第6話 興奮と困惑
俺は自室へと戻っていた。
「お疲れさまでしたノーム様」
「本当に疲れたよ」
先に逃げたリビアに妬ましく睨みつけ愚痴を吐く。
本当に身の縮み上がる思いだった。
できればもうしばらくは味わいたくないが、ノームの身である以上避けられないのと分かっているのがまた難儀である。
「流石にこれからの予定はないよな?」
睨むようにリビアに問いかける。
「入っておりません」
リビアは苦笑いを浮かべながら首を振った。
良かった、今日はもう自由なようだ。
だがしばらく部屋から出るのは止めておこう。
父やアイリスと出くわしかねない。
「良かった、なら今日はもうリビアも自由にしていいぞ」
「そうですか、承知しました。何かありましたらお気軽にお呼びください」
リビアが出て行き部屋に1人となる。
さて、早速行動を開始するべく、立ち上がり上着を脱ぐ。
改めて露になるだらしない身体。
未だにこの身体に慣れない。
「よし、始めるか」
手を地につき足を伸ばす。
そしてその体勢のまま肘を曲げ元に戻す。
以前、冒険者の人に教えてもらったトレーニングメニューの一つだ。
魔法師と言えど勇者パーティに身を置く者として、身体も鍛えるべきだと判断し、実践していた。
もちろん始めたての時は、10回するのもやっとで自分の不甲斐なさを痛感したことを思い出す。
「……できねえ」
だがノームとしての現実はもっと厳しかった。
1回もできる気がしないのである。
理由は簡単だ。
腕の筋力が足りないのと、単純に身体が重い。
俺自身として、ここまで脂肪を溜め込んだことがなかったので甘く見ていた。
まさかここまで運動の妨げになろうとは。
これではトレーニングどころではない。
「これは……上半身は無理だな」
ひとまず下半身を鍛えるメニューへと変更することにした。
上半身中心のトレーニングは体重を落としてからやることにしよう。
「1、2、3――」
膝を曲げて伸ばす。
それを何回か繰り返すごとにカウントを上げていく。
単純な運動だが、やはり以前に比べても疲労感が半端ではない。
「はぁはぁはぁ……」
案の定直ぐに息が切れて、その場に座り込んだ。
一度できていた経験があるせいか、全く達成感が得られずもどかしい気持ちが続く。
こればかりは地道に繰り返しやっていく他ない。
「よし、もう一回」
震える足に力を入れ、もう一度同じ運動を繰り返す。
そしてまた数回で限界を迎え、へたり込む。
そのサイクルを何回か繰り返し、最終的には床に倒れこんだ。
「はぁはぁはぁ、今日はこのくらいで……」
もはや立ち上がることさえできないレベルだ。
汗の量も凄まじいもので、着ていた肌着もずぶ濡れである。
しかし脱ぐ体力も残っておらず、俺はそのままの状態でただぼんやりとしていた。
動くのは億劫なので、動かずにできることはないかとぼんやり考える。
このまま眠ってしまっても良いかもしれないという甘い誘惑もありつつ、ぼんやりとしていると、ふと思い出した。
アイリスとの会談前のこと。
魔法論についてのことを。
「せっかくだから試してみるか」
筋力の疲労に魔法はほとんど関係がない。
寝たままでも実験くらいはできる。
果たして、今の俺は水属性魔法が使えるのかどうか試してみよう。
「水流操作」
俺は手のひらを天井に向けて上げ、魔法を唱えた。
対象とする水は、自分から滴り落ちる汗だ。
だがやはり自分の身体じゃないからか、いまいち魔力の流れが感じにくい。
俺は目を閉じ集中することにした。
ゆっくりと魔力の流れを感じ、手のひらから放出する。
順調に魔法が発動している感覚が身体に行き渡ってきた。
そして目を開くと、目の前に汗の粒が浮かんでいくのが見えた。
水流操作の成功だ。
「ふう……わわっ」
魔法を解いた瞬間、浮かんでいた汗が俺の顔に降りかかる。
無事魔法は発動できた。
だがやはり身体が違うためか、若干勝手が違う。
魔法に関してもトレーニングが必要そうだ。
しかし今思うべきことはそんなことではなく、魔法師ならば魔法論の正解について感動するべきである。
魔力属性は魂からもたらされるものだった。
その結論がたった今確定したのだ。
つまり魔法工房が出したあの研究論文は間違っていなかったということになる。
「ははは、まさかあの魔法論の答えがこんな簡単に分かっちゃうなんてな」
寝転がりながら、空に向かって呟く。
正直なところ、俺自身としては魔力属性は身体に宿る派の魔法師だった。
何故なら魂なんてあやふやなものを信じていなかったからだ。
しかしこうしてノームになった今、魂の存在を信じるしかないし、答えもこうして出た。
魔力属性は魂に宿る、これが結論だ。
「ふう、暇だしトレーニングがてら遊んでおくか」
もう少ししたらリビアが昼食のために呼びに来るはずで、それまで魔法で暇を潰すことにした。
しかしリビアが魔法師なら、今回出た結論を実践を交えて熱く語り合いたいところだが、生憎とそうではないのが非常に残念だ。
