第45話 不意打ち
「今更もう遅い!」
レフィアとエルドの叫び声。
何事かと顔を向けるも、その後直ぐに部屋は静寂へと包まれた。
だが今回のそれは、皆が言葉を失ったからではない。
声も足音も鼓動音さえも俺の耳には届かない。
文字通り、全ての音が消えていた。
――まさか。
俺は音を発しない言葉を口から溢す。
この異常事態としか思えないこの現象に俺は思い当たる節があった。
無音空間。
風属性の空間魔法の一つであり、ある一定範囲の音を全てかき消す魔法。
故に詠唱を必要とする魔法師にとって見れば、大敵とも言える魔法だった。
そのため魔法師殺しとも言われている強力な魔法だ。
もちろん町中で使われていい魔法ではない。
俺はエルドを見た。
状況から考えて彼しかあり得なかったからだ。
彼は立って、その口元には笑みが浮かんでいる。
口元を見るに何かを喋っているようだが、案の定何も聞こえてはこない。
対してレフィアを見ると、彼女は悔しさに顔を歪ませ、忌々しそうにエルドを見ていた。
レフィアの予想は大方当たっていたのだ。
エルドが黒幕であったことも、魔法を準備していたことも。
ただし第三者の介入によって不意を突かれたこと、空間魔法という予想外の魔法であったことが重なり、最終的には出し抜かれてしまった。
彼女にしてみればこれほど悔しいことはないだろう。
そして何も気づくことができなかった俺は、情けなさで一杯だった。
エルドが歩み寄ってくる。
相変わらず音は聞こえず、魔法は使えそうにもない。
ただしそれは発動者であるエルドも同様だ。
空間魔法の特性上、範囲内にいる者には区別なくその効果が適用される。
文字通り空間を対象とする魔法だからだ。
そしてそれこそが無音空間の唯一の弱点とも言えよう。
俺と時を同じくしてにレフィアも臨戦対戦を取るのが確認できた。
彼女もこの場においては、近接格闘術しか対処法がないと分かっているのだ。
それ以外にも魔法の適用範囲外に逃げるという手もあるが、この状況では難しいだろう。
そしてエルドに向けて、ほぼ同時に襲いかかろうとしたその時、俺は何者かに組み伏せられた。
口から空気を零し、俺の上に乗る人物へ目を向ける。
そこにいたのはこの状況を作り出した張本人である森人族の兵だった。
やはりエルドと繋がっていたのだ。
俺は悔しさに口元を歪ませる。
慌ててレフィアを見れば、彼女も同様に腕を捕まれ拘束されてしまっていた。
魔法が使えない今、体格に劣る俺たちが兵に勝てる見込みは何に一つない。
エルドの勝ち誇った顔を見るに、全て計算通りだったのだろう。
初めの結界魔法も、図ったように訪ねてきた兵も、この無音空間も、全て彼の策だったのだ。
奇襲まがいの俺たちの策が全て読まれていたとは思わないが、もしもの対応策として取っていたのだろう。
敵ながらあっぱれと言うしかない。
――ただし最善策には一歩及ばなかった。
左手は拘束されているものの、右手は動かせる。
俺はすかさず拳を握りしめ魔力を込めた。
そして親指、人差し指を突き出し後方へ向ける。
丁度兵の顔付近に指が向けられていることだろう。
兵が嫌がるような素振りを見せたその瞬間、俺は親指を倒した。
瞬時に俺の背にかかっていた力が抜け落ちる。
そしてそのまま俺が起き上がると、その傍らには音もなく兵の身体が倒れ込んでいた。
見れば脳天に小さな穴が空いている。
言うまでもなく致命傷。
そしてその原因となったものは、水属性の攻撃魔法、水弾だ。
俺の魔法。
動式詠唱による、正真正銘俺の奥の手だった。
すぐさま立ち上がりエルドへ、そしてレフィアの後方にいる兵へ指を向けた。
二人は驚愕の表情を浮かべたじろいだ。
だがこれは威嚇などではない。
俺は遠慮なく水弾を放つ。
一つはエルドの頬を、もう一つは兵の肩を掠めた。
恐怖から二人は倒れ、レフィアの拘束が解ける。
その隙をレフィアが見逃すわけもなく、あっさりと兵は組み伏せられた。
そして同時にこの空間に音が戻る。
「なっ、何なんだお前は!?」
