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「……寝るなよ?」
「――はっ!? はい! ……え? 寝てました?」
「ギリセーフってとこだな。気をつけろよ?」
ペシンと額に衝撃が走る。……ん? 今の人……新平くん? 私今もしかして、新平くんからデコピンされた?
今日も今日とてアルバイト。ただし、私は今日も少しばかり仕事に身が入らずにいた。
その理由は明白。――圧倒的睡眠不足。それはピアノの練習によるものだ。
あれから私は真面目にピアノの練習を重ねていた。バイトのない日は音楽室のピアノを借りて、それ以外の日は自宅で自主練習。先生は毎日立ち会ってくれている訳じゃないけど、誘った張本人であるだけに一生懸命私に指導をしてくれていた。
休日の空いた日は先生の案内で、例の先生の知り合いだと言うバンドメンバーを紹介してもらって合同練習漬けの日々。メンバーは私を入れて五人……ボーカル、ギター、ベース、ドラム、そして私と言う名のキーボードを合わせた五人だ。
メンバーは大体が先生の大学の時の後輩とかで、あとは普通に主婦のおばさん一人とサラリーマン一人。この二人は他メンバーがネットで募った二人らしい。ちなみにおばさんが豪快なドラマーでサラリーマンが凄腕ギタリストである。
圧倒的歳下かつバンド初心者な私だけど、先生含めたメンバーみんなは優しく私を迎え入れてくれた。教え方もみんな上手で、それから乗せるのが上手い。……だから私も何だかんだ調子に乗って引けないところまで来てしまった。思い返せばあれは先生が裏で手を引いていたような気がする、私が嫌になって投げ出さないように。
練習自体はそんなにスパルタでもないし、ハードでもない。だけど私自身にやる気の火が点いてしまったものだから、私は自分で自分を追い込んでいるだけだった。
……いかんいかん。私は高校生、それからここのアルバイト。学業と仕事を疎かにしてはいけない。集中しなきゃ。
「茂部。これやる」
「はい? ……っ、な――え?」
呼ばれて振り返る。……と、目の前に。私の顔の目の前に新平くんが立っていて、返事の途中で口の中に何かを放り込まれた。――何、このシチュエーションは。何が起きた!?
――頭が真っ白になったところで、舌の上に広がった甘味と苦味によって理性を取り戻す。これは……コーヒー味のキャンディ?
「お客と店長にバレないようにしてろよ? ……でもまぁ、立ったまま寝てるよりはマシか。くくっ」
「うっ……すみません……でもありがとう、西尾くん」
自分の顔が赤くなったことを自覚してもっと恥ずかしくなる。……新平くん、私みたいなモブにもこんなに気遣える。いやそれよりちゃんと周りを見てるってことなのか。相変わらず優しいな新平くん。
新平くんのおかげですっかり目が覚めた私は集中するためにぱしんと自分の両頬を軽く叩く。バイト終わりまであと……一時間くらいかな。それまでしっかり集中して、ピアノのこと考えるのはまたそれから。
自分に喝を入れて顔を上げた時だった。
「分かんないなぁ、俺。お姉さんが家まで来て説明してくれる? ね、いいでしょ?」
「こ……困りますっ」
ちょっと離れた先から声が聞こえた。……私は隣にいた新平くんと顔を見合わせるとお互い小さく頷いて、声が聞こえた方面へと静かに向かう。
商品棚の陰に隠れるようにしながら覗いて見る。――と、やっぱり。可愛い灰原さんに絡むチャラついた男が一人。
「なんでぇ? 君お店の人でしょ? これ運んだりとかしてくれるサービスあるって書いてあったじゃん!」
「で……でも……私、できません!」
「おっかしいよねぇ〜それ。何かの違反になっちゃうんじゃないの〜? これは補償して貰わないとさ〜」
この会話だけでしょうもない内容であることがすぐに分かる。やっぱり灰原さん、可愛いとこんなことばかりに巻き込まれて大変そうだな。
灰原さんも灰原さんで、明らかに面倒な客相手にまともに接しようとしているせいで話がどんどん大きくなっていってしまう。……これは店長を呼んできたほうがいいやつかな?
