第13話 忍び寄る影
「アイリス殿……まだ来ないな……」
彼女との集合場所である、街中にある巨大な噴水の前で懐中時計を見ながら、俺は深く溜息を吐いた。
今日はアイリス殿の誕生日。彼女に喜んでもらうために、その場で購入するプレゼントと、実は用意していたサプライズプレゼントを持ってきたのは良いが、肝心の彼女が来なくては意味がないではないか!
「もしかして、すっぽかされた……? いやいや、あの優しいアイリス殿がそんな事をするはずがない!」
俺とした事が、一瞬でもアイリス殿を疑ってしまうとは情けない! 今すぐにでも自分をぶん殴りたいが、さすがに街中でそんな奇行をしたら変な目で見られてしまうし、万が一アイリス殿に見られて嫌われてしまったら絶望しかない!
とにかく今の俺に出来るのは、アイリス殿を信じて待つだけだ! 何時間だろうが待ってやるぞ! なにがあってもここを動かん!
「あの、ちょっといいですかな……」
「む? 俺か?」
「ええ」
決意をした矢先、一人の老婆に話しかけられた。腰が深く曲がっているうえに杖も突いているからか、今にも倒れてしまいそうな印象を受ける。
そんな老婆が、俺に一体何の用だろうか?
「ちょっと困っていましてなぁ……荷物を運ばなくてならんのじゃが、重くて馬車に乗せられなくてのぉ……」
「なんと、それは大変だな! だがすまない、ここで人を待っていて離れられない。申し訳ないが、他の人を頼ってほしい!」
重い荷物どころか、軽いものを持たせても危なさそうだ。放っておくのは心が痛む……だが、俺はここでアイリス殿を待つという大切な使命が!
「そうですか……困ったのぅ……早くしないと、孫が待っているのに……」
「…………」
我慢……我慢だ俺……己の正義感を抑え込め……そして、俺はアイリス殿をここで待つんだ……。
「あの荷物を運ばないと……孫が路頭に迷ってしまう……うぅ……」
「……あぁぁぁもう! わかった、手伝うからちょっと待っててくれ!」
正義感と罪悪感に敗北した俺は、すぐ近くにあった花屋に入ると、店主と思われる若い女性に話しかけた。
「いらっしゃいませ。何かお探しですか?」
「急にすまない! あの噴水で人を待っているのだが、一時的に離れなくてはならなくなってな! もし水色の髪の美しい女性が困っていたら、待ち人はすぐに戻ると声をかけてほしい!」
「え、えぇ?」
「勿論謝礼はする! この大きくて見事なブーケを買わせていただく! 届け先はディヒラー家のレックスに頼むぞ! これは代金だ! つりはいらん!」
「あ、ちょっとお客様!?」
急いでいたせいで、まくし立てる形になってしまったが、俺は金貨がたくさん入った麻袋を置いて花屋を後にした。
本当はアイリス殿の誕生日プレゼントを購入する資金だったのだが、致し方あるまい! まだ残っているし、アイリス殿なら事情を説明すればきっとわかってくれる!
「待たせたな! さあ案内してくれ!」
「ありがたやありがたや……このご恩は忘れませんぞ」
俺は老婆の歩くペースに合わせて歩き出したのはいいのだが、歩けば歩く程、人気がなくなっていき――いつの間にか寂れた裏路地に連れていかれた。
なんだろうか。嫌な予感がする。
「……ご老人、こんな所に荷物があるのか」
「くっくっくっ……馬鹿な男だねぇ」
「むっ……これは!?」
異変に気づいた時にはもう遅かった。狭い路地裏に連れて来られた俺の前後から、武装をした男達がやって来た。
随分と穏やかではないな……一体何が目的だというのだ!
「貴様ら、一体何を――かはっ」
「ふん、天下のディヒラー家のご子息様でも、さすがに不意打ちには対応できないってか」
何が起きてもいいように魔力を溜めようとした瞬間、後頭部に強い衝撃を与えられた俺は、それに耐えきれずにうつ伏せに倒れてしまった。
くそっ……不意打ちとは卑怯な……そもそも、こいつらは一体……駄目だ……意識を保てない……アイリス殿……。
「ばあや、ご苦労だった。後は俺達が……さあ、こいつを運べ!!」
****
「……ここは」
次に目を覚ました時には、俺は先程までいた路地裏ではなく、ボロボロの倉庫に倒れていた。手足がロープで縛られているせいで、立ち上がる事が出来ない。
一体何がどうしてこうなった。こんな所で油を売っている場合ではないというのに!