最初に聞こえてきた音はエルドの情けない声だった。
まるで化け物を見るかのようにこちらを見ている。
自分のほうがよほど異常者だというのに心外である。
「そうですよノーム君!」
と思っていたらまさかのレフィアからも同様の指摘を受けた。
彼女はしっかりと兵を戦闘不能に陥らせているところを見るに、彼女も十分に常軌を逸している。
「まあ特訓して……」
前世で習得したからなんて言えるわけもなく適当にごまかす。
呆然とするエルドに納得が行かない様子のレフィア。
そして未だに状況が掴めていない聖霊会の御仁方と、小さく隅っこで怯えているフィオナの姿があった。
「クソックソっ、せっかくここまで来てこんなにアッサリと!」
エルドが悔しさに顔を歪ませ怒号を飛ばす。
一体何がそこまで彼を駆り立てたのか。
興味がないといえば嘘になるが、今は早々に拘束するのが先だろう。
そうして俺は一歩足を踏み出す。
ビクリと身体を震わせ後退するエルド。
「お前達、こいつを捕らえろ!」
なりふり構わない様子で辺りに喚き散らすエルド。
するとどこからともなく数人の森人族兵が飛び込んできた。
中には聖霊会のメンバーも居る。
今まで潜伏していたのだろう。
流石は族長の権力というべきか。
チラリとレフィアを見た。
彼女はフィオナに駆け寄り、安全を確保していた。
流石は1等級魔法師、判断が早い。
「水波!」
俺を中心として水の波が立ち昇る。
だが彼らは立派な兵士。
すぐに魔法で対処しようとしてきた。
「氷結」
だからこそ俺も次の一手をすぐに打つ。
波立った水が瞬時に凍り、水に触れていた兵の身体が固まった。
「水弾」
ただしそれでも抵抗しようとする者がいたため、水弾を当て、戦闘不能に陥らせる。
「こ、氷魔法まで……!」
エルドは口をあんぐりと開け、恐怖で目を見開いていた。
「終わりだ」
そんな彼に指を突きつける。
もはや彼に抵抗の意思は見えない。
彼の敗因は1等級魔法師のレフィアに気を取られすぎて、俺というイレギュラーを見過ごしてしまったことだ。
せいぜい頭の冴える子どもにしか見えていなかったのだろう。
前世の記憶を持った奴の対処なんてしようがないのだから、仕方がないのかもしれないが、それでもそこに油断があったのは間違いない。
「ウッドさんを連れてきてください」
いくら活躍できたからといっても俺にこの場を仕切ることはできない。
レフィアもする気はないようだった。
ならば同族であり聖霊会でもあるウッドに任せるのが一番だと判断した。
「わ、分かった」
森人族の一人がパタパタと駆けていく。
後はウッドがこの場に来てくれるのを待つだけだ。
「一体どうしてこんなことを?」
俺は項垂れるエルドへ質問を飛ばした。
娘さえも犠牲にして成し遂げたかったことは一体何だったのか、気にならないわけがない。
「全ては森人族のためだ」
エルドはそれだけ言った。
真偽は分からないが、嘘をついているようにも見えない。
これ以上、追求することはできなかった。
それからはウッドが現れ、俺は彼に状況を伝えた。
始終難しい顔でウッドは話を聞いて、そのままエルドを拘束。
そのままエルドは牢屋へ入れられる運びとなった。
そんな彼の娘であるフィオナにももちろん事情は話すことになる。
衝撃と悲しみを受けた様子のフィオナだったが、グッと堪えた顔で俺達に感謝の言葉を告げてきた。
一族の姫らしい気丈な振る舞い。
立派だと思う反面、痛々しい気持ちで一杯になる。
だからこそ少しでも力になれるよう、始終側に付き添うことにした。
レフィアはあの後、俺へ凄まじいほどの質問を飛ばしてきた。
動式魔法、氷属性魔法は一体いつ身につけたのかと。
好奇心のままに質問を飛ばし続ける彼女に、何だか安心感を覚え、自然と笑みが溢れる。
いっそのこと俺の秘密を話してしまってもよいのではないか。
そんなことさえも思い始める。
と、そんなこんなで偶然の事故によって遭遇したシルフィア連邦森人族姫誘拐事件は幕を閉じたのである。




