6.一緒の傘に入ってくれますか?
夕方、杏花が話しかけてきた。
「あおい、帰らないの?」
「うーん」
「部活?」
「補習」
「えっ!?」
「ちょっとねー」
「?」
教室は、わたしひとりだけになった。
わたしには、やることがあった。
あおいはチョークを手に取ると、黒板に大きな傘を描く。
そこへ国語の教材を持った優一郎が入って来た。
「天清さん、分からないところがあるということですが……」
黒板を見て、優一郎の足は立ち止まった。
黒板には、相合傘マークが書かれている。
「……」
あおいは、傘の下の一方に『あおい』と書く。
そして、チョークを優一郎に差し出した。
「先生は一緒の傘に入ってくれる?」
「え……。これは一体……その」
「あのね。わたし……先生のことが好き」
「!」
「先生と結婚したい」
「……」
沈黙が流れ、教室には時計が時を刻む音だけが響いていた。
教室の窓は開いており、強い風が吹き、カーテンが揺れる。
「な、何言っちゃってるんですか……」
優一郎が動揺しながらも声を発した。
「ねぇ、わたしと付き合って」
「そんな、冗談、からかわないでくださいよ」
「冗談じゃない。本気よ」
「だっ……好きな人いるってこの前!」
「いるよ。それ、先生のことだから」
「あっ……え……!」
あおいは、窓の外を見つめる。
あおいの横顔を見て、優一郎は息を呑んだ。
「いけません。わ、わたし達は、せ、生徒と教師です」
あおいに渡されたチョークを、優一郎はそっと置いた。
「先生と生徒。何がいけないんだろうね」
「……」
「先生は、どうして先生なの? なんで先生になったの?」
「……」
「分かってた。こうなることなんて。でも、伝えたかったの」
「……」
「違う形で出逢えたら、今は違ったのかな……」
あおいは、優一郎に微笑んで見せた。
その夜、薄暗い部屋の中で優一郎はひとり頭を抱えていた。
その様子を、窓際のてるてる坊主が見守っている。
× × ×
「はぁあ? 告白した!?」
「声が大きい!」
「あおい大丈夫? 熱でもあるんじゃない?」
「何よ、平熱よ」
「若くてカッコイイ先生なら、100歩譲ってまだ分かるわよ? けど、小糠先生って……アレよ? アレ!」
「うん」
「もうこっちが熱でそうよ」
杏花は、わたしが先生に告白した話を聞き、かなり困惑した様子だった。
若くてカッコ良ければよかったのだろうか?
それなら理解できるのだろうか?
わたしも、わたし自身がこうなる未来など予測できなかった。
そして、告白して振られることも初めから分かっていた。
分かっていて伝えたいと思った。
こんな気持ちは初めてだった。
先生と生徒では、何故ダメなのだろう。
一体誰がそんなルールを作ったのだろう。
わたしのこの気持ちは、罪なのだろうか。
少なくとも、出逢った場所が違ったら、立場が違ったら、この気持ちは罪だと言われない。
人はきっと、いけないことだと言われるほどに惹かれていく。
わたしもそうなのだろうか。
少なくとも、あの日雨の中、母の形見のブレスレットを必死に探す先生の姿に、心が締め付けられたのは事実だ。
そして、うまく言葉にできないが、先生とは深いところで繋がっているような、繋がっていてほしいような気がした。