……と思っていたけど、忘れていた。私の隣にいた人は攻略対象キャラで、絡まれているのがヒロインであると言うことを。
「――すいません。何か問題ありました? ここからは自分が対応しますんで」
「――シンくんっ!」
すかさず間に入った大男――それも人相は厳つめなイケメン高校生。これに対抗しようとするモブなどいるものか。
初めは「な、何だよあんた!?」とか言ってたモブ男もいくつかの問答を繰り返した後にヤケになった様子で逃げるように店を出て行った。……流石新平くん。
「シンくん、ありがとう……! 私怖くって……」
「……灰原。一応店のサービスとしてそういうオプションがあるってのは知ってるよな。で、店側の暗黙のルールでそういうのは基本男がやるってのも知ってんだろ? だから次からはあんなのに絡まれたら別の店員に投げろ。できません、とか言っちまうのは駄目だ。分かったか?」
「だっ、だって……私何も言えなかったんだもん。逃げる隙だってなかったし……だからシンくんが助けてくれて嬉しかったよ?」
「……俺が近くに居りゃ助けるようにするけどよ。はぁ」
……これってイベントの一つだったりする? うん、今の新平くんはスチルになってても可笑しくなかった。私だって今の灰原さんの立場で助けて貰えたらすごく嬉しいだろうから。
でも確かに新平くんが呆れ気味な通り、灰原さんはちょっと無防備すぎるかもしれない。以前のお出掛けでもナンパ相手に真面目に受け答えしちゃってたし、お客さんに話し掛けられても一人一人話し込んじゃったりする節があったりする。
「あの……大丈夫でした?」
お呼びじゃないかもしれないけど、私もおずおずと二人の間に入ってみる。ごめんね邪魔して……灰原さんの視線が痛いけど。
「灰原さん、困ったら私でも大丈夫ですよ。適当に帰らせるだけなので」
「いや駄目だ。相手が男で、手でも出してきたらお前じゃ抵抗できねぇだろ?」
「ええ……? そんな人いない……とも言い切れないですけど、でも滅多にいないですよ。私そんなに絡まれないですし」
「ったく、お前もこりゃ目が離せねぇな……」
あれ? 私、助太刀しようと思って出て来たんだけど。もしかして余計なことしちゃったかもしれない。新平くんの余計な心労を増やしてしまった可能性が……。
「灰原さん、店長に相談すれば裏に回して貰うこともできると思いま……」
「ううん大丈夫、私頑張るから。シンくんに認められるようになるまで一生懸命働く!」
……と、余計なお世話だったらしい。食い気味に否定されたことによる小さなショックがあったけど、ここで私にできるのは「あ、はいそうですか……」と言って静かにフェードアウトすることだけだ。
ちょっと悲しいけどこれもモブの役目。
「でもシンくん、また今みたいなことがあったら助けてくれる?」
「……あァ?」
あれ。
えっと灰原さん、その選択肢ちょっと違うよ!?
さっき新平くんは『次から絡まれないため』のアドバイスをしてくれて、次から気をつけろって言ったんだよ。これ以上新平くんの手を煩わせるのはやめてあげて……!
「お前は全く……」
ああぁ新平くんの反応微妙だよほら! 何してるんだヒロイン、今のはそんなに難しいシチュエーションじゃなかったはずなのに。
って、何で私が勝手に他人の恋愛模様に実況してるんだ。あまりにも失礼なことに気がついて、私は慌てて踵を返してそそくさと退散した。私は何も聞いていません見ていません。
何となく二人と目が合わせられなかった。……何でなんだろう。何か――こう、二人のやり取りを見ていると心のどこかで何かが引っ掛かるような感覚がある。それが何なのかが全く分からないのがまた気持ち悪い。
この感覚を覚えたのは――思い返せばヒロイン、灰原さんを初めて見た日からだ。
実を言うと新平くんや恭くんと話している時にもちょっとした心の引っ掛かりはある。多分、それは私が緊張しているからだと思っていたんだけど。
――ゲームと現実。そのギャップに私の頭が追い付けていないだけ、と思っている。
――もしくは、そうだと思いたかったのかもしれない。
「――シンくんの好感度、上がってる感じしないなぁ。はぁ、わざわざ同じバイト選んだのに。今からでもキョウくんと同じ喫茶店に変えようかな? シンくんはクラスが同じだから簡単なはずだもんね。……そもそも、シンくんは本命じゃないし。やっぱり男は優しくないとね?」