13(西尾新平)
「ユウくん!」
女は真っ先に駆け出して、赤城が抱いている子供の頬に触れた。親の心配をよそに、子供は随分と落ち着いた様子のキョトン顔で女を見上げている。まるで、どうしてそんなに焦った顔をしているのか分かっていないようだ。……ギャン泣きしてたって話だけど、もう落ち着いたあとだったのか。
「ああ、よかった見つかって本当に……君が面倒見ててくれた感じ? とにかく助かった、ありがとう!」
「いや、俺は別に……相手してただけ……」
「や、やー! まだ遊ぶ、ヤダー!」
子供がバタバタと暴れ出した。赤城の制服の襟元をガッチリと掴んで離さない、赤城は困り果てた顔で「あんなに探してた母ちゃんだろ!?」などと叫ぶ。どうやらこの短時間でかなり赤城に子供は懐いてしまったようだ。
「お家帰ったらバスボムやるから! ね!」
「ほんと? わかった!」
しかしさすが慣れているのか、女の一言で子供はすんなりと赤城の腕を離れて女の元へと収まった。これはバスボムの力もあるのか、バスボムすげぇな。
「君もありがとうね。さっき助けてくれたことも含めて、本当にありがとう」
「あぁ、いや」
「またどこかで会ったら、息子と遊んでやって!」
女と子供は手を繋いで、同じ笑顔でパタパタと手を振りながら人混みの中へ消えていった。子供の方は最後まで赤城と別れることに名残惜しそうではあったが。
……横目に奴を見たら、向こうも俺をチラリと見上げた。お互い同時に顔を背けて視線を逸らす。気まずい。別に緊張とかしてる訳じゃないが、言葉に詰まる。それはこいつも同じなのだろう。
多分、このまま何も言わずにこの場を去ることは許されたはずだ。俺たちに話すことなんてないから。でもそうしたくなかったのは、どうも今の赤城が俺の知る姿より随分としおらしくなっていたからだろうか。
「相変わらず子供に人気なんだな」
「……あ? うるせーよ……」
俺が声を掛けると、赤城は少し俯いた。こいつには歳の離れた弟と妹がいたはずだ。今頃は小学生になったくらいだろうか。俺も一度だけ面識があるだけで詳しくは覚えてないが、こう見えて兄貴分な赤城は歳下の面倒見はよかったと記憶している。
赤城とは目は合わないが悪態で返されることはなかった。奴はスマホを片手でいじり出す。ただ、すぐにこの場を去ろうとする様子はなかった。
「……テメー、なんでいるんだよクソ。顔も見たくねーってのに、マジで最悪だ」
「お前こそ何してんだよ? ボランティアとかお前のキャラじゃねぇだろ」
「色々あんだよ。やりたくてやってるように見えんのか? クソッ」
……何だか少し拍子抜けだった。赤城は口調は悪いままそんな態度で俺と目を合わせようとしないが、もっとこう……殴りかかってくるとか、そんなレベルだと思っていたからだ。それがこいつ一人であるからなのかは分からないが、そうだ。
「あいつらも一緒にいんのか?」
「……どいつのことだよ」
「青葉と金沢」
俺がその名を口にすると赤城は大きく舌打ちをする。俺が聞くのは何ら可笑しなことではないはずだ。何故ならこいつらは――いや俺たちはそれが普通だった時期が長かったから。
「あいつらとはもう喋んねーよ」
ふと気が付いたのが、赤城の顔には薄っすらと青痣が残っていることだ。口の端にもかさぶたが見える、明らかに喧嘩のあとだ。時間は経っているらしいが。
それでどうやら、赤城は他の二人とはもう喋らないのだと言う。それともこいつら三人が散り散りになったのか? ……それだけはどうも想像がつかないが。
「そうか」
……まァ。色々思うことはあるが、腕に“ボランティア”なんて腕章をつけて立っている赤城を見るに多分、こいつはあの日から少しは変わったところがあるのだろう。俺だってそうだ、俺に様々な出来事があったのと同じように赤城にだって、あの三人にだって何かがあったとしても可笑しくはない。
俺は少しだけ口元が緩んだ。それは決して赤城を嘲笑うような意図は一切なかった。ただ少し、この状況が単に面白いと感じたからだ。でもそれがどうにも赤城の気に障ったらしい。
「何笑ってんだよ、蹴っ飛ばされてーのか?」
「やれるもんならやってみろ。いや違う、別にそんな笑ってねぇよ。今日はいい日だなと思っただけだ」
「はぁ?」
「お前このあとの予定は?」
赤城も赤城で、俺にどう接していいのか分からずといった様子だ。だから俺がそんなことを聞いてみれば分かりやすく頭の上に疑問符を浮かべた。
「俺はゴミ拾いとか……なんか、先公の使いっぱしりをやらされてんだよ。見りゃ何となく分かんだろ」
「真面目にやってんのか? お前が」
「たりめーだろが、さっき見てただろガキの面倒。俺だってやりたくねーよ、クソ担任に乗せられてやってるだけだっつーの。あとうぜぇクラスメイトのチビが」
「そうなのか」
確かに赤城はさっきまでちゃんと子守をしていたし、案外真面目ににボランティアやってんのかもしれねぇな。担任、っつーとさっき見かけた佐藤とかいう教師のこと……だよな? ってことはこいつ茂部とクラスメイトってことか?
