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「ボランティア活動ぉ?」
下校前のホームルーム後、教室を出ようとしたところを佐藤先生に呼び止められて教壇まで近づくと、傍らには仏頂面の赤城くんも立っていて。私たち二人に佐藤先生が告げたのは、「週末のボランティア活動を手伝ってくれないか」という話だった。
それに素っ頓狂な声をあげたのは赤城くんだ。拒絶オーラが全面に剥き出ている。という私も、あまりに突然過ぎる話題に疑問符を浮かべるばかりだった。
「今週の土曜日に音楽祭が駅前で開催されるんだよ。で、それ系のイベントっていつもこの街の会場を取り仕切ってる知り合いからよく頼まれてさ、演劇部の連中にはしょっちゅう手を借りてるんだけど。せっかくだしお前たちにも手伝ってもらえたらなーと思って」
「はぁ? なんでオレ?」
イベント会場……そう言えば一年生の時、サーカス団がやってくるとかのイベントに新平くんたちと一緒に行ったんだっけ。その時のチケットを私にくれたのは佐藤先生だ。その時も知り合いから頼まれて……ってことだった気がするけど。
思い返せば、佐藤先生は確か初詣の時に交通整備のボランティアも手伝っていた。交友関係が広いんだろうけど、休みの日もほとんどボランティアや誰かの手伝いばかりで過ごしているのだろうか?
「赤城は進学するなら内申点稼ぎが必要だろー。お前部活もロクにやってないんだから」
そう言われると赤城くんは苦虫を噛み潰したような顔になって押し黙った。図星か……赤城くん、一応進学希望なんだ。突拍子もない提案だと思ったけど先生なりに赤城くんへの気遣いだったんだな。
……ん? だったら私まで誘ったのは……?
「あと茂部は、赤城が一人だと寂しいだろうからってことで。このクラスで唯一まともに会話できる相手だろ?」
「ああ、そんな薄い理由で……」
このクラスで唯一の相手って……思わず赤城くんを見ると、心底不機嫌そうな顔で何故かキツく睨まれた。いやいや文句があるなら私以外の人ともちゃんと喋ればいいのに。さっきと同じく赤城くんが口を挟まずぶすっと黙っているのは反論の余地がないからなんだろう。
「それにこのイベント、竜さんも運営側で関わってるはずだよ。その日は店休みだろ? イベントの話聞いてたりしないか?」
「えっ? ああ……そう言えば休みとは聞いていましたが……イベントの話は知らなかったです。だからまあ、その日は暇ですし手伝うことはできますよ」
イベント名は音楽祭か……確かに竜さんが関わっているのも納得だ。この街の伝統的なお祭りなのかな? 私はあんまり詳しくないけど。
「とにかく手伝ってくれると助かるんだ。その日は俺も駆り出される予定だからさ、お前たちの引率は俺が務めるよ。ボランティアとは言ってもちゃんと働いてくれれば俺が飯の一つくらい奢ってやるから、なんとかやる気出してくれよな」
そんな流れで半ば強制的に、私たち二人は六月の月末。とあるお祭りのボランティア活動を手伝うことになった。
そうして自然な流れで下校するタイミングが重なったので、私たちは何故か一緒に帰り道を歩いていた。……普段はホームルームが終わって同じタイミングに学校を出たとしてもどちらかがスタスタと歩いてい、こうして並ぶことなんてないはずなんだけどね。
今日は靴を履き替えていた時に赤城くんが「さっき言ってた店ってなんだ?」と話し掛けてきたので、何となく駄弁りながら歩いている。
「私のバイト先の話。音楽喫茶のお店で、そこのマスターが私と先生の共通の知り合いなんだよね」
「音楽喫茶ね……」
歩きながら、赤城くんが呟いて空中を見上げた。何かを思い出しているかのような素振りだ……と思っていたら、しばらくすると「そうだ」と声を出す。
「駅の裏の小汚え路地にある店だろ。知ってる」
「小汚い……?」
あまりの物言いに何か言おうと思ったけど、確かに裏通りのあの寂れた雰囲気は……うん。
「赤城くんも知ってるとは意外だね。そんなに有名なお店じゃないって竜さん……マスターも言ってたけど」
「中学ん時にそのマスター? のジジイにこっ酷い目に遭わされたことがあんだよ。あのゲンコツは思い出したくねー」
「ええ!?」
驚いた。赤城くんはけろりと、そして少し複雑そうな表情でそんなことを言う。まさか竜さんと面識があったなんて――あ。いや、まさか……?
