大規模魔物討伐作戦【第一皇子SIDE】下
ただ作戦会議をするだけだけどというのに、ここまでする意味があるのか。
そうまでして、伝えたいことなのだろうか。
それとも、作戦会議はただの口実で、本当は別の何か……私と一対一でなくてはいけない何かがやるのだろうか。
自分でも意味不明な想像を繰り広げている内に、頭の中はどんどん余裕が無くなってきた。
眩暈を起こしている時のような感覚が、視界さえも正常かどうかわからなくさせる。
朝日が昇り始め、外は少しずつ明るくなってきているだろう。
しかし、明かりを点けていない締め切られたテントの中は薄暗いままだ。
不意に勇者に両肩を強く掴まれ、体が大きく跳ね上がった。
その拍子にバランスを崩し、幸か不幸か、すぐ後ろにあった机に尻が乗り完全にその場に固定される。
「それで新しく考えた案なんですけど――」
再び、息がかかる距離まで顔を近づけられ、反射的に顎を上げ後ろに顔を反らしたが、勇者の顔それを追いかけ迫って来た。
勇者はこの状態のまま、話をしようというのか。
どう考えても話をするような体制ではない。
内容も緊急性のあるものではない筈だ。
新し作戦の提案なのだろう?
であるなら、今夜の会議の時でよいではないか。
頼むからこの状態から解放して欲しい。
机に座った状態の私の肩を掴む勇者は、必然的に前のめりになる。
そのせいで、勇者の足と私の足が重なり合う。
お互い武装前の軽装姿。
薄く肌障りのいい服が重なった場所で擦れ、微かに音を鳴らした。
布越しに伝わる勇者の肌の感触に、温度に、これ以上ないと思っていた胸の高鳴りがいっそう早くなる。
全身が熱く、苦しさに伸ばした手は、勇者の胸を押しながらも服を掴んでいた。
「どうしました? もしかして、俺の話は聞いてもらえないんですか?」
私の行動に対し見当違いな解釈をした勇者が、怪訝そうな表情を浮かべ、私の肩を握る手に力を込めた。
両肩に痛みを感じ、私は勇者の服を握る方の腕を、力を込めて引いてしまう。
当然、引かれた勇者と私の距離は縮まり、先ほどより体と体が密着した。
体を支え切れなくなった勇者は、バランスを崩し前へと倒れる。
巻き添えをくらった私も押し倒され、机に背を着けた。
勇者が咄嗟に右手を私の顔の横に着いたため、私を押し潰すようなことにはならなかったが、腰から下は隙間なく重なり、自分がどうなっているか思い知らされる。
これを勇者に知られていると思うと……。
勇者にそんな気遣いができるかは皆無だが、何も言わず一刻も早く離れて欲しい。
間違っても変な気は起こさないでくれよ。
現在私は隊長としてこの地に出向いているが、私には帝国の第一皇子としての身分がある。
ここで冒険者と、どうこうなるわけにはいかないのだ。
極限まで緊張したこの身を、今は動かすことができそうに無く、私はただ目を瞑って祈ることしかできない。
勇者に少しでも常識が備わっているのなら、今すぐどこかへ行ってくれ。
これ以上はもう、我慢の限界だ。
高まった熱情をどうにかしようと、体が身勝手な動きを始めるギリギリのところで、私は耐えた。
そう、耐えきったのだ。
それはまさに、運が私に味方した瞬間だった。
「勇者!!ここに居るのは分かってる!でて来い!10秒やる。その間に出て来ないと、今晩も説教だからな!!昨日より長めにしてやる!」
テントの外で誰かが叫ぶ声が聞こえた。
勇者は私から手を放し、声のした方を睨みつける。
「ちっ。もう来たのか」
忌々し気に呟かれた勇者の声が、凄く遠に感じた。
私は浅い呼吸を繰り返しながら、糸の切れた人形のようにぐったりとその場に沈み込む。
全身からは大量の汗が噴き出し、薄い軽装を瞬く間に濡らしていった。
「おい!お前、そこで何をしている!」
外では見張りが怒鳴る声が聞こえる。
「俺は連れを迎えに来ただけですよー。勇者見ませんでした?」
見張りとは対照的に、気の抜けた声で答えているのは、きっと魔導士だろう。
どうやら勇者を探しに来たようだ。
「ここには来ていないぞ」
「そんな筈ないんですけどねぇ。例えば、あのテントとかどうですか?」
「ありえん。あれは隊長のテントだぞ? 隊長が許すはずがない。それに、ここに来るまでに何人か見張りがいるんだ、途中で気づいて止めに入るだろうさ」
「あれ?でも俺、ここに来るまで誰にも話しかけられませんでしたよ?」
「馬鹿な!?」
見張りの足音が近づいて来る。
まずいな。
まだ、辛うじて手を動かせる程度にし回復していない。
今入ってこられたら確実に不審がられ、何をしていたのか徹底的に聴取されるだろう。
勇者が何から何まで正直に答えたら、困るのは私の方だ。
何より、この状態の体を部下に見られるわけにはいかない。
部下の侵入を止めなければ。
「隊長!入室の許可を!!」
「駄目……だ……」
上手く声が出せない。
この声量では部下に声は届いていないだろう。
私は覚悟を決めた。
勇者のことは、話に来たと言うところだけ正直に伝えれば問題ない。
朝だからということにしてしまえば、多少変に思われるかもしれないが同じ男同士だ、理解してもらえる筈だ。
