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推しが存在する世界に転生したモブAの話  作者: 西瓜太郎
六章〈推し活とガチ恋は別物〉
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22(美南彗星/益子トラ)

 ――無言の時間が続く。元々、俺は今日絶対にトラへ話さなければならないと意気込んでいたのにも関わらず。


 新平と恭、その二人と一緒にいたトラを見つけた時、自分でも驚くほどに言いたかった言葉はすんなり口から出てきた。この一ヶ月、喉が支えていたのが嘘のように。


 歩き出した俺たちだが、トラは当然何も言わない。表情を窺うと……


「…………」


「いやその、すまない……」


 見上げるようにこちらをジロリ、とちょうど睨まれた。思わず反射で謝る。


「“何に”謝っているのよ。何か申し訳ない気持ちでもある訳?」


「……無理に連れ出してしまった。申し訳ない」


「ふうん。あとは?」


 トラは腕組みをしながら続ける。この威圧感……これは間違いなく怒っている。それは当然の怒りだ。言い訳はできない。


「すまない……俺は最近、君を避けてしまっていた」


「ああ、そう。自覚はあるのね。……私を避けていた理由はどうでもいいけれど、今になってこうして私のところに来た理由の方は気になるわね?」


「それは……」


 正直、頭の中は真っ白だ。こういう時どのような言葉を並べればいいのか、俺には全く見当もつかない。

 ただ答えを連ねればいいのだろう。だが、それだけでは彼女の気持ちに寄り添うことはできないのだ。そこまで分かっているのに、俺はまだどうすればいいのか分からない。


「俺にできることは……限られていると思った」


 迷った末に、結論からまず述べる。これでは当然言葉足らずで、トラは怪訝に片眉を上げて首を傾げた。


「俺は君から、たくさんの贈り物を貰った。時には俺なりに考え、それを返そうと努力もした。だが……君にとって、俺からの“形のある”贈り物は負担にしかならないだろう?」


「贈り物って、まさかバレンタインのこと言ってるの?」


 それも含まれているが、厳密にはもっと多くのことだ。……だがここでそれを訂正するのもまた彼女にとって負担になるだろうから、俺は小さく頷くだけに留める。


「行動で示そうと思ったんだ。……トラ、君は……俺たちの関係の始まりは中等部の頃の、あの事件からだ。あれからも様々な出来事があったが、その度に君は俺への態度を大きく変えることはなかった。それは俺にとって、とてもありがたいことだった」


「別にそれくらいは……」


「だから俺は、最近になってやっと……異性への嫌悪感を払拭できるようになってきた。年上はまだ恐ろしく感じることがあるが、年下なら会話程度は交わせるようになったんだ。気付いていただろうか」


 俺がそう言うと、トラは驚いたように目を見開いた。そうだ、俺にとっても驚くべき出来事だ。完全にトラウマを克服できた訳ではないが、これは間違いなく自分にとっての成長であると思っている。

 顔を覆い隠すのも学園内ではやめるつもりだ。出先ではまだそこまで自分を曝け出すことは難しいが、それでも少しずつ。


「これからきっと多くのことが変わるだろう。しかし……俺にとっての君は、何一つ変わらない。大切な人なんだ。それを――君に伝えて、態度で示すことで。俺の決意を君に理解してもらおうと考えたんだ」


 ――しかし、同時に。自分の中に芽生えた小さな疑問についても話さなければならないだろう。


「でも俺は怖くもあったんだ。俺の心は変わらないが、君の心を俺は理解できない。分からないからこそ怖くなって、逃げてしまう。……君のために君以外の人に触れ、その結果君に触れられなくなる。結局、本末転倒な俺の話だ」


 これで言い訳になっただろうか。情けないこんな話を彼女にする必要があったのか、それも分からない――が。このまま彼女と疎遠になってしまうのだけはどうしても嫌だった。


 静かに俺の話を聞いていたトラは、ゆっくりと何度か瞬きを繰り返した。怒りの感情は……とうに失せたようだ。そうして今、何を思っているのだろうか。どこか呆れたような表情にも見える。


