8.雨が繋ぐ恋心
病院のロビーのテレビでは、昨日のニュースが流れていた。
「またしても、高齢者ドライバーによる事故です」
ロビーを通りかかった神立は、テレビの前で足を止めた。
「昨日午後4時半頃、横浜市で81歳の男が運転する乗用車が、店舗に突っ込む事故が起きました」
テレビ画面には、雑貨屋『ほまち』の映像が映し出されている。
それは、店のガラスが割れ、乗用車が店に突っ込んでいる映像だった。
「男はアクセルとブレーキを踏み間違えたということです。この事故で、高校生一人が巻き込まれ……」
神立は、静かに事故現場の映像を見つめていた。
× × ×
病室のベッドで、あおいは目を覚ました。
視界に入った自分の腕に、ブレスレットがないことに気が付き飛び起きる。
「え……ここって……」
あおいは、病室を見渡した。
そこへ、慈子がやって来た。
「あおい! よかった、目が覚めたのね。今お医者さん呼んで来るから」
「ねぇ、わたしって……」
「事故に遭ったのよ。覚えてる?」
「! あっ、あの時……」
「そうよ。それで、偶然通りかかった小糠先生が、あおいを助けてくれたのよ」
「えっ……」
小糠先生が助けてくれた?
あの小糠先生が……!?
慈子は、あおいにくちゃくちゃになった紙袋を差し出した。
それはあの日、雑貨屋『ほまち』で買った置物が入っている紙袋だった。
あおいが開けると、右半身が犬、左半身が猫でできた置物が顔を出した。
猫のあげた左手は、事故の衝撃によりもげていた。
「あ……」
× × ×
陽沙芽高校の教室では、今日も変わらず国語の授業が行われている。
そして、窓際にある、あおいの席だけが空いていた。
その夜、帰宅した優一郎は、小さな何かをそっと手に握りしめた。
そして、部屋にある引き出しに、その何かを仕舞い込んだ。
窓際のてるてる坊主は、そんな優一郎をニッコリと見守っていた。
× × ×
あの事故から少し経ち、その日学校終わりに、優一郎は病院へと向かった。
夕方、雨が降り始めた。
病室の戸が開く。
「先生!」
「どうも……」
「なんか、久しぶりな気がする」
「体調はどうですか?」
「うん、元気だよ」
「それは、よかったです」
「先生が助けてくれたんだってね」
「僕は何もしてませんよ。助けたのはお医者さんですから」
「……。ありがとう」
「……」
「壊れちゃったんだ……」
あおいは、紙袋から置物を取り出すと、優一郎の前に差し出した。
もげた猫の左手は、ボンドでとめられている。
「プレゼントだったのに」
「誰かに渡すものだったんですか?」
「先生にあげようと思ったの」
「え?」
「だって、誕生日だったでしょ?」
「あ……。そういえば。すっかり忘れてました」
「招き猫……」
「そんな、無茶しないでくださいよ」
優一郎は、置物を受け取った。
「ありがとうございます。大切にします」
先生は、いつも、わたしを助けてくれる。
気にかけてくれる。
今回だってそうだ。
きっと、わたしのことを心配してくれていて、自分の誕生日のこともすっかり忘れていたのだろう。
でも、その心配は、きっとわたしが自分の生徒だから。
先生は、誰が同じ目に遭ったとしても同じなのだろう。
そう思うと、少しだけがっかりしてしまう自分がいる。
でも、みんなに寄り添える先生だから、好きなのではないかとも思う。
「あと、わたしからも」
「?」
突然、先生は分厚い食パンを取り出した。
「あの、一応これ、お見舞いです」
「!」
「ここの食パン、なかなか美味しいんですよ」
あおいは食パンをちぎると、口に運んだ。
次第にあおいの目からは涙が溢れだした。
「どうしました? 口に合いませんでしたか?」
あおいは、首を大きく横に振る。
「違うの。だけど、なんでだろう……」
「食べたいって言ってましたもんね、このパン。泣くほど喜んでもらえるとは」
優一郎は、にっこり微笑んだ。
「え……」
相変わらず、先生は鈍感で、どこかずれている。
でも、そんな一面も含めて、わたしは先生が好きだ。
「あの……あと、これ」
優一郎は、バラバラになったブレスレットをあおいの前に差し出した。
「!」
「大切なもの……だと思うので」
「ありがとう」
「必死に集めたんですけど、でも、全部は見つからなくて……すみません」
「そんな……謝らないでよ」
「……」
「わたしの本当のお母さんは、心臓に疾患があったらしいの」
「えっ?」
「子供を産むのにリスクがあったんだって。それで……わたしを産んですぐに逝っちゃった」
「……!」
「わたし、ちょっと珍しい血液型なんだよね。わたしもこの事故で、ひょっとしたら死ぬとこだったのかな」
「……」
「安心して。死にたいだなんて思ってないから。先生と結婚するまでは死ねないもの」
「いや、それは、それで、その……困ります……」
相変わらず、先生は困った顔をした。
どうして、先生は先生なの……?
「ねぇ、先生。先生は、先生じゃなかったら、わたしになんて返事してくれた? それでも答えは同じだった?」
「それは……」
わたしは、聞いてしまった。
本当は、聞くことが怖かったはずなのに。
先生は、遠い過去を見つめるかのように、窓の外の激しく降る雨を見つめた。
その横顔は、どこか寂しそうで、悲しそうで、わたしは抱きしめたくなった。
この体が動くものなら、そうしていたのかもしれない。
「その日は、雨が降っていました……」
優一郎は、重い口を開いた。