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卒業式を迎え、三月中の駒延高校は随分と静かな印象だった。荒れた生徒が多い我が校だけど、私たちの一つ上の代が特に荒くれ者が多いイメージだったからから、比較的三月は平穏に過ごせていたと思う。
私の学年にもヤンチャな生徒がいるにはいるけど、割と真面目な人が多い、らしい。佐藤先生によると。そして更に一つ下の代はそれに比べると少々荒れ気味だと聞いた。……連想してしまうのは東条くんのことだ。身近な半グレと聞いて思い浮かべるのは真っ先に、あの銀髪頭の東条ダイヤのこと。今の所は特に関わりなく過ごせているけど、顔も名前も認知されてしまっている以上私は校内で常に構えている。
でも実際、東条くんとは校内ではほとんど顔を合わせることはないのだ。たまに見掛けたりはするけど、すれ違ったり鉢合わせたことは一切ない。学年が違うからだろうか……何にせよ助かっている。
そんなこんなで今日新学期を迎え、私たちは三年生になった。あと一年で高校生活も終わり。少し寂しい気分にもなる。先のことで不安が多いというのもあるけど。
「ほらー席着け! ホームルーム始めるぞー」
ガラガラと勢い良く教室の扉を開けて入ってきたのは……珍しく黒スーツ姿の佐藤先生だ。新学期だからかな。で、どうやらとうとう三年間私の担任の先生は佐藤先生で固定であるらしち。
「あ、太郎ちゃんだ。やったー! 今年も平和なクラスになりそー。ね、ゆるーく行こーぜ、茂部っち!」
「そうだね、今年もよろしく」
バシンと私の肩を叩きながらニカッと笑うのはギャル子ちゃん。……ただし、このギャル子ちゃん今はすっかりギャル要素が落ち着いている。いやそれでも全然名残はあるんだけど。
派手なメイクは落ち着いて、さらに栗色に染めて巻いていた長髪はバッサリと切って黒髪になってしまった。……それでも似合ってると思うけど、初めてこの姿を見た時はギャル子ちゃんだと思わず「誰!?」と盛大に失礼なことを言ってしまった。本人は爆笑していたからよかったけど。と言うのも理由は先日のバレンタインデーにて聞かされた例の件……彼氏に浮気されたことで破局となったことがきっかけらしい。あと、三年生になって本気で進路を決めるんだとかで。
とまぁ、佐藤先生が担任ということに加え。私の仲良しのギャル子ちゃんも今年同じクラスということで幸先のいいスタートだ。私の隣の席の人の椅子を占領していたギャル子ちゃんを窘めて自分の席に戻させると、ガヤガヤとしていた他の生徒たちも徐々に静かになり始めた。
「えー、今日からお前たちは三年生。来年の今頃には高校を卒業して、進学するなり就職するなり、それぞれの進路に進んでるはずだ。……留年、浪人はこのクラスからはゼロを目指すぞ! いいなお前ら
!」
「「おおー!」」
「よろしい! んじゃ出席とるぞー」
新学期、席順は名前順。私は幸運なことに教室の端の方、それも一番後ろの席だった。そのため教室全体を見渡すことができる。と言っても佐藤先生以外のクラスメイトは後頭部しか見えないけど……でも、何となく顔触れは分かった。昨年度とあまり変わりない面子ばかりだけど、こうして見ると比較的落ち着いている生徒が多いように思う。まあつまり、この進学クラスにはそれなりに進路のことを真剣に考えている真面目な生徒が集まったということだ。
そこでふと、一つの席が空いていることに気が付いた。それもその席は一番前の――
「あー、まずは赤城……ん? おおい、赤城がいないじゃないか。誰か知ってるか?」
出席番号一番、名前は……赤城? 佐藤先生の問い掛けに答える生徒はいなかった。みんなキョトンとして互いに顔を見合わせている。それもそのはず、このクラスは去年と面子にそう代わりがない。そして“赤城”という名前のクラスメイトは去年いなかったはずだから。
……でもよく見ると、そわそわとしながら耳打ちし合っている生徒が何人かいた。それは去年別のクラスだった男子たちだ。彼らはどうやら心当たりがあるらしい……けど、どんな内容を話しているのかは私には聞こえなかった。
「初日からバックレなんていい度胸だな……じゃ、飛ばして次!」
佐藤先生が名簿を手にそんなことを言った時だった。ガラッと荒々しく教室の扉が開かれたのは。
「あ」
思わず私は声が出てしまった。しかも教室の後ろ側の扉だったので私は入り口と距離が近かったので、多分相手にその声が届いたのだろう。ギロリと鋭い眼光が私を貫いた――ところで、相手は私の顔を見ると明らかに面倒臭そうに眉をひそめた。
「おお、赤城! 今ならギリセーフにしてやるか。ほら席着けー」
「チッ」
……あのパサパサの赤髪は間違いない。私が先日、体育館裏倉庫の前で声を掛けた男の子――信号機トリオの一人、赤色担当!
目が合ったのは一瞬だけだった。信号機……じゃなくて、赤城くんはこと不機嫌そうな顔のまま私の横を通り過ぎて、雑に椅子を引くとドカッと腰掛ける。目の横や口の端にはあの時の古傷なのか、まだ治り切っていない傷跡が残っていて痛々しい……でもよく見ると、あの時無かった頬の青痣なども目立っている。まさか、あの後も喧嘩をしたのだろうか?