「後輩の子と喋っているところを見たから、何となく分かってたわよ。あんたが努力してるってことは」


「……そう、なのか」


「ええ。取り敢えず分かったわ、私が知りたかったのはあんたが私を避けていた理由だけだったから。そんな可愛げのある理由だったなら責める謂れもないし」


 そう言ってトラは笑った。久々に見る、俺に向けての微笑みだ。俺は心の底から安堵した。また、この笑顔を目の前で見ることが叶ったから。


「でもね、やっぱりもう一度言うけどあなたは私に囚われ過ぎだと思う。私だけがあなたにとっての全てじゃない、だからあまり振り回されないで。――努力は、私じゃなくて自分のためにするべきよ」


 真剣な眼差しでトラが言う。きっぱりと言われてしまった、けれど――その言葉は突き放すような口調ではなく、きっと俺を思っての気遣いの一貫なのだろう。

 それが伝わってきたことが、俺にとっては果てしなく嬉しいことだった。




 ◆ ◇




 ――私の言葉に、彗星は分かりやすく目を丸くさせた。戸惑いとは違う、まるで予想外のことを受けたように。実際そうなのだろう、自分になかった視点の話だったのだろうから。


 彗星の話を聞いた私はひとまず納得した。我ながらチョロい奴だと思う。でも彗星が自分のために頑張って、そのために避けられてしまっていた――なんて理由だったなら、苛立ちよりも勝る別の感情が胸を支配したのだ。


「私たちはお互い、しっかり将来のことを見据えていかなきゃいけない時期に入るじゃない。あんたは特に色んな選択肢があるんだから、視野をもっと広く持って考えるのよ」


「……そう、か。そうだな」


 私は口振りでは進路の話をしたけれど、心の中では来年の卒業式のことを考えていた。きっと彗星もそうなのだと思う。お互いに口にはしないけれど、どういう選択が待っているかは別として――私たちの今の関係のリミットは、あと一年だけということなのだから。


 その時までに私は答えを用意しなきゃいけないし、彗星は――その時まで私に対して愛想を尽かさなければ、私の答えを待ち構えていることだろう。

 私は彗星に言ったように、私自信のことも考えて選択しなければならない。それは――他人ではなく、他でもない自分のための選択肢を並べて。


 先にも述べたように彗星には私と違ってたくさんの選択肢がある。それは当然スポーツ推薦のことだけど、彗星のお父さんは市議会議員……それも市長を務めているという人脈がある。ゲームにおいても攻略対象キャラ、そしてプレイヤーが操作するヒロインも細かい分岐点があって、エンディングによって全員の進路が分岐する。まあ、一部のエンディングに影響するだけで大方は本当に細かい小さな分岐だからただのやりこみ要素でしかないのだけど。


隣を歩く彗星をチラリと見ると、彼は真っ直ぐに前を見据えている。久々に見る端正な横顔に思わず心臓が跳ねて、慌てて視線を逸らす。顔は……顔は本当にいいのよね、この男は。


 本当に、なんでこんないい男が……私なんかを好きになったのかしら。ゲームだって、キャラクターを攻略するにも自分のステータスを高めたりデートを重ねて好感度を稼がないとエンディングは迎えられないのに。どうして私が……ただ、現実で起きた“イレギュラー”に鉢合わせただけの、私が――




「……トラ」


 ぼうっとしながら歩いていると、ふと彗星からそう声を掛けられて、更には彗星が手を伸ばして私の歩みをわざわざ阻んだので停止する。何かと思ってもう一度彗星を見上げると、彼はやはり前方を見つめていた。ただしそれは先程とは打って変わって、眼光鋭く目の前を睨み付けるような……明らかに何かを警戒するような眼差しだった。


 それを受けて私も視線を前に向けた時、息を呑んだ。同時に納得と混乱が押し寄せる。ああ確かに、彗星が警戒するのは当然だ。だってそこにいたのは――


「……何の用だ。灰原姫乃……」


「……久し振り。スイくん。と、確か――益子さん」


 表情なくそこに立ち尽くして、でも私たちに立ちはだかるようにしていたのは灰原姫乃――私を階段から突き落とし、聞いた話では詠に殴り掛かろうとしたことで姫ノ上学園から退学になった、あの灰原姫乃だった。


 当然彼女は制服姿ではなく、ラフな普段着姿だ。でも飾り気はない、加えて表情もどこか暗そうに見える。そう、私が知る彼女より明らかにくたびれて(・・・・・)いるのだ。それも不審だけれど、何より不可解なのはどうしてここに? 引っ越したって話じゃなかったの。手荷物は……小さなバッグを持っているようだけど、ここにはたまたま? 偶然鉢合わせただけ?


