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推しが存在する世界に転生したモブAの話  作者: 西瓜太郎
一章〈推しと同じ空気を吸いたくて〉
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10

 痣も若干消えかかってきた、体育祭から数日後――私は文字通り枯れそうになっていた。


 テスト期間。勉強漬けの日々。……いや、正直なところ勉強はそんなに苦痛じゃないしテストも多分問題ないんだけど。

 テスト期間は部活、アルバイトともに禁止なのだ。つまり私はこの一週間以上、新平くんに会えていないのだ。


 染み付いた日常と言うのは恐ろしいもので、推しといつでも話せる距離にあった日常を取り上げられただけでこんなに私の中から元気が無くなるとは思ってもいなかった。


 でもそれもあと少しの辛抱。テスト当日は昨日と今日の二日間、今日を乗り切れば明日からまたアルバイト漬けの日々だ。

 それにテスト当日は午前で帰宅できる。……家に帰っても何もすることないし、どこかで遊んでたりすると見回りの先生に見つかって面倒なことになるから結局今日まで退屈なんだけど。


 テストの出来栄えはまあまあ。悪くないと思う。

 姫ノ上がどんなレベルかは分からないけど、少なくとも駒延はそれより下の水準であるはずなので、体感でそんなにテストは難しくなかったように思う。そもそもうちのクラスだけでもテスト配られた瞬間から寝てる人何人もいたし……夏休みなくなっても平気なのかな?


 テストは無事終了、今日は帰るだけ。でも何となく、家に帰ってもやることがない私は帰る気になれなくて一人でブラブラと校舎の中を歩いていた。

 こうして学校を歩き回る機会って思えばあまりなかったな。部活もやってないし、自分の教室と移動教室以外には立ち寄ることって普段あまりないから。


 ふと足を止めて気になってしまったのが、音楽室だった。正しくは音楽準備室。私は選択授業で音楽は取っていないので、普段ここに来ることがほとんどないのだ。

 電気が点いていなかったからよくは分からなかったけど、たくさんの楽器ケースが陳列していた。吹奏楽部の所有する楽器だ。……駒延高校の吹奏楽部って、一応存在はしているらしいけど機能はしていないそうだ。野球部もないし高校野球の応援もないし。部員は三人くらいとかだったかな?


 せっかくこんなに楽器があるのに勿体ないと思って、私はちょっとだけ中に立ち寄ってしまった。別に立入禁止とかではないんだけど、部外者な訳だし。


 楽器を見ると新平くんを思い出すのだ。彼の隠された趣味、トランペット。――私が現実(・・)でそれを知る日は来ないのかもしれないけど。

 ちょっとだけ寂しくなって、私はそのまま音楽室へ足を踏み入れた。音楽室特有のちょっと変な匂いと、閑散とした光景の中で唯一存在感を放つグランドピアノに目を奪われる。


 ピアノか……淡い記憶の前世、私はピアノが弾けたような気がする。もちろん『茂部詠』としてはピアノなんて触ったこともないんだけど。

 鍵盤の並びは覚えてるし、ピアノ自体弾くだけだったら難しいものじゃない。……半分くらいは惹かれるように、私はピアノに触れていた。


 ポロロンと優しい音色が耳を撫でる。……いいな、楽器。何となく弾ける気がする。

 多分ほぼ無意識に私はある旋律を奏でていた。指の動きも楽譜も頭の片隅にあった何となくの記憶を頼りに、もしかしたらこの世界(・・・・)では存在していないとあるポップスを弾いていたのかもしれない。


 と言ってもそんなに難しい譜面じゃない。とても単純な、ちょっと練習すれば小さい子でも弾けるような難易度のもの。それでも楽器と言うのは弾けるだけで楽しいものなのだ。


「――こりゃ驚いたな」


 ……一曲弾き終わったところで思わぬ拍手が聞こえてきたので、恐らく私はその声の主よりも驚いたことだろう。


「せっ……先生!?」


「いやなんか、聞こえると思ったらさ。まさかお前だとは思わなかったよ」


 音楽室の扉をガラガラと開けて中へ入って来たのは佐藤先生。聞かれてたのか! ……は、恥ずかしい。人に聞かせるような演奏じゃなかったのに。


「意外だなぁ、お前ピアノやってたのか!」


「……うーん。いいえ?」


「何だその返事は。どっちなんだ?」


「微妙なところなんです。……でも、少なくとももう長いこと触ってませんでしたよ。だからそんなに上手くないですし。……そう言えば勝手に弾いてましたけど、私怒られます……?」


