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推しが存在する世界に転生したモブAの話  作者: 西瓜太郎
七章〈推しに認知された結果〉
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 早いもので夏休みに突入して数日。私は今日、隣町のとある音楽ホールへ訪れていた。周りを観察すると色んな制服姿の学生が楽器を慌ただしく運んでいる光景がそこかしこに窺える。


 初夏、新平くんから連絡があった。吹奏楽部の話。夏休みに入ってすぐのタイミングで吹奏楽コンクールがあるそうで、その地区大会が隣町で開催される。近場だから来てほしい、とのこと。


 当然見に行くと答えた私だけど、それ以来新平くんと全く会えず連絡がつかなかった。ただ時々私とはすれ違いでメゾ・クレシェンドに来てはいるみたいで、竜さんを通じて状況を聞いたりしている。どうも、ネタバレ厳禁ということで私に自分の状況は伏せたいということらしい。遠回しじゃなくてガッツリと避けられている現状、仕方がないけどちょっと寂しい。


 ただ、ちょうどよかったのかもしれない。私は『例の』専門学校の学力に辿り着くよう、進路に向けて本格的に受験勉強を始めたところなので時間を作るのも難しい状況だった。先生からはあまり身構えなくても大丈夫だとは言われているけど……私の場合はお金の問題で、学力推薦を狙えるなら狙いたいと思っているので、結構本気で勉強に取り組んでいる。一年前の今頃は遊んでばかりだったなあ、とか考えていると少し切ない気分にもなる。


 当面のモチベーションはその吹奏楽コンクールのお誘いだけで、それ以外は特に何の面白味もない日常を送っていた。唯一何かあった面白いことと言えば赤城くんのことだろうか? 彼はあのボランティア活動に参加して以来、より真面目な態度で学校生活を送っているように見える。それでもたまに古典の授業とかでは寝てるのを先生に怒られたりしてるけど。あの日以来、赤城くんは佐藤先生に連れられて様々な分野でのお手伝いをさせられていると聞いている。それはあの時のようなイベントのボランティアだったり、何かの部活のスポット的なお手伝いだったり。ある日先生がこっそりと教えてくれたのは、赤城くんの内申点のために先生なりに手を尽くしているらしい。本人には言ってないってことだったけど、赤城くんは半分くらいは察しているんだと思う。だから文句を言いつつも反抗せずに従ってるように見えた。



 で、今日はそのコンクール当日。昨日の夜に新平くんから「分かってるな?」という一言だけのメッセージがあってちょっと笑った。かなり気合いが入ってるんだと思う。……本当ならその練習過程を間近で見たかったけど、それは過ぎたる願望だ。ゲームだったらたくさんのスチルがあったんだけどなあ……と考えつつ、それでもこうして本番にお誘いがあったのは本当に幸運だし光栄なことだ。


「詠ちゃーん、こっちだ」


「あ、竜さん」


 ホールのエントランスをウロウロとしていたら聞き馴染みのある声で名前を呼ばれる。非常にロックな私服に身を包んだ竜さんだ。私も今日は私服で来たけど竜さんの隣に並ぶとより私の地味さが目立つような……まあいいか。

 とまあ、今日は竜さんもお呼ばれされていたみたいで、せっかくなので待ち合わせで一緒に鑑賞することにしたのだ。というか竜さんは私よりもずっとずっと前に誘われていたらしい。それにはちょっと妬いたけど、当然か。


「こういう場はかなり久々だからなー、こっちが緊張するわ」


「そう言えば竜さんって、バンドだったりオーケストラだったりかなり音楽ジャンルは広いですね。お店で流してるのもクラシックだけじゃなくてジャズも多いですし」


「幼少期はクラシックを教え込まれて、学生の頃は軽音に目覚めて、社会人になってからは吹奏楽団に所属したりとまぁ濃密な音楽人生だったからな。好き嫌いせずにやってきたとも言えるな!」


「すっごいですねえ……」


 こういう人を生粋の音楽家と言うのかな、などと思った。




 ◆




 姫ノ上学園の順は午前中の最後で、それまで他の学校の演奏を聴いて待っていたけど、どの学校も素人目にはかなり仕上がった演奏だと思った。竜さんによるとレベル毎に部が分かれていて、ここは一番レベルが高い部門らしい。つまり、かなり高レベルの戦いということだ。

