18(西尾恭)
お徳用のお菓子を一つずつラッピングする作業は嫌いじゃない。今年はチョコをたくさん貰っちゃった分、用意するお返しも多いからいつもより時間が掛かりそうだけど……この作業をしている間、色々と考え事ができるから。
今、俺の頭の中は例の件――どうやってシンペーを吹奏楽部に入部させることができるか? ということ。益子ちゃんという協力者を得て、二人で作戦会議も何回かやったけどイマイチいい案は浮かべていないし、実行にも移せていない。
そうこうしている内にホワイトデーも近付いてきているし、俺は大忙しだ。そして何よりそのシンペーと俺は同じ家で暮らしているのだから気まずいったらありゃしない。シンペーは何も言わないけど俺は分かってる、多分俺が何か企んでいるということもシンペーは勘付いてる。……昔からそういうの、全部バレバレだったからね……。
「おいキョウ、玄関開いてたぞ。閉めとけっていつも言ってるだろ――うわ」
「うわ!? あっ……シンペー。ごめんごめん、つい、ね」
俺が自室で作業に集中していると、ノックも無しに荒々しくドアが開いてそこからシンペーが顔を覗かせる。そう言えば最近は俺が先に帰ることが多い。普段はちゃんと鍵閉めるんだけど、ちょっと考え事をしてたりするとつい忘れちゃうんだよなぁ。
で、俺の頭を悩ませている大元の原因が目の前のシンペーなんだけど……そんなことは思ってもいないであろうシンペーは、訝しげな顔で俺のことを見下ろしている。あぁ、ホワイトデーの準備の作業に驚いているのかな?
「手伝いたそうな顔してるねぇ。一緒にやるー?」
「……やれってんなら手伝うけど。おちょくってんならお断りだぜ」
「つれないなー。でもそれって、こっちが困ってたら協力してくれるってこと?」
「あァ?」
シンペーが引き返そうとしたところで、少し揺さぶりをかけてみる。この流れであの話は……できるかな?
「お前、なんか困ってんのか」
「えっ? あー、いやーどうだろ……」
「なんだよハッキリしねぇな」
あぁダメだ。シンペーの優しさにつけ込もうと思ったけど、俺の良心の方が勝ってしまった。――逃げ道を無くして強要するのは良くない、よね? やっぱり誠実にお願いしないとだよなぁ……。
「ったく、困ってんのは俺の方だよ……」
「え、なに? どうしたの?」
「あ? いや、なんでもねぇよ」
「いいや分かるね。ホワイトデーのお返しでしょ!」
俺が用意しているホワイトデー用の大量のお菓子を見てシンペーが固まったのは十中八九そのせいだと、俺は確信していた。実際にそう言ってやるとシンペーは分かりやすく表情を凍り付かせる。ふふん、流石は俺。
それにしても。……やっぱりまだ何にも思い付いてる様子はなさそうだなぁ……ホワイトデーのこと。ってか、実は俺が今用意しているこれってシンペーの分も含まれてるんだからね? 今年、シンペーに渡せなかった女子が代わりに俺に渡してきた分が多いことで。
まぁそんなことは本人には言ってやらないけど。シンペーは、たった一つの大切なバレンタインチョコを大事に大事に平らげたことだろうから、それに見合ったお返しを用意する気ではいるのだろう。ただ、俺が知る限りじゃシンペーはそういうことの経験が今まで一切ないはずだ。
“返すのが面倒だから、受け取らない”。シンペーはずっとこのスタンスだったし、無理に押し付けられたとしても絶対に手は付けない。……それを、今年はついにやっとその気になったって訳だ。
「キョウ大先輩のありがた〜いアドバイスとか聞く?」
「喧しい。余計なお世話だってんだよ」
「見栄張っちゃってさー」
「うぜぇ」
バタンと勢いよくドアが閉まる。照れ隠しだな、あれは。珍しい兄の姿に萌えそう。うん、この調子で盛大に悩むといいよ我が兄よ。
これも経験、それもシンペーにとっては数少ないであろう経験だからさ。
ってあれ。違う違う! 俺、シンペーに交渉しなきゃいけないんだった!