 恐る恐る私は先生に尋ねる。先生は一度キョトンとすると、それから見事な高笑いをして「大丈夫だ、安心しろ」と言ってくれた。……勝手に弾いたことを咎められることはなさそうだけど、そんなに笑うことなくない?


「俺もたまーに放課後勝手に弾いてたりするし。あと茂部、お前十分上手いよ。経験無くてこれだけ弾けるならもうちょい練習すれば化けるんじゃないか?」


「そ、そうですか? ……え、先生もピアノを? 弾けるんですか!?」


「おう、俺は昔やっててな。どれ、一曲披露してやろう。お前普段どんな音楽聞いてるんだ?」


「ジャズです!」


 任せろ、と言って先生が椅子に腰掛け、鍵盤に手を掛ける。

 それからあまり間を開けずに先生は鍵盤を叩いた。――衝撃が走る。


 先生、めっちゃピアノ上手い。お世辞とかじゃなく、冗談抜きで上手い。クラスで合唱曲のピアノ演奏任される子とかよりも上手い。真面目にプロ並みだと思う、左手が三オクターブくらい余裕で動かせているし……何あれ筋トレの動き?


 それに先生、私は反射的にジャズをリクエストしたけど。もしかして何言ってもそれに合わせて演奏できたりした? 何でも弾けちゃうレベルだったりする?


 先生も楽しそうにしながら演奏している。身体も控えめに動かしたりしていて、時々こっちも見てくるから私も段々それにつられて楽しくなってきた。

 先生の意外な才能をこんなところで知れるとは。


「……っと、こんなもんだな。中々だろ!?」


「先生こそ意外じゃないですか! 何ですかその才能、どうして社会科の先生やってるんですか!? 音楽の先生かピアニストやったほうがいいですよ絶対に!」


「嬉しいなぁ、そんなに褒めてもらえると」


 ちょっと照れたようにしている先生だけど、あまりにも意外すぎたその姿に私はちょっとだけときめいたりしていた。

 ピアノ弾いてる先生、ちょっとかっこよかった。それに――トランペットを吹く新平くんのスチルを思い出したのだ。その言葉の通り『音を楽しむ』彼を見て。


「すごいです。尊敬しますよ、先生。ピアノ教えてほしいくらいです!」


「おっ、ピアノやる気あるか? ……実は教えてやらんこともないんだ。なぁ茂部、今の言葉どれくらい本気だったりする?」


 笑顔から一転。少しばかり真面目な顔をして先生がそんなことを言うから、今度は私がキョトン顔になる。


「今からおよそ二ヶ月後、この街である大きなイベントが開催される。……何だと思う? ヒントは夏の風物詩だ」


「……夏祭り?」


「正解。そこでだ、毎年午前中に小さなブースで同人サークルとかがエントリーするバンド大会があるのは知ってるか?」


「いや、そこまでは。私はこの春にここへ越してきたので……そんなのがあるんですか?」


 ゲームで夏祭りのイベントは欠かせないものなので、どんなものかはある程度知っているけど。バンド大会? それは知らなかった。少なくとも新平くんのルートでは登場しなかったから私が知らないだけなのかもしれないけど。


「そうだったか。学生バンドとかも参加しててな、毎年結構盛り上がるんだぞ。……そこでだ。俺の知り合いからもとあるバンドがエントリーする予定でな?」


「はい」


「メンバーが一人足りないそうなんだ。ちなみにキーボード」


「お断りします」


 ――何でだ!? と先生が叫ぶ。いやいや無理でしょう、二ヶ月練習したところで私がバンドのメンバー入りとか、他のメンバーにも迷惑を掛ける未来しか見えない。大体話の入りあたりから先生が言いたいことは予想してたけど。