 中言先生率いる姫ノ上学園吹奏楽部はここ数年、地区大会以上の成績を残せていないらしい。……それも妙な話なんだけど。だって、ゲームでは全国大会常連の最強部という噂が轟いていたはずなのに。しかし数年前までは確かにその名声はあったそうで、これも何かしら”転生者”による影響があるのだとすれば中言先生があまりに不憫だ。


 ……ただ、そんな状況のおかげで奇しくも新平くんが加わることになった。なぜ新平くんが吹奏楽部に呼ばれたのか、その経緯を私は詳し知らないけど、どうやら中言先生から誘いがあったのだと竜さんから聞いた。ゲームでは、部内で突然の欠員に白羽の矢が立って新平くんが参加することになったと思うけど……似たような状況だったのかな?


 何校目かも数えていなかったけど、壮大な和音で曲を締めたとある高校の演奏が終わった。彼らが自分たちの譜面台を片付けながらステージから掃けていく最中、竜さんが「次だな」と囁いた。次なんだ。


 薄暗いステージに目を凝らして見ていると、確かに姫ノ上学園の制服を着た生徒たちがわらわらと現れた。中言先生の姿も見えて、それをステージ目の前の席で間近に目撃したらしい他校の女子生徒から黄色い悲鳴が沸いた。相変わらずの光景だった。


「……あ、いた」


 ステージ上段に、一人だけ体格のいい男子生徒が立っていた。たった一人の男子生徒というだけで目立つが、加えて他の生徒より頭一つ大きい姿は目を惹くだろう。きっと私だけじゃない、多くの人が彼を見たことだろう。もしかすると、中には新平くんのことをモデル誌で見ていて知っている人もいるかもしれない。


 隣に座る竜さんを見ると、少し目を細めて、口元をほんの少し緩ませていた。普段から笑顔の多い人だけどいつもとは雰囲気が違っている微笑み方のような気がした。懐かしむような目線にも見える。ゲームでは語られていなかった、新平くんの人生に大きく関わった一人だ。きっと彼にとってこの光景は私なんかより感慨深いものなのだろう。

 私たちは会場の中央付近に座っていた。ステージはよく見えるけど、壇上からこちらはどう見えているのだろうか。新平くんはあまり客席を見ないようにしているのか、目線が泳ぐこともなかったように見える。演奏者全員の着席が終わって中言先生のお辞儀のあと、一番後方の少し高い位置に座っている新平くんが金色のトランペットを構えて――中言先生の指揮棒を合図に、軽快なマーチが始まった。




 私にできることと言えば、その場で送れる盛大な拍手だけだ。昼休憩直前の、午前最後の演奏で観客も疲れを感じていたタイミングだっただろう。そうであるにも関わらず、きっとこの場の全員がそれが今日一番の演奏だったと確信したはずだ。壇上の中言先生、そして生徒たちも誇らしげな微笑みで一礼した。彼らがステージに掃けようとしても、拍手は鳴り止まなかったのだ。


「これは次にも行けただろうな」


 竜さんの言葉に何か返事をしようと思ったけど、言葉にならなかった。ただ、姫ノ上学園の演奏が午前の最後でよかったと思う。もし次の演奏を控えている学校がいれば相当なプレッシャーになったことだろう。誰しもをそう思わせるほどだった。

 しばらくは私も呆然としていたと思う。こんな、ちゃんとした演奏を聴く機会は中々ないから。駒延高校の吹奏楽部は部員が三人しかいないと聞いていて、校内で演奏を聴くことはほとんどないし。


 写真や録音は当然ダメに決まってるけど、許されるなら動画に、写真に収めたかった。――私は新平くんが、彼のルートだけで見せる演奏シーンが一番好きだから。この高揚感は演奏に対する興奮だけじゃなくて、胸が高鳴っている。……やっぱり、新平くんのことが好き――だと思って。薄暗い会場を出るまでに、この頬の熱を冷めなければいけないと思って顔を扇ぎながら歩いた。



 昼休みのアナウンスがあったことを合図に観客たちも続々と会場を後にし始めて、私たちも人の流れに合わせてエントランスまで出て来れたところで、エントランスから見えるこのホールの中庭あたりで制服姿の女子高生たちが記念撮影で盛り上がっている歓声が聞こえてきた。