「そん時のつるんでた奴がそのジジイと知り合いだったとかで、ちょっと路地裏でフザけてただけなのにクッソ怒られたんだよ」
「それは例の三人まとめて?」
「あー……うん。あともう一人いたけど」
「そのもう一人のこと知ってるかも。新平くん?」
そのまさかだったらしい。聞いてみると赤城くんがぎょっとして私を見た。そりゃ驚くよね。信号機トリオと新平くんの確執は私もゲームの設定で知っているし、実際に軽くだけど新平くんから聞いたりしていたけど。
私は元々あの三人と新平くんが引き会わないように色々と手を回そうとしていたけど、私が知る“設定”は最早参考にすらならない。ゲームシナリオの手を離れたこの世界において、それほど神経質になることはないのかもしれないと思った。
「なんでテメーが西尾を……いや、あの店でバイトってんなら顔合わせることもあんのか」
「知り合った経緯はまた色々あるけど、その通りだよ。……赤城くんは未だに新平くんと顔合わせるってなるとやっぱり気まずい?」
赤城くんは難しい顔をしている。……正直、赤城くん以外のあの二人……青葉くんと金沢くん? は概ねゲーム通りの性格のままだとは思うけど、赤城くんはここしばらく共に過ごしたところだとそれなりの常識人ってことが分かったし。東条ダイヤの影響かは分からないけど赤城くんもゲームシナリオにはないような酷い目に遭ったせいで牙が取れたというか。
「テメーがどこまで知ってやがんのか知らねーけど……オレはアイツから縁を切られたんだよ。気まずいどころの問題じゃねーし」
「参考までに聞きたいんだけど……新平くんのこと怒らせたきっかけって?」
実のところゲームではあまりこの辺りの内情が詳しく描かれていた訳じゃなくて、あの三人が新平くんを怒らせて未だに確執がある。というような設定だった。きっと何かしらの事件なりが起きて新平くんから絶縁を言い渡すようなことにはなったんだろうけど……。
赤城くんは言い渋るかのように「ン゛ン゛……」と唸る。やっぱり言いづらいか。無理に聞こうとは思っていなかったので撤回しようとしたところ、赤城くんがぽつりと言った。
「きっかけは……オレらが万引きしてたのが知られて、アイツがそれに超ブチ切れて本気でブン殴ってきたから。それからしばらく喧嘩が続いて、そのまま中学を卒業したんだ」
赤城くんはそのまま続ける。
「元々仲良い……っつーか、話すようになったのは中一の頃からよく担任が一括りにして反省部屋みたいなところに放り込まれてたからで――」
――そこまで言って、ハッとしたように口を噤んだ。そのまま赤城くんは何も言わず、スタスタと足を早めてしまう。私は少し小走りにその背を追った。
「待って待って。そうだよ、仲悪くなったきっかけよりも仲良くなったきっかけの方が聞きたいかも」
「楽しい話じゃねーよ」
「それは分かんないじゃん」
「どうだか」
赤城くんはこれも何だか言いたくなさそうだったけど、私に引き下がる気がないと分かると諦めたようにして肩を落とした。よし粘り勝ち。
「中一の時オレらは同じクラスで、担任は野球部の顧問やってたジジイだった。そいつはオレと、金沢と青葉と、あと西尾。オレたち四人を標的にしてやたらと呼びつけたり、変な言いがかりをつけて教室を追い出されたりしてた。追い出された時はそのままオレらは学校を抜け出してどっか行ったりしてたから、途中から教室の前とか後ろに立たされたり椅子を取り上げられたりしてたけどな」
「それまた……どうしてそんな? 不良だったから?」
「それが言いがかりなんだよ。オレらの共通点は片親だったこと。まー西尾に関しちゃ親は再婚済みだったみたいだけど、あいつの親は学校のイベントにも面談にも中々来なかったみたいだからそういう家庭だって決めつけたんだろ」
それを聞いて何とも言えない気持ちになる。中学生なんて特に気持ち的にも多感な時期なのに、担任の先生からそんな扱いを受けたらグレるに決まってるじゃないか。
「だから、その流れでよく四人でいることが増えて……そんだけ」
赤城くんは私の方を見ずに続ける。神妙な顔をしていたのがバレなくてよかった。
「悪びれてたから迫害されたんじゃなくて、迫害されたから悪びれてたんだね」
「あン? 小難しいこと言うなよ、意味が分からん」
「赤城くんの根はそんなに悪くないんじゃないかなあって」
私がそう言うと、赤城くんは分かりやすく呆れたようにして肩をすくめた。
「少なくとも、あのジジイの見る目は間違ってなかった。実際オレらはクズだ。まともな親に教育されてないからだってよく言われたし、その言葉は合ってる」
「私にもお母さんしかいないけど、それなりに真面目にやってきたよ。苦労はあったし嫌になることもあるよね。気持ちはちょっと分かるよ」
「あ? ……テメーも?」
呆れ顔から一転、一瞬表情が強張ったかと思うと赤城くんは口ごもった。どうやら私も似たような境遇にあることが意外だったらしい。まあ確かに、こういうのって言わなきゃ分からないからね。私も赤城くんにそんな苦労があったなんて知らなかった。
「じゃあとにかく、人に迷惑かけた分はこれから善行を積んでチャラにしていかないと。週末のボランティア活動、頑張ろうね」
「はぁ」
湿っぽいのは終わり、切り替えてそんな風に言ったけど赤城くんは変わらずテンションが低い。ボランティア活動、面倒くさいんだろうな。
そんなこんなで時間も経って、私の家はすぐ前方まで見えてきた。話しているとあっという間だ。
「……オレは、今も西尾が苦手なんだ。その理由はな、あいつがオレとは全然違うから。昔は似た者同士だと思ってたよ。でもそれは勘違いだった」
家に着いたので別れの挨拶と、赤城くんを見送ろうと思っていたところで赤城くんが呟くようにそう言った。視線は交わることはなく、歩みを止めることもない。ただ彼は去り際にぽそりと小さな声で言った。
「西尾は、恵まれてるんだよ。それが羨ましい」
――その言葉に、共感できてしまったのは。私と赤城くんには最大の共通点があるからだ。先ほど彼が言った、新平くんが自分とは全然違うということ。それはその通りで、彼は……新平くんは、この世界では主人公側の存在だから。
対して私たちと言えばただの脇役、モブキャラ。よくて彼らの引き立て役、もしくは悪役。
私は別に構わない。自分がモブであることを自覚していて、とっくに受け入れているから。――でも赤城くんは、きっと何も知らない。その上で彼は、この世界のメインキャラクターの一人である『西尾新平』に心から嫉妬しているのだ。
それだけ言って私から離れていく彼の小さな背中を眺めていると、久々に私の心はどことなく虚しさで満たされた。これは以前、私が新平くんと距離を置くことを決意した時の感情とよく似ていた。