「……おい、なんでそんなジロジロ見んだよ」
「は? あ、いやすまん」
なんてことを考えていたら赤城のことを凝視してしまったらしい。それは流石に嫌がられたようだ、まぁ当然か……少し気が散っていた。
「俺も手伝おうか?」
「は!? なんでお前が!? 暇かよ!」
「そんな驚くか? まァ、そうだよ暇だよ」
そう言っていると、赤城は嫌そうな顔をしながら歩き出す。それに自然とついて行ったが、赤城はついて来るなとは言わなかった。暇、というのには少し語弊があるが、実際のところ部長から連絡が来るまでは自由時間だからな。どう過ごそうが俺の勝手だ。
少し歩くとさっきの、イカ焼きのおっさんに話を聞いたあたりの通りまで戻ってきた。赤城が腰を下ろしたのはゴミ回収テントの下だ。ここで子供を保護した学生ってのはやっぱり赤城のことだったのか。らしくねぇ、と言ってやりたいところだがこいつなら頷けるんだよな。
赤城はテントに戻るなり、「なんだ? あいついねーじゃん」と呟くとスマホを眺めた。
「他にも駒延の奴がいんのか」
「言ったろ、しつこくてうるせーチビがいんだよ。あーそういや、あいつ……」
赤城はトントンと、片手でスマホの画面に親指を滑らせながら言う。先ほどのように誰かとやり取りをしているみたいだが。
「西尾、お前のこと知ってるって言ってたな」
「……マジで?」
……途端に、腹が重くなったような感覚があった。別に変なことじゃねぇんだが、俺の何を知ってるってんだ。自分で言うのもなんだが俺はこの辺りじゃそれなりに有名な自信はあって、それがあまりいい意味合いじゃないことも自覚している。となると場合によっては面倒なことに発展するからだ。
しかも赤城は「知ってる」と言ったってことは、少なくとも同じ中学の同級生ではないってことだよな。だったら多分噂か何かで俺のことを知ってる奴ってことだ。俺に関する噂……嫌な予感しかしない。
「そいつと一緒なのか? ……なんで今はいねぇんだ?」
「今は……なんか、裏通りのゴミ拾いやらされてんだとよ。片付けたら戻ってくるって言ってる」
スマホを覗きながら赤城が言う。どうやらスマホでやり取りしてる相手というのはその同級生らしい。裏通りってなるとさっきまで俺と女であの四人組と揉めた場所だろうか? ……確かに、地面に散乱していた缶チューハイやらのゴミ溜まりは思い出すだけで億劫な気分になる。あれを片付けてるってことか、ちょっと気の毒だな。
「俺らも手伝った方がいいんじゃねぇか」
「は……マジで?」
「俺はともかくお前もボランティアだろ? 俺、さっきまで裏通りにいたから惨状知ってんだよ。多分手伝ってやらないとキツイぞありゃ」
「お前なぁ……そういう変に正義ぶるうっぜーとこ、マジで変わってねーのな?」
赤城から超厭味ったらしく嫌悪感丸出しで言われたが、それは褒め言葉として受け取っておく。そう言えば俺たちが絶縁まがいのきっかけになった大喧嘩の発端の際、赤城からは似たようなことを言われたんだったかな。
――今更いい子のつもりで偽善ぶるなよ、だったかな。そんなことを言われた。一言一句覚えてら。
あの時はお互いを全力で殴り合って血塗れの中、目一杯の憎しみを込めたかのような顔で赤城は俺に言った。でも今はただ呆れたように言うだけで、その拳が俺めがけて飛んでくることもない。時の流れなのか、それとも成長なのか。とにかくあの時とは似ている会話でも、状況は全く違っていた。