アイリスなら分かってくれるかもしれないが、そもそもそういう仲でもないから無理だとして他に話せるような人もいない。
勿体ないことだが、この感動はひとまずお預けということになる。
「ノーム様、昼食のお時間……何をなさっているのですか?」
予想通りリビアが昼食のために呼びに来た。
だが俺の様子を見て驚き固まってしまっている。
それもそうで、今の俺はベッドがあるにも関わらず床に寝転がっている状態。
しかも汗びっしょりでだ。
リビアからしてみれば、奇妙な光景に映っていることだろう。
「ああ、少しトレーニングをしていてな」
「いえ、そのことではなく」
リビアは俺の目の前に浮かぶ水滴を指差す。
「魔法の水流操作だが」
もしかすると水流操作の魔法を見たことがないと思い説明を行う。
「それは存じております、しかしノーム様は土属性、水属性は使えないはずでは?」
「確かにノームはそうだったんだが、俺は水属性の魔法師だったんだ」
「つまりロイ様がノーム様の身体に入り込むことで魔力の属性が変わってしまったと?」
「ああ、そうなんだよ!」
リビアも魔力属性についての知識はあったらしく、思わず興奮して頷く。
是非ともこの感動を誰かと分かち合いたい。
「……不味くないでしょうか?」
「……え?」
しかしリビアの口から出た言葉はネガティブなものだった。
「不味い? いったい何が?」
リビアの言っていることが理解できず素直に尋ねる。
「ロイ様とノーム様にある不整合の件です。性格だけなら何とかごまかしが効きましたが、属性まではどうやってもごまかすことはできないのではないですか?」
「……あ」
リビアに言われて唖然とする。
確かにそうだ。
性格については呪いの恐怖で丸くなったとごまかしていくことができる予定だが、魔法属性に関してはどうあがいてもごまかしが効かない。
水属性魔法で疑似的な土属性魔法を行うなんて絶対に不可能だからだ。
「の、呪いで魔力属性も変わったことに……いや、それこそ呪いによって別人になったと言われかねない」
呪い後に性格と魔力属性が変わった。
そんなのもはや別人だ。
原理を知らなくとも、ほとんどの人がそう思ってしまうだろう。
それに生きているうちに魔力属性が変わった人がいるなんて事例なんて聞いたことがないことも、今回の疑いに拍車がかかる。
すなわち魔力属性が変わるということは、魔法師にとっては別人になるということに他ならないのだ。
「ノーム様は現在長期休暇中のため学園には通っておられませんが、また1か月後には学園が始まるため、そこで魔法を披露することになる場もあるかと」
「そうか……ノームは既に入学済みだったっけ」
エルニア学園。
俺やアラン、アリアも通っていた学園だ。
ノームと出会うきっかけになった場所でもある。
俺はもう少し年齢が経ってからしか入学できなかったので、ノームの入学時期を失念していた。
今が長期休暇だったのは本当に運が良かったとしかいえない。
そして学園にはもちろん魔法の授業があり、実践形式で行うこともあった。
つまり学園に通う限り、魔法の披露は欠かせない。
ならば学園を行かなければ良いかと言うと、当然そうもいかない。
少なくとも平民の身であったなら辞める選択肢もあったかもしれないが、今の俺は公爵家の嫡男だ。
そう簡単に辞めるという判断ができるわけがない。
それこそ父に理由を問われ、正体がバレるかもしくは勘当されかねない。
それに魔法協会と繋がれるチャンスも失われてしまうため、学園には行く以外の選択肢はない。
「どうなさいますか?」
不安がるリビアと、焦る俺。
しかし回避策が何も思い浮かばない。
せっかく魔法論が解決したというのに、こんな問題を生じさせてしまうとは。
「……魔法論、もしかして」
ふと、俺は1つの可能性を思いついた。
「ノーム様?」
不安げなリビアを横目に俺は魔力を込めた。
そして願うように魔法を口にする。
「砂塵操作」
魔力の流れを感じる。
目には見えないが間違いない、確実に魔法が発動している。
「ノーム様、一体何を?」
「土属性魔法も発動できたかもしれない、薄っすらと砂粒が浮いているのが見えないか?」
「……え?」
リビアの絶句も理解できる。
俺だってあり得ないと思いながら魔法を唱えたのだから。
しかし実際に魔法は発動した感覚がある。
目に見えないのは、単純に操作した砂塵が細かすぎたため。
現に目を細めてみてみれば、自然の動きをしていない砂粒が目に入る。
「あ、本当ですね! ということは問題解決と言うことで」
「いいみたいだな」
結論としては、早速になるが答えを得たと思っていた魔法論が誤りだということが判明した。
魔力属性は魂だけでなく、身体の影響も受ける。
これが結論だ。
「ノーム様、どうなさいました?」
リビアが硬直してしまった俺を見て声をかける。
理由は簡単だ。
俺は興奮していた。
しかし興奮の理由は、魔法論の結論が再び得られたからではない。
憧れだった複数属性使いの魔法師となることができたからだった。