「……次、茂部。……茂部ー? 聞こえてないか?」
「え……あ、はい」
「どっちだよ。まあいいや、今年もよろしくな!」
と、先生が読み上げる名簿の順がいつの間にか私まで回ってきていたらしい。少し上の空になってしまっていた。それで慌てて返事をすると佐藤先生から若干揶揄われてしまった、不覚。
・・・ ・・・
始業式の今日は授業らしい授業はなく、ホームルームやらを終えたら明日の入学式の準備に取り掛かり……その後は下校時間だ。時刻で言うと昼下がり、ちょうど小腹が空いてくる頃。
片付けが終わった人から帰ってよし、と言われてからすでに三十分程度が経過している。私は先生に頼まれてパイプ椅子やらの移動を手伝ったりしていたので教室に戻るのが少し遅れてしまって、戻ってきた時にはすでに大半のクラスメイトは帰宅していた様子だった。
私もリュックを背負っていそいそと廊下を歩く。今日はバイトの予定もないので、家に帰ったら買い物とかの野暮用を済ますプランを立てていたのだ。
あと急ぎ足なのにはもう一つ理由がある。あまり放課後に校舎へ残っていたくないからだ。何故なら、私はいつも学校の帰り際に何かしらの面倒事に鉢合わせることが多いから。……まあ、北之原先輩が校門で待ち構えていたりするのは避けようがないんだけど。
それに。――東条ダイヤ、彼はどうも放課後しばらくは校内を彷徨いているって噂だ。実際に何をしているのか目撃した訳じゃないけど……でも、小耳に挟んだ話では最近やたらと怪我をする男子生徒が多いとかで、それは放課後に校内で東条ダイヤが喧嘩を持ち掛けているからとかで。
それを聞いて連想したのは、あの日体育館裏倉庫で見つけた赤髪……赤城くんの姿だ。私は以前、信号機トリオが東条ダイヤにフルボッコにされている姿を見たことがある。だからもしかするとあの彼もまた、東条ダイヤが起こしている喧嘩に巻き込まれたせいなんじゃないかなあと思っていた。
で、今。階段を急いで駆け下りていたところで聞こえてきた怒号に足を止めてしまった私。今は二階に指し当たる踊り場だ。方向的には近くの教室内から聞こえてきた誰かの怒鳴り声……誰かは分からなかったけど、多分男子生徒の声だと思った。
間違いなく例の噂の喧嘩が勃発しているところ、だろう。もしかすると東条ダイヤがいるかもしれない。……どうしよう、どうしたらいいんだろう?
近くに先生はいない。私は一旦足を止めて耳を澄ましてみる。……相変わらず何やら揉めているような叫び声と鈍い音ばかりが聞こえてくる。足音とかは特になし。いずれ、巡回する先生に見つかるのも時間の問題だろうけど……。
職員室かな。私は一つ深いため息をついてから職員室に向かうことにした。やっぱりここは先生を呼ぶべきだろう。介入するのは有り得ないけど、見つけてしまったからには知らぬフリをするのも気分が悪いし。
少し動揺したけど落ち着いて、ゆっくり階段を下りることに努める。きっと先生からすれば日常茶飯事だろうから冷静に対処してくれるはずだ……それを信じて。
私が階段を数段下りたところで、バタバタと激しい足音が背後……正しくは頭上から聞こえてきた。まさかと思って振り返る、と。
「――え、何……」
見上げた先を見て思わず呟く。目に飛び込んできたのは一人の男の子。それは――最近よく見る、赤城くん。
私は言葉を失った。赤城くんは元々あった古傷に加えて、分かりやすい新たな生傷を顔中に負っていたのだ。口の端は切れて血が滲んでいるし、パサパサの髪も誰かに強く引っ張られたせいか酷く乱れている。学ランの胸元のボタンも解れているし。
そして赤城くんも私のことを確認して目を丸くさせた。肩で息をしている彼を見るに、多分必死に走って逃げてきた状況だろう。赤城くんは何も言わなかったけど私が階段下にいたことで驚いたらしい。息を呑んだ様子で一瞬足が止まってしまった。
そのせいだ。次の瞬間、さらに赤城くんの背後から現れた複数の人影が赤城くんに覆い被さって――その拳を勢い良く赤城くんの顔面へと振り下ろしたのは。
「逃げんじゃねぇ赤城! まだ許しが出てねぇだろうがッ!」
「っ――や、やめ――ぁぐっ!」
……どういう、ことだろう。私は目の前で起きていることに対する恐怖と、混乱に足が竦んだ。乱れる息を少しでも整えるために口元を手で覆う。
地面に伏せ、苦痛の声を零す赤城くん――その身体を押さえつけて拳を振り下ろしたのは、痩せぎすの青髪の男子生徒。
そして少し遅れてから、青髪が押さえつけている赤城くんの頭めがけて躊躇いなくそれを足で踏み付けたのは、恰幅のいい金髪の男子生徒。
彼らは知っている。そう、三人合わせて信号機トリオ――それが、その内の一人である赤城くんのことを恐ろしい形相で睨みながら暴力を振るっていたのだ。