……でもまぁ、ちょっとしばらくはいいかな。俺は俺で忙しいし、シンペーも……今は心ここにあらず、の状態だからね。
◇
三月十四日は大忙しだろうから、前日に済ませられる分は先に済ませておきたい。ということで、俺はまず詠ちゃんにアポを取った。
今日はバイトもお休みだってことですんなり会えた。せっかくなので俺の家に上がってもらうことにした、詠ちゃんは少し緊張気味みたいだけど。あれ、前にも来たことなかったっけな?
「ようこそ、詠ちゃん! 好きに過ごしてていいからねー」
「お、お邪魔します……?」
詠ちゃんはまず玄関で靴をじっと眺めていた。多分、シンペーがいるかを確認したかったのだろう。それを汲んで俺が「今日はバイトだから遅いと思うよ」と付け加えるとはっとして、それから恥ずかしそうにして笑った。
「取り敢えずリビングに座ってて! あ、俺の部屋でもいいけど……それともシンペーの部屋がいいかな?」
「リビングで。……揶揄ってるでしょ!?」
「バレたか!」
学校帰り、制服のままの詠ちゃんは多分長居する気はないのだろう。まぁ俺もそんなに長く引き留める気はないんだけど……何となく、なんだかんだでしばらくお喋りしているんだろうな、と思う。
「んじゃあ、ホワイトデースペシャルってことで振る舞っちゃうよ! ……と言ってもほとんど下準備で完成してるようなもんだけどね!」
「すごい、いい匂いするね。なに焼いてるの?」
「それはねー……あとちょっとのお楽しみだよ」
詠ちゃんへの“お返し”は、少し他より色を付けて。詠ちゃんがくれたアイシングクッキーはかなり手が込んでいたし、それにお徳用のお菓子で返すのは忍びない。それに今までたくさんお世話になったし、そのお礼の意味も込めてね。
喫茶店のアルバイトで積んだ経験を活かして、今回は少し難しめのお菓子作りに挑戦してみた。成功してくれるといいんだけど。
「そう言えばさ、詠ちゃん」
「うん?」
「バレンタイン以降でシンペーと会って話した? それか連絡取ったりとかって……」
「いっ、いや? 全然……全く……」
歯切れ悪くそう言う詠ちゃん。多分、本当なんだろう……何やってんだシンペー。俺があからさまに呆れ顔になったのを見て、詠ちゃんが気まずそうに微笑んだ。あーもう、俺たちはこうやって気遣わせてばっかりだ。
「それじゃあ今日は俺のターンってことで。……ちょっと時間掛かりそうだな。漫画でも読む?」
「恭くん、漫画読むんだ」
「まぁね! 俺、基本的にはインドアだからね」
と、俺のおすすめのアメコミをテーブルに並べてみる。そう言えばこれの実写映画を詠ちゃんと一緒に観たんだっけなぁ、懐かしい。
俺が早口におすすめポイントを語りながらシリーズの解説をしていると、ふと詠ちゃんが絶妙な困り顔で俺を見ていることに気が付いた。何かと思ったら――あ。そうだ、これ、原作そのままだから英文のままだ。しまった、日本語訳の方はスイくんに貸してたんだった!
・・・ ・・・
そろそろ時間かな。
結局、詠ちゃんとは取り留めのない世間話で盛り上がった。特に中身のない話題ばかりだったけど、こんなに頭を使わなくても心の底から笑えるくらい楽しい時間を過ごせるってことは、俺たちってやっぱり気が合うのかもしれない。
オーブンに入れてからの時間がそろそろいい塩梅なので、俺は立ち上がってキッチンに向かう。オーブンを覗くと、予想通り完璧な仕上がりだ。
「詠ちゃん、できたよ」
「おおっ……見てもいい?」
「今お皿に出すから待ってて!」
俺が食器棚を漁り始まったタイミングで、玄関からガチャリとドアが開く音がした。――おおっと、これは。もうこんなに時間が経っていたのか。
「おい。客か――あ?」
「おかえり、シンペー。今日はいつもよりも遅かったね?」
帰宅してきたシンペー。時計を見ると、普段のバイト上がりの時間より少し遅い時間だった。多分どこかで野暮用を済ませて来たんだろうな。
ところでシンペーの反応が面白い。マフラーを解きながらリビングに顔を出したところで、ソファにいる詠ちゃんにすぐ気が付いたのだろう。分かりやすく動揺して、その手はピタリと止まってしまっている。……面白いなぁ。
そして詠ちゃんも詠ちゃんで「ど、どうも」と言いつつ、突如現れたシンペーに狼狽えている様子だ。詠ちゃんはきっとシンペーが帰ってくるまでにはお暇する算段だったのだろう。まぁ、いずれにしても俺はこの二人を引き合わせようとは思ってたんだけどさ!