「三年生にとっては運動部で言う引退試合みたいなもんだから盛り上がるんだよな。特に高校生ともなりゃあ、自分の進路の先に本気で音楽に取り組める環境がある確率ってのは高くないだろうし、正真正銘最後の思い出になることも多いだろう。……ま、坊主に関しては入部して三か月程度だろうしそんなに思い出深くはないだろうけどな」


 それを何となく眺めてしまっていた私を見てか、隣を歩く竜さんがそんな解説を挟んでくれた。そして最後にちょっと白けたようなことも付け加える。言われて思ったけど、そんな雰囲気の中に挟まれる新平くんこそ居心地はどうなんだろうか……いや、三か月とは言え本気で取り組んだのだろうから、仲間たちと元気にはしゃいでいる可能性も……


「俺は映らねぇっつってんだろうがよ! 離せコラ!」


「まぁそう言わずに~、ほらほらみんな西尾くんを待ってますよ~」


 ……まあ、予想通りと言うべきか。姫ノ上学園吹奏楽部のみなさんが開けた空間に各々楽器を持って陳列しているところで、一際大声で騒ぎ合っている二人のイケメンがいた。どちらも知ってる人で、もちろん新平くんと中言先生だ。私と竜さんは顔を見合わせて苦笑する。新平くんはこちらに気付いていない様子だ。


「早くしてくれませんか? カメラマンさんだってスケジュールがあるのですよ」


「だから勝手に撮ればいいだろうが」


「子供じゃないんですからゴネるのはやめてください。見苦しいですよ」


「あァ?」


 銀色のトランペットを片手に、眼鏡を押し上げながら呆れたように声を掛けた真面目そうな女子生徒と新平くんが仲良さげに話している。私はそれを遠目に観察することしかできない。どうやら何度かのやり合いの末に新平くんが折れて写真撮影に加わることになったらしい。不貞腐れたような顔で並びに加わった新平くんだが、シャッターを切られる直前あたりでこちらを見て目を丸くさせた。あ、気づいたみたい。


 竜さんはくつくつと笑っているのを隠しきれていなかったけど、肩を揺らしながら「見てたらあとで怒られるからあっち向いてようぜ」と言ってきたので、私たちはくるりと新平くんたちから背を向けて待つことにした。でも振り向き間際の新平くんの何とも言えない表情からして、多分ろくな表情で写真に写らないんじゃないかと思う。それも思い出だよね。


「仲、良さそうですね」


「ああ……思いの外だな」


 竜さんも意外そうに、そして楽しそうに言った。ゲームでしっかりと描写されていた訳じゃないから、部活に属した新平くんが部員たちと上手く馴染めているのか心配ではあった。でも今のやり取りを見ているとそれは杞憂だったと言えるだろう。練習を通して信頼関係も築いたように見える。それが、女子だらけの部活というのが少しだけ妬ける。


「でも俺が思うに、坊主は結局――」


 私が黙り込んで顔を伏せ気味にしていたら、明るい調子で竜さんが何かを言おうとした。でもそれは最後まで続かなかった。竜さんの顔を見上げた時、その肩に伸びる少し日焼けしたような肌色の手が見えたかと思うと、


「――お前らァ」


 その手は、私の肩にも伸びていた。右腕は竜さんへ、左腕は私の肩へ置いて割り込むように私たちの間へ顔を出したのは、どこか拗ねたような顔をした新平くんだった。


 顔を出した新平くんを見た竜さんは、ぱっと表情を綻ばせ、ふざけた調子で言う。


「おっ、邪魔しに来やがったな!」


「そうだよ。つーかおっさん目立ちすぎな、客席で一瞬で分かった。そのシルバーアクセが視界の端でチラチラとうるせぇのなんの」


「なんだ。気付いてたんならファンサしてくれよー」


「ガキのお遊戯会じゃねぇんだっつの」


 ……せっかく頬の熱を冷ましたのに、また私の心臓が暴れ出す。新平くんは左腕を私の肩に回したまま竜さんと会話を続けているけど、その間私は新平くんのシャツの柔軟剤の匂いまで感じられる距離でそれを聞かされているのだから。多分今の私は棒みたいに固まって見えていると思う。