「先生も聴いての通りで、私の腕はあのレベルですよ? 最近の流行りの曲も知りませんし、練習するにしてもピアノなんて私持ってないですし。それに先生の知り合いなら先生が参加してあげたらいいじゃないですか。先生が出るなら私も観に行きますよ」


「うーん……俺はちょっとな、事情があって参加できないんだ。それにお前な、ちゃんと俺はお前の演奏聞いた上で提案してるんだぞ? 今であれだけ弾ける上に基本もできてる。教えればメキメキ上達するのが想像できるよ」


「ええ……?」


「頼む茂部! ……ピアノなら、俺のお古のキーボードくれてやるから。練習が必要な曲はたったの二曲で、無理そうだったらそんなに難しくないように俺が編曲してやるし。練習にも俺が立ち会う! な? どうだ?」


 ……これ、頷くまで帰してもらえないやつじゃ。

 先生の演奏聞けてラッキー、と思ってたけど、実は面倒なことに巻き込まれる羽目になってしまったらしい。


 と言うのも、ここまで懇願されてしまうとはっきり断れない私の性格も悪いのだけど。


「……と、とりあえず。楽譜見せてください。それでいけそうか判断しますから」


「ありがとう茂部〜! 俺がお前を世界一のピアニストに育ててやるからな!」


「そもそも無理ですから! ……はぁ」


 どうしよう、アルバイトもあって練習に割ける時間なんてそんなに無いんだけどな。


 先生が心の底から嬉しそうに喜んでくれるから、ちょっとだけ悪い気がしていない自分自身に呆れた正午あたりの出来事だった。




 ・・・ ・・・




「で、これはここ押すとこのモードになって……そう、音が変わったりするんだ。でこっちがさっきの機能」


「あの……いいんですか? このキーボード、私が思ってたやつより随分と多機能で高そうな……ペダルも付いてるし。先生、これ使わないんですか?」


「こいつは俺が大学ん時にひとり暮らし始めるから、寂しくて買ったやつなんだ。ま、今は職場にピアノもあるし弾きたい時に弾けるからな。それに昔ほど今はピアノ弾かなくなっちまったし」


 その日の夕方、先生は早速私の家に例のキーボードを運びにやって来た。

 あの後私は家に帰って、先生はテスト採点があるからと言って一緒に帰って来た訳ではないけど。まさかこんな早くに持ってくるとは……。


 先生が大学生の時に愛用していたと言うキーボード、それなりに大きくて多機能で、持ち運びもできるようにコンパクトにもなると言うかなり高そうな代物だった。先生曰くステージ本番はこれを使っても問題ないとのこと。

 その上このキーボード、イヤホンを挿せば無音で弾くことができるので真夜中に弾いても近所迷惑にならない。……なんか、ますます逃げ道が無くなってしまった気がする。


「で、これがさっき知り合いからメールで貰った楽譜(スコア)だ。最近の曲一つと、ちょっと一昔前のポップス一つだな。どうだ?」


「早いですねぇ……」


 ここまで来て突っぱねる訳にもいかず、渋々受け取ってしまった私は楽譜を眺める。……うーん。確かにそんなに難しい曲ではなさそうだけど……いや、これ。


「ソロあるじゃないですか……」


「何だ、譜読みもできるんじゃないか。楽譜の読み方からと思ってたんだが……ならますます問題なさそうだな。いけるって! どれどれ貸してみろ……?」


「……絶対に先生がやったほうがいいですって」


 スコアを設置して早くもスラスラ弾き始めた先生。もしかして初見でこれ? ……何で先生自分で参加しないで私に強要するんだろう。


 まあ、先生にも事情があるみたいだし。

 取り敢えずは練習してみようかな? ……プロ並みに上手い先生が教えてくれるって言ってるんだし、これで駄目だったら私のせいじゃなくて先生のせいって言うことにしよう。


 どうしても上達しないようだったら、きっと先生の方から見限ってくれるだろうし。

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