 私は何も言えないまま怪訝に彼女のことを見つめることしかできなかった。すると彗星が一歩前に出て私の前に立ちはだかった。それには少し驚いた、彗星が怯えることなく灰原姫乃に立ち向かうだなんて。


 ……でも、灰原姫乃は。彼女の視線は初めこそ彗星に向いていたけれど――今は真っ直ぐ、私と目が合っていた。そして彼女は鈴の転がるような、それでいて低い声でこう言った。


「今日はね、益子さん。あなたに用事があって来たの。……本当は学園に向かおうと思っていたんだけど。たまたま見掛けたから、よかった」


「私?」


 そう言う彼女からは特段、私に対する強い恨みだとか怒りとかは感じられなかった。……あの時、私が階段下で蹲りながら見上げた彼女の表情とはまるで違う。無気力にそう言う灰原姫乃は、私の知る彼女とは別人のように思えたくらいだった。

 彼女の言葉に私は当然狼狽えたけど、強く反応したのは彗星だ。彼はすぐさま「目的を教えろ」と言う。私より前に出ているので顔は見えなかったけど、多分警戒を一切隠すつもりはないのだと思う。


「話がしたいの。……多分、益子さんは知っておいた方がいいと思う情報(・・)を伝えに。私にできるのは多分これだけで、そして最後だから」


「情報? 話って、私に……?」


 含みのある言い方だ。妙なのが、そう語る彼女からやっぱり一切の感情が見えないこと。以前からいまいち感情は読めない、掴みどころのない振る舞いをしていた印象ではあるけど……それでも彼女はいつだって彗星の前では作り笑いでも浮かべていたはずなのに。

 それに彗星ではなくて私? 私に話って、一体どうして。私は戸惑いのほうが大きいけれど、一度直接的な危害を加えられている身からすると当然身構えざるを得ない。


「そう。できれば二人で話をしたいんだけど」


「それは許可できない。トラの身の安全が保証できない」


「そっか。スイくんも聞きたければ居てもいいけど、あまり気持ちのいい話ではないから聞かないほうがいいと思うな。そんな長話をするつもりはないし、少し離れた場所から見守るとかでもいいんじゃない」


 私は呆気に取られた。彗星もこれには狼狽えたらしい。言葉に詰まった様子で沈黙が落ちる。……不気味だ。ただ淡々と語る灰原姫乃は、その真意が全く読めない。彗星に対して全く興味がない様子……それでいて私に対しても敵意がない。


 まさか本当に……私と話がしたいだけ?

 だったら――私が取るべき行動は。


「分かったわ」


「トラ?」


 私の答えを聞いて、灰原姫乃は小さく頷いた。表情は変わらない。彗星が心配そうに私の顔を見る。捨てられた子犬のような顔だ……彗星には少し申し訳ないけど、でも。ここは私も腹を括るべきだと思う。


「そんなに長話にはならないんでしょ。だったら公園で、彗星は入り口からでも見ていて。……彗星の耳には入れないほうがいい話ってことなんでしょう?」


「そうだね。まぁ、私はどうでもいいけど。益子さんは嫌なんじゃないかなって」


「……そう。じゃあ行きましょう。日が暮れるまでにはお互い解散したいところでしょうし」


 夕方の公園……そこに立ち寄る人は少ないだろうけど、周辺の人通りは多い。もし万が一彼女が私に対して危害を加えるつもりだとしても、開けた場所なら変な真似もできないはず。

 でも、話に加えないにしても彗星の立ち会いを受け入れるってことは本当に危害を加える気はないような印象を受ける。だからこそもっと分からない……この女が一体、何を考えて私の前に現れたのか。


 彗星はたくさん言いたいことがあったことでしょうけど、私が言っても聞かないことを悟ったようで口を噤んだようだった。ただ何も言わず、歩き出した私たち――灰原姫乃と私の間に割り込むようにして、私たち三人は公園を目指して歩いた。

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