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「はな……せ、つってんだろ!」
言いながら身動ぎ、腕を伸ばして自身を押さえつけている青髪の喉元へ手を掛ける赤城くん。しかし必死の抵抗も虚しく、青髪がさらに容赦なく赤城くんの頬へ拳を振るうことでそれは簡単に引き剥がされた。
私は一歩も動かずに、いや動けずにそれを見上げていることしかできなかった。金髪と青髪は私には気付いていないのかこちらを見ることはない。ただ、赤城くんとは先程一度目が合った。
この状況は……喧嘩、というより虐めに見えた。赤城くんはボロボロの状態だけど、そんな彼に殴る蹴ると浴びせている二人は特に怪我などしていないように見える。ただ、全員が切羽詰まったような表情を見せているのが違和感だった。赤城くんだけでなく他の二人まで、全員が額に汗を滲ませているのだ。……どうして? 一体何に迫られて?
私にできることは……気付かれていない今の内にこの場を静かに去って先生を呼ぶなりすることだろう。でも、すぐに目を離すことができなかった。……信じられなくて。
こんな目の前で人が殴られているところを見るのは初めてだった。その衝撃もあるだろうけど、私は以前レンチで殴られそうになったこともある。その時の恐怖も呼び起こされて、頭の中が真っ白になってしまった。
「ちょっとー、なぁにやってんの? 逃してんじゃねーよ」
そして――どこか気怠気な口調で、シューズの踵を潰したペタペタという足音と共に、彼らの背後から現れた人物がもう一人いた。その声はよく知っている。目立つ銀髪にジャラジャラと大量のシルバーピアスを身に着けた男の子、彼の名前は……
「ん? あれ。センパイじゃん」
「!」
東条ダイヤ――まるで底なしの沼のように光が見えない、真っ黒な瞳が私へ向けて見下された。にんまりと口元は緩んでいるけど相変わらず目は笑っていない。そして彼がそんなことを言ったおかげで、他三人の視線も一斉に私へと注がれた。
「こんにちわぁ、また会ったね。今から帰るトコ? ……あぁちょっと、お前ら。手止めてんじゃねーよ」
「っ! ゥ――」
赤城くんを含めた東条くん以外の三人が怪訝に私を見つめていたところで、東条くんが聞いたこともないような低く冷たい声で彼らにそう声を掛けた。私への語り掛けから一転、表情も一気に冷たい印象へと切り替わる。私は息を呑んだけど、それ以上に顔を強張らせたのは金髪と青髪の二人だ。彼らはその言葉を聞くと同時に、青髪は赤城くんを押さえる力を強めたらしい。そして金髪は勢い良くまた赤城くんの顔を踏み付けた。
「ちょっと……なに、してるの。危ないよ、こんなところで……」
勇気を振り絞って出した声は情けなく震えていた。でも東条くんには届いたらしい。東条くんは少しだけ目を細めて、ゆっくり首を傾げた。私の言葉の意味について考え込む動作にも見えたけど、真意は全く分からない。
「んん……まぁ、そうだな」
ぽつりと東条くんが呟く。視線だけを動かして三人を見て、それからまたチラリと私を見やる。数秒間だけ黙ってから、ニコリと微笑んで続けた。
「なんかセンパイ見つけたら気が抜けちゃった。お前ら、今日はお開きにしよー」
「え……」
私は眉をひそめる。でも金髪と青髪も同じように怪訝な顔になって顔を見合わせて、それからチラチラと東条くんの表情を窺っていた。赤城くんは両腕で自分の顔をガードするように覆っていたので表情は分からない。
そのまま少し経って、何も言わず動かずだった私たち……というより金髪と青髪に向けて東条くんは表情を消して言い放った。
「聞こえねーの? センパイが怖がってんだからやめろっつったんだよ。続きはまた気が向いたらね」
言われた二人ははっとした様子で、青髪の方は素早く赤城くんから手を離して立ち上がった。そしてバツが悪そうに赤城くんを見下ろしてから、
「チッ……クソが……! 行くぞ青葉!」
「何だよったく……」
駆け足に私とは反対方向、廊下の向こう側へと去って行ってしまった。この場には階段下の踊り場で立ち尽くす私、蹲る赤城くん、その傍らにて腕を組んだままそれらをじっと微笑みながら立っている東条くんの三人だけが取り残される。
東条くんを見ると、彼も私を見ていて目が合った。相変わらず得体の知れない恐ろしさが垣間見える東条ダイヤ――この状況、よく分からないけど多分彼が一枚噛んでいるのだろう。
見方によっては東条くんが、赤城くんを虐める二人を諌めて助けたようにも見えるけど。でも金髪と青髪の二人は東条くんを見て慌てたような、焦ったような、そして怯えたような……そんな様子で、私は彼らが東条くんに従っているように見えた。ということはもしかすると、そもそも二人に赤城くんへ暴行するよう促したのも――?
「ん〜やっぱ、センパイはお人好しだね。“相手”が違ってもちゃんと割って入るんだ。いい加減納得したよ、だからみんなセンパイに寄って集るんだろうねぇ」
「な、なに?」
「こっちの話。今日は本当に飽きちゃった。ラッキーだったねお前、せいぜい大事に過ごせよ。しばらくは、だけど」
東条くんは私が理解できないようなことをぽそりと呟くと、自身の足元で蹲る赤城くんに対して小馬鹿にするようにそう吐き捨てた。赤城くんは伏せたまま顔を上げず、動かない。荒い呼吸はここまで聞こえてくるから、その言葉も彼の耳には入っているのだろうけど……。
東条くんはそう言って踵を返し、フラフラとどこかへ消えてしまった。幸いにも私がいる場所とは反対方向へと。足音が遠ざかったことを確認して、私は慌てて階段を駆け上がって赤城くんの傍らに膝をついた。
「大丈夫!? 赤城くん!」
どこに痣があるのかも分からないから、とにかく優しく肩をポンポンと叩いてみる。すると、小さく唸り声をあげた赤城くんが少し身動ぎしてからよろよろと顔を上げた。野良猫のような眼光と視線が合う。
「テ……メー……何なんだよ……いつも俺の前に現れて……」
息も絶え絶えに悲痛な声でそう言う赤城くんは、こちらが思わず言葉に詰まるくらい悲惨な姿になっていた。顔は痣だらけで口元や鼻からも血が流れているし、左目の目元も酷く腫れてしまっている。長袖の学ランに隠れてしまっているけど恐らく、身体中がこんな状態なのだろう。……どうしてこんな酷いことを。とにかく、私は制服のポケットからハンカチを取り出して赤城くんの顔を汚している血をポンポンと優しく拭った。見た限りでは鼻血はもう止まっているみたいなのでひとまず安心する。
「私も君には色々と聞きたいことがあるんだけど……とにかく傷の手当てをしよう、保健室に行かないと。立てる?」
「う……うるせー、どっか行……」
「いいや! 強がっても今回ばかりは絶対に放っておかないよ。手当てもそうだけど先生に相談しなきゃ! これからもこんなことが続くなんて駄目だよ」
私が強い口調で言うと、赤城くんは物理的に弱っているせいかのか分からないけどそっと口を噤んで何も言わなくなった。無言は肯定ということで、私はそそくさと赤城くんの片腕を自分の肩に回して立ち上がる。赤城くんはされるがままだ。
赤城くんはかなり小柄だ。……私も女子で言うと平均より小さい背丈と自覚しているけど、私と並んでそう変わらない身長。身体付きもほっそりとしているし、私一人で支えて歩く分にはそれほど大変ではなかった。