15.最初で最後のデート
その日、公園の噴水前で、スーツ姿の優一郎はうろうろしていた。
そこへ、オシャレな服装に首からカメラを提げたあおいがやって来た。
「え、デートでスーツ?」
あおいは、優一郎の姿に思わず笑った。
「デートって……」
「スーツで来るって、いつもと変わんないじゃん」
「そんな、オシャレな服なんて持ってないんですよ」
「オシャレ? わたし、オシャレ?」
「いや……というか、これも一張羅ですよ?」
「先生っぽい」
先生は普段と変わらず、やっぱり先生で、わたしが口にした『デート』という言葉にも動揺を隠せずにいた。
先生にとってこれは、『デート』ではなく『生徒の一生のお願い』に付き合っているにすぎない。
先生は一緒の傘に入ってくれない。そんなことは分かっている。
それでも、今日は、この時間は、わたしだけのものだ。
あおいと優一郎は、鎌倉から江ノ電に揺られ、江の島を目指した。
隣に座っている優一郎の手に、あおいはそっと手を伸ばした。
「天清さん、海ですよ!」
「!」
わたしのすぐ横にあったはずの先生の手は、窓から見える海を指差している。
タイミングとは実に難しいものだ。
「海は何歳になってもいいものです」
先生は、わたしの気も知らず、窓の外を眺め嬉しそうだった。
あおいと優一郎は、江の島弁天橋を渡り、江島神社へと進んで行く。
青銅の鳥居の前にやって来ると、優一郎は嘗ての恋人のことを口にした。
「ちょうど彼女と出逢ったのは、僕が進路に悩んでいた高校二年生の頃でした。息抜きに一人で江の島に来たんです」
あおいは、優一郎の話を聞き、鳥居にカメラを向けると、シャッターを押した。
あおいと優一郎は、左右に並ぶ店を眺めながら、仲見世通りを抜け上へとのぼって行く。
「彼女は、高校一年生。当時、高校の先生に恋をしていたんです」
「えっ!」
「その恋を叶えるべく、この神社に来ていたんですよ」
「そうなんだ!」
「僕は、自分も先生になったら振り向いてもらえるんじゃないかと、浅はかな考えで教師を目指し始めました」
「え、それで先生になったの!?」
「どうか、してますよね」
先生は、わたしが聞きたいであろう恋人との過去を、照れながら話してくれた。
わたしが必死におねだりする前に、自ら過去を語る今日の先生は、やけに素直に思えた。
そして、先生の想い人は、まるでわたしと同じだった。
高校の先生に恋してたなんて。
その恋を叶えるためにこの神社に来ていたなんて。
先生、そんなこと普通、このわたしに話します?
それって、先生との恋を成就もあり得るってことですか?
期待してはいけないのに、わたしはまた期待してしまいそうになる。
小糠先生、なんて罪な人……。
朱の鳥居をくぐり、瑞心門の前まで来ると、優一郎は語った。
「6月15日、ここで出逢ったんです」
「……」
「もし、突然雨が降ってこなかったら、僕と彼女は、すれ違うだけだったんでしょうね」
「きっと、神様が引き合わせてくれたんだね」
「……だと、いいのですが」
「素敵な、縁だよ……」
「……」
「人は、出逢うべくして、きっと出逢うんだよ」
あおいは、瑞心門にカメラを向けると、シャッターを押した。
「その年から、毎年6月15日は、この場所に来ています」
「今でも?」
「はい……」
辺津宮で参拝すると、あおいは、何かを祈る優一郎の姿をチラリと横目で気にしていた。
あおいと優一郎は、風景を見ながら中津宮に向かう。
あおいは飴玉を二つ取り出し、その一つを優一郎に差し出した。
「先生、一個あげる」
「飴? ですか?」
「うん、飴」
あおいの“飴”のイントネーションは“雨”だった。
優一郎は、あおいから飴玉を受け取った。
「先生は、さっき何をお願いしたの?」
「え……」
「恋人にもう一度逢えるように?」
「まさか……。もう、いいんですよ」
「わたしは、お父さんに逢いたいって頼んだの」
「……」
「いつか、逢えたらいいな」
あおいは、飴玉を頬張った。
先生は、もういいと答えたけど、それはきっと、もうよくない。
もうよかったら、毎年江島神社に来ないはずだ。
今でも、もう一度逢える日を待っているのだろう。
先生の想い人は、太刀打ちできないほど手強かった。
「あ、おみくじ!」
中津宮で、あおいは不思議なおみくじを見つけた。
「水みくじです」
「水みくじ?」
あおいは、文字の書かれていない真っ白な水みくじを水琴窟に持って行くと、水に浸した。
すると、真っ白な表面に、徐々に文字が浮かび上がる。
「わあぁ!」
やがてその文字は、『大吉』を現した。
「ねぇ、大吉!」
「それはよかったです」
「先生も、早く!」
「は、はい」
優一郎は、同様に水みくじを浸した。
あおいは自分の水みくじの『願い事』の欄に目を通した。
「『意外な人の助けありて叶う事あり』……。意外な人?」
優一郎の水みくじの文字が、次第に浮かび上がる。
「先生は?」
そこには『末吉』の文字が浮かび上がっていた。
「末吉?」
「相変わらず。僕はだいたい、こんなもんですよ」
「……!」
「いつだって辛いことは永遠で、楽しいことは一瞬かもしれません。でも一瞬は、時に永遠なんだと僕は思います」
「え……」
「写真と同じです。僕らはその一瞬を、永遠にする力を持っています。きっと」
水みくじを持つ優一郎の手に、力が入る。
「僕はずっと、彼女を探すように教師をしていたんでしょうね……」
× × ×
杏花が、教室の戸を勢いよく開けた。
「みんな! 高橋先生が戻って来たよ!」
待っていたと言わんばかりに、クラスメイトは盛り上がった。
あおいは、一人窓の外に目をやった。
そこには、高校を去って行く優一郎の背中があった。
クラスのみんなは、高橋先生を笑顔で出迎える。
小糠先生との別れは、あまりにもあっさりしていて、わたしには誰も寂しがっているようには思えなかった。
誰が見ているわけでもなく、先生は校舎に一礼すると、『陽沙芽高校』を去って行った。
「さようなら、先生……」




