなら即就職というのも早計な気がするけど。
そんな私の心の中でぼやいた懸念が聞こえたのか、彼は続けて「目標とか今の俺にはねぇんだよ」と困ったように呟く。
「進学ってのが、やりたいことを決めて行く場所ってのは知ってる。でもいくら考えても俺には何もねぇ。だから大学は”父さん”に決めてもらったんだ。それがダメなら働けってのも一緒に言われた。……思えば高校受験の時も同じだったんだよなァ。姫ノ上を受けてみろって言われて、落ちたら多分駒延に行くことになってた。これも父さんが決めたことだ」
「そうだったんだ……うーん、なんか意外かな」
私がそう言うと新平くんは首を傾げた。私は、ドリンクバーから持ってきていた烏龍茶を一口含んでから切り出す。
「なんかこう、新平くんがお父さんの言うことに素直に従う感じが。言われたことの反対の道に進みそう。あ、これはそう見えるってだけで本当にそう思ってる訳じゃないから!」
「本当かよ? でもまァ、その通りかもな。本当の”親父”だったら反発してたかもしれねぇ」
彼は何でもない風にそう言ったけど、私は言葉を失った。まずい、偏見で物を口走ったばかりに相手の大地雷を踏み抜いてしまったのだと悟り変な汗が全身から吹き出る。
私が何とも言えない気まずそうな顔をしていると、それに気付いたらしい新平くんは慌てたようにして続けた。
「悪い、変な空気にしたな。別に重い話にしようとした訳じゃねぇんだ。何つうか……今の父さんはマジですげぇ人なんだよ。頭いいし、言うこと全部が『その通りだ』って妙に思わせる。俺は尊敬してる、だから俺が頼って、俺はどうしたらいいのか時々聞くんだ。そしたら道を示してくれる。変に言いなりになってるとかそう言うんじゃねぇから、誤解すんなよな」
「そういうこと……なんだ、新平くんが自分でお父さんに助言をお願いしてたんだね。だったら尚更、言いなりなんかじゃなくてちゃんと自分で考えてるってことだね」
「自分で? そりゃ違うだろ、だって俺は結局自分で決められないから決めてもらうことしかできねぇんだ」
「だって高校生じゃん、まだ。誰か頼れる大人を自分で見極めて、手を借りようとすることはむしろ賢いと思うよ? ……それに何だかんだ新平くんは楽器の道に進んだし、二人のお父さんどっちも大事にしてて立派だよ」
私がそう言うと、新平くんは何だか難しそうな顔をした。私の言っていることの意味を必死に理解しようと頭を捻らせているように見える。そんなに難しいことだろうか?
「……と、そろそろ時間まずくない? 大丈夫?」
「おお……あ、いい時間だな」
私たちは手元の――それぞれの腕時計に目をやった。ふと、これが”お揃い”であることを思い出して思わず新平くんの方を見てしまうと、彼も同じタイミングで私に目を向けたので目が合ってしまった。慌てて手元に視線を戻す。
「今日の結果もまだ出てはいねぇが――」
荷物を持って立ち上がった新平くんが、私を見ながら言う。どこか自信に満ち溢れた笑みを携えて。
「秋にソロコンがあるんだよ。楽器一本でのコンテストってやつだ。俺はそれに出ようと思ってる」
「ソロ……」
「本選まで行けたら今日みたいにホールでやることになる。そしたら、見に来てくれ」
――その大会のことを私は詳しく知っている訳じゃないけど、それは”イベント”として知っていた。新平くんのルートを進めると、彼が今のようにそれに出場すると必ず言うから。
そして今のように、「見に来てほしい」と言ってくれる。これは彼のルートに入っていることだけが条件ではなくて、その時点で好感度が一定値まで上がっていないと言われない言葉。
こんなt時でもゲームのことを考えてしまう私は、いかに今でもゲームとこの現実を切り離せずにいるかを痛感する。ただ、新平くんにそう言われた私はそんな心中を悟られないよう、彼と同じように笑みを浮かべて「頑張ってね」と答えた。
それでも、胸の高鳴りを抑えることができない。もしかして、まさか――彼が私に対してそれほどの信頼を向けてくれているということが分かってしまって、とてつもなく嬉しかったのだ。