「やっとお目覚めか」
「……あなたは……」
俺に声をかけてきた男……見覚えがある。確か伯爵家であるマールム家の次男、ロック殿だ。
いや待て、周りの武装している連中の中に、彼以外にも様々な貴族の男が紛れている。確かロック殿や彼らは、アイリス殿に言い寄っていた連中だったはずだ。
——まさか!?
「俺を拉致して、何が目的だ!?」
「アイリス・ハーウェイと縁を切るとここで誓ってもらう」
くっ……やはりそう言う事か! 言うに事を欠いて、アイリス殿と縁を切れだなんて……そんなの絶対に了承など出来ん! こんな縄などさっさと燃やし、こいつらを倒してアイリス殿のところに行く! そしてこいつらの家と自警団に報告し、法の裁きを下す!
「ぬぅぅぅぅ!! む……なぜだ、なぜ燃やせない!?」
「無駄よ。そのロープは縛った相手の魔力を封じる素材で出来てるの」
「その声は……そうか、あなたも絡んでいたか……ディアナ・ハーウェイ!!」
物陰から不敵に笑いながら出てきたディアナ殿……いや、ディアナに怒声を浴びせるが、一切怯む事なく近寄ってきた彼女は、俺の頭を思い切り踏みつけてきた。
この女が絡んでいるという事は、この計画の首謀者はハーウェイ家だろう……一体あいつらはどれだけアイリス殿を苦しめれば気が済むというんだ!!
「あんた、随分と私を馬鹿にしてくれたよねぇ? しかもこの美しい顔に傷までつけて!」
「がはっ!?」
抵抗が一切できないのを良い事に、ディアナは俺の事を何度も蹴り、風の魔法で吹き飛ばして壁に激突させたりと、非道な事をしてきた。
くっ……痛みで一瞬意識が飛びそうになったが……絶対に俺は負けん! 俺がアイリス殿を見捨てたら、一体誰が彼女を救うんだ!
「ほら約束しなさいよ。アイリスには金輪際近づかないって!」
「断る! それに、そもそもそんな事を言わせて何になる!!」
「あら、侯爵子息様とあろうものが、随分と勉強不足ね。世界には、誓わせた事を絶対に守らせる、闇魔法の一種があるのをご存じない?」
闇魔法……破壊や呪いといった、負の力を象徴とする、禁じられた魔法。勿論俺も知っているが……実際に使い手を見た事は一度もない。
「そんな魔法の使い手など……」
「残念ながら、俺がその使い手だ」
「ロック殿が……!? 馬鹿な……!?」
マールム家に闇魔法の使い手がいるなど、聞いた事がない! そもそも闇魔法は使い手が極端に少ない魔法だというのに!
「俺の家は代々闇魔法の使い手でな。裏の世界で闇魔法を使って成り上がった一族だ。公には公表していないが」
「凄いでしょ? 私もお母様から聞いた時にビックリしちゃったわ!」
「ふっ、ハーウェイ家のご夫婦は、何度か我が父と取引をしていたからね。だからご存じだったのだろう」
「まあそういうわけよ。ただこの魔法は、契約魔法を使ってるとわかった上で契約しないと駄目らしいのよ。だから、さっさとあのバケモンから身を引くと誓いなさい。あと、今回の件を絶対に漏らさないという誓いもしてもらうわ。そうすれば解放してあげる」
……自分が助かるために、アイリス殿を犠牲にしろと? そんなの……そんなの!
「……答えは決まっている」
「なら早く聞かせて頂戴」
「断るっ!!」
「そう……なら」
ディアナが小さく手を上げたのと同時に、周りにいた男達が一斉に俺に暴行を加えてきた。
殴る。蹴る。斬る。叩きつける。あらゆる方法を用いた拷問に、俺の身体は無惨な姿に変えられていく。
「ほらほらぁ〜つらいでしょ? 苦しいでしょ? あんなバケモノの事なんか忘れて、楽になりなさい」
「俺の世界一大切な女性を馬鹿にするな……世界一醜い女め!」
「また醜いって……!? もう絶対に許さない! 死んでも恨むんじゃないわよ!!」
「がはっ……」
くそっ……負けん……俺は絶対に負けんぞ! こんな卑劣な奴らに、絶対に屈したりなどしない……!!
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