「ごめんね詠ちゃん、つい楽しくて長く引き留めちゃった。これ一緒に食べようかと思ってたけど、やっぱり包んで渡すね」
「あ、なにを作ったの……って、すごっ!」
パタパタとキッチンまで駆け寄ってきた詠ちゃんが俺の手元を覗いて、感嘆の声をあげてくれた。嬉しいなぁ褒められるの。上手くできた分、余計にね。
今回作ったのはマカロンだ。ここからクリームを挟んで完成だけど、オーブンから出したこの状態で詠ちゃんはすぐに分かったらしい。ふふ、ちょっと難しかったけど挑戦してよかったな。
「仕上げて包装するから、もうちょっとだけ待っててくれる? あ、シンペーは着替えてきなよ」
「いや、待て……あ、いや。そうだな、着替えてくるわ」
あー面白い。俺はその場で爆笑したいのを必死に堪えていた。マフラーを解きかけた手はそのままのポーズで廊下に消えて行ったシンペーを見て、笑うなと言う方が酷だ。それにシンペー、普段は着替えなんてこのリビングで制服を脱ぎ捨てて後からハンガーに掛けてるのに……。
「詠ちゃん。はい、これ」
「すごいねこれ……なんか食べるの勿体ないなあ。ありがとう、恭くん」
「俺が貰ったクッキーはこの比じゃないと思うけどね。まぁ、喜んで貰えてよかった! ……ねぇ。シンペーが戻ってくる前にさ、もう出ちゃいなよ」
「えっ」
お菓子類を袋に詰める作業は普段からお店でもやってるし、ここ数日はそれを大量生産してたもんだから手慣れたものだ。手早く包装したラッピング袋を詠ちゃんに渡しながら俺がそう言うと、詠ちゃんは戸惑った声をあげる。
「あれ。なんか二人気まずそうだったからさ。違った?」
なんてね、こんなのはカマだ。でも詠ちゃんはそれを否定することもせず、頷くこともせず難しい顔をして黙っている。何を思っているのかまでは分からない。
でもこれは気遣い半分。……そして、意地悪半分。
「……分かった。じゃあ私、帰るね」
「うん。外暗いから、気を付けてね」
「お邪魔しました。恭くん、ありがとう」
詠ちゃんは少しだけ、本当に気まずそうにしながらペコリと頭を下げて――静かに玄関を出て行った。その背を見送りながらちょっぴり切ない気持ちになる。
……当て馬に徹するのって、分かっててもキツイね。
でも、好きな二人のためならそう苦ではない。
「キョウ」
パーカーに着替えたシンペーが再びリビングに顔を出した。と、部屋を見渡して詠ちゃんがいないことに気付いたらしい。あからさまに怪訝な顔で俺を睨んでいる。……何か言えばいいのに。堪えられなくて、思わず笑ってしまった。シンペーの眉間の皺がさらに深まる。
「詠ちゃん、もう帰ったよ」
「おい……まさか一人で帰らせたのか?」
俺が何も言わずにいると、シンペーは舌打ちを一つ響かせて早足に廊下を歩いて行った。そのままバタンと荒々しく玄関から出て行く音が聞こえる。
ほら、だからね。意地悪半分、気遣い半分ってワケ。
実はシンペーの説得の件、詠ちゃんにも協力してもらおうか? と益子ちゃんと話していた。きっと詠ちゃんの後押しもあればゴリ押しでシンペーのことを説得できるんじゃないかって。それには俺も概ね同意だったんだけど。
何だかね、今になって思ったんだ。この二人の間に割り込むのって野暮じゃないかな?
シンペーの詠ちゃんに対する感情を利用するような真似はしたくないと思ったんだ。それは二人だけのもので、俺たちが勝手に使っていいものじゃない。
……そんな訳で、俺たちのプランは再び振り出しに戻ったんだけどね。はぁ、どうしたものか。