19.優しい日々は、いつも雨
パラパラと雨が降り始め、次第に地面を濡らしていく。
優一郎は空の様子を気にすると、傘を差し歩き出した。
仲見世通りを歩き、『生しらす』ののぼりを横目に、上へとのぼって行く。
人々の傘が行き交う、青銅の鳥居前、雨が次第に強まっていく。
あおいは鳥居をくぐると、雨も気にせず、人々の傘をかき分け走り続けた。
傘を差した優一郎が階段を上がり、朱の鳥居をくぐる。
優一郎は、目の前にある瑞心門を見つめ、再び歩き出した。
「先生!」
優一郎の背後で、声がした。
聞き覚えのあるその声に、優一郎の足が止まった。
優一郎が振り返ると、そこにはずぶ濡れのあおいの姿があった。
優一郎を追うあおいは、足がもつれ、階段で足を滑らせた。
「!」
転倒したあおいの膝から、血がにじんだ。
優一郎は、慌ててあおいのもとへ降りてくると、差していた傘の中にあおいを入れる。
「先生、先生は……本当は、ホントは……」
「……」
「わたしの……」
震える声で、言葉を絞り出すあおいの目から、涙が溢れた。
「そんな、無茶しないでくださいよ」
あおいは、困った顔の優一郎を見つめた。
「これは、わたしが昔、大切な人に渡したものなんです」
優一郎は、『IZUMI』と刻まれた珠をあおいに差し出した。
「言ってくれなきゃ、分からないじゃない。こころは見えないんだから」
優一郎は、あおいを強く抱きしめた。
その目には、涙が光っていた。
あおいと優一郎が、辺津宮までやって来ると、激しく降っていたはずの雨は、突然止んだ。
手を合わせる二人を包むように、風が通り過ぎる。
「展望台に行きませんか?」
優一郎の誘いに、あおいは曇った空を見上げた。
「こんな天気なのに?」
「展望台は、天に一番近いですから」
優一郎の言葉に、あおいは空に手を伸ばした。
「そうだね」
優一郎は、あおいの横顔を見て、微笑んだ。
「わぁー!」
「不思議ですね。さっきまであんなに降っていたのに」
あおいと優一郎は、江の島展望塔から、外に広がる景色を見つめた。
雲の合間からは、晴れた空が顔を出していた。
「別れの意味じゃなかったんだ、わたしの名前」
「!?」
「もう一度逢えるように。縁があるように……」
あおいは、くちゃくちゃの紙を取り出すと、優一郎に差し出した。
それは、あの日見つけた、てるてる坊主の中身である。
優一郎は、その紙を受け取ると、文字に目を通した。
「!」
「先生の恋人がいなくなったのは、わたしを産む為だった」
「……」
「もし、死のリスクを持つ恋人が、産むって言ったら、先生はやっぱり止めた?」
「……」
「お母さんが突然消えたの。それがお母さんの優しさだったんだよ」
くちゃくちゃの紙に書かれた『村雨いずみ』の文字に、優一郎の涙が落ちた。
江島神社の入口には青い鳥居がある。
悪い縁だったら切れてしまう。
でももし、本当に縁があるのなら、もう一度。
江島神社、それは雨が降ったらきっと逢える場所。
事情を言えなければ、それは裏切りになってしまうのかもしれない。
想いは伝えるべきだ。こころは結局、見えないのだから。
目の前から消えてしまった後では、もう取り返せないこともある。
だけど、それでも、何か伝えたかったことがあるのかもしれない。
『あおい』、わたしの名前は、もう一度、先生に出逢うために名付けられた名前だった。
「先生、わたし、この星に生まれてこれてよかったよ」
あおいは、優一郎に微笑んで見せた。
そして、涙が溢れないように、外の景色に目を移した。
「わたしは、あの日、あなたを助けられてよかった」
あおいの後ろ姿を見つめ、優一郎は涙ながらにそうこぼした。
あおいと優一郎は、瑞心門で、階段下に広がる景色を見つめた。
それは、その昔、父と母が見つめた景色だった。
「一瞬は、時に永遠……」
「はい……」
帰り道を歩いていると、晴れているのに、再び雨がパラパラ降り始めた。
水溜りには、雨滴の波紋が次々と広がった。
「あれ? また雨?」
「まるで狐の嫁入りですね」
優一郎は、傘を差そうとした。
「お父さん、一緒の傘に入りませんか?」
「はいっ」
優一郎は傘を差すと、その傘にあおいを入れた。
あおいと優一郎は、互いに顔を見合わせ微笑んだ。
雨の中、あおいと優一郎の相合傘が進んで行く。
6月15日。
その日は、雨が降っていた。
それは、わたしの父と母が出逢った日。
そして、わたしが父と出逢った日。
優しい日々は、いつも雨。
END