 新平くんのことをちらりと見上げると、目線が交わることはなかったけどいつもと雰囲気が違うことに気付いた。髪型が違うのには会場でも気付いたけど……普段のやんちゃ風に毛先がツンツンしたオールバックじゃなくて、ワックスでガチガチに固められたオールバックにされている。これもまた似合ってはいるんだけど、多分誰かに無理やり固められたのかなあと思った。自分では絶対にやらなそうな髪型だったから。あといつもより好青年感が増しているのは、普段身に着けているシルバーのピアスやネックレスがなかったからだ。


「さて坊主よ、暑苦しいから離れろよ。詠ちゃんの居心地悪そうな顔を見てみろ?」


「え!? あ、いや、そういう訳じゃ」


 と、私を見て竜さんが揶揄うように言った。思わず弁明の言葉を並べると、新平くんはそのままじっと私を見た。私は目のやり場に困って竜さんを見るが、そんな竜さんは楽しそうに新平くんを見ている。


「そういう訳じゃねえってよ。ならよくね」


「えええ……」


「なんてな」


 新平くんも何故か楽しそうにそう言うと、笑いながら回していた腕を引っ込めた。くっついていた温もりが離れていく。この場で困り顔なのは私だけだ。


「あの……抜けちゃって大丈夫?」


「大丈夫だろ。このあと昼休憩、あと結果発表の夕方まで待機なんで、それまで抜けとくわ。あ、そうだおっさん、これ店に置いといてくれ。荷物になるからよ」


 新平くんはそう言うけど、姫ノ上学園の生徒たちをちらりと窺うと何人かの女子生徒が新平くんの方を気にするように見ていた。中言先生もこちらに気付いたようで、ふわりと微笑んで会釈してくれる。相変わらずのイケメンだ――と思ったら他校の生徒がみるみる群がるように集まってきてその姿は見えなくなった。これも相変わらずだ。


 そして新平くんが竜さんに差し出したのは茶色の皮の楽器ケース。これは、新平くんのトランペットだ。竜さんも目を丸くさせて「構わねぇが、いいのかい?」と戸惑うように尋ねる。


「いいもなにも、今日はこれ以上触ることないしな。おっさんはどうせこのあと帰んだろ」


「まぁそれもそうか……お前、昼は?」


「どっかで食う」


 伸びをしている新平くんに、楽器ケースを受け取った竜さんは顎に手を当てて少し考える素振りを見せたかと思うと、ジーンズのポケットからおもむろに財布を取り出した。


「俺、もう行かなきゃならないんで小遣いやるよ。二人でどっか行ってきな」


「え!?」


 なんと竜さんは自らの財布から一万円札を出すと、強引にそれを私に押し付けてきた。二人で、って新平くんと二人で? ……コンビニとかに行こうかとは思ってたけど、ちょっと多いような気がして受け取るのを躊躇う。しかし竜さんは無理やりそれを私の手に握らせた。


「あ、ありがたいですが多いですよ? こんなに――」


「ほんとは奢るつもりだったんだよ。いいかお前ら、使い切って余りがないように。足出た分は二人で折半な?」


「おっさんにしては気前がいいじゃねぇか?」


 私が躊躇っているのをよそに、新平くんは満足気に言いながら竜さんを小突いた。……私もこのまま帰ってお昼は家で、と考えていたけど、いいのだろうか。


「さてジジイは退散するかね。坊主よ、今日のはいい演奏だった。お世辞抜きでな! 結果出たら教えてくれよ?」


「あー、そりゃどうも。いい結果だったら教えてやる」


「頼んだぜ。詠ちゃんもな、お先に失礼するよ」


 そう言って颯爽と退散してしまった竜さんの背に「ありがとうございます!」と声を掛けると、楽器ケースを片手に歩く竜さんは後ろ姿のままひらひらと手を振りながら群衆の中に消えていった。


 その背中を見送っていた新平くんが首をポキポキと鳴らしながら、ニッと笑って言う。


「臨時収入だな。ちょっといいモン食いに行こうぜ」


「そうかな……多分、新平くんの演奏に対するチップだと思うよ。私はいいから新平くんが受け取ったら?」


「何言ってんだ。逆だ逆、お前がいるから財布の紐が緩んでんだ。俺だけならよくて水一本くらいだぞ」


 私は完全におこぼれを貰っているだけだと思うけど……すっかり乗り気になっている新平くんの誘いを断るのもどうかと思ったので、私たち二人は会場を抜け出すことにした。と言っても徒歩での移動だから、会場からそう離れていないファミレスに寄っただけだけど。

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