だが、できれば姿勢ぐらいは変えたい。
今一度、全身に力を籠めるが、仰向けになった体を起き上がらせるには至らなかった。
「失礼します!」
待っても返事が無いからと、部下が許可も無く入り口を開け入ってきた。
私は心の中で、諦めのため息をつく。
丸腰で戦地に赴くかのような心許無さを抱えながらも、いかに上手く事を運ぶか、必死で頭を回転させる。
しかし、私の思考は、突如として訪れた浮遊感と共に、簡単に止まってしまった。
「隊長!?」
「あちゃ~。勇者やってくれたな」
気づけば私は勇者に背と膝裏を支えられ、姫のように抱かれていた。
「隊長は具合が悪いようだ。寝かせるから出て行ってくれ」
「お前!隊長に何をした!?」
「何って……、新しい作戦の提案に来たがけだが?」
「何を言ったんだ?」
「まだ何も」
「話にならんな。勇者、お前はこれから取り調べを受けてもらう。速やかに隊長から手を放し私についてこい」
「まあまあ、落ち着いてくだいよ。勇者の言ってること、間違ていないと思いますよ。ねぇ、隊長さん?」
「……ああ」
「隊長?」
「勇者が話をしに訪ねて来たのだが、私は体調が悪くてな。彼とはまだ話ができていない」
「って、ことなんで。勇者連れて帰っていいですか?」
「ああ、頼む」
「じゃあ勇者。隊長はそこの椅子に座らせて、帰るぞ」
「わかった」
三日目の夜。
部下に大事を取るように言われた私は、会議には出ずに一人、テントの机に着き書類仕事をしていた。
そこへ来客が訪れる。
「魔導士ですけど、お話いいですか?」
勇者の件で薄々は気づいていたが、この魔導士もただ者ではない。
二人の前では、見張りが全く意味をなさないのだ。
こうなると、城の警備が心配になるな。
「入れ」
「失礼しまーす」
「朝は勇者がすいませんでした。あいつ、ちまちま魔物倒すのに飽きたみたいで」
「それで、話とは朝の事への謝罪か?」
「それもありますけど、明日の事で言っときたいことがありまして」
「俺と勇者は別行動でいいですか?」
「駄目だと言ったらどうするんだ」
「そうですね~。隊長が今朝、凄く元気だったってこと言いふらします」
「それについては、色々言いたいことがあるが……。わかった。許可する」
「隊長ならそう言ってくれると思いました。勇者が抜けた穴はこっちで埋めますんで、ご心配なく」
「何をする気だ?」
「言ったら止められそうなんで言いませんけど、迷惑はかけませんから」
「君たちは大丈夫なのか?」
「へぇー俺たちの心配してくれるんですか?隊長って優しいんですね。勇者が無駄な直談判に言ったのも頷けるわ」
「一つ条件を付けよう。私の部下を一人連れて行ってくれ。彼は優秀だから足手纏いにはならんだろう」
「一人なら問題ないです。では明日の早朝、冒険者側の野営地に待ち合わせでお願いします。一番北にある、隣の樹に赤いハンカチの縛ってあるテントで」
「了解した」
四日目の昼頃。
高い鳥の鳴き声のような音が森全体に響き渡った。
その音を聞いた魔物たちが、一斉に同じ方角へと駆けていき、辺りに魔物は一体もいなくなった。
そして、この日の討伐はここで終わった。
夕日が沈み月が出始めるころ、別行動をとっていた勇者たちが帰って来た。
三人の姿を見た騎士や冒険者たちは、騒めきだし避けるように道を開ける。三人が通り過ぎた場所には赤い線が引かれていた。
その元を辿れば、勇者が引きずっている巨大な魔物が目に入る。
大型を通り越して更に大きい巨体は、間違えなくこの森の主にあたる魔物なのではないだろうか。
「報告します。森の主を討伐いたしました」
勇者と共に行かせた私の部下が報告をしに来たが、視線の先の魔物を見れば、もはや報告など不要だ。
勇者は適当なところに主を下ろし、何やら支持を出していた。
それに従って、周りの冒険者が慌ただしく動いている。
「これから何をしようというのだ?」
「食べるそうです。冒険者の方々にとって、狩った魔物を食べるのはごく普通のことだと言われました。意外と美味しいとのとこなので、今晩は私もごちそうになろうと思います。許可して頂けますか?」
魔物を食べること自体、貴族の人間はまずしない。
平民でも、昔から食べられているごく一部の魔物しか食べないと聞いている。
間違っても、よく知りもしない狩ったばかりの魔物をその場で食べることなど、常識的にありえない。
「好きにしなさい」
「ありがとうございます!」
嬉しそうに駆けていく部下が、別の世界の人間に思えるのは気のせいではないだろう。
もう何も言うまい。
勇者は、私の持ち合わせている秤で測れるような人間では無いのだ。
四日目の夜が更けていく。
今夜はもう作戦会議は無く、予定より三日も早く終わった遠征の余暇を、皆思い思いに満喫していた。
私も今日は久々にゆっくりしようと、早いうちからテントに籠っていた。
「勇者を私のものにしたい」
机に着き、置かれた蝋燭に照らされた書類を一枚一枚捲っていく。
そこに書かれているのは、今日一日の勇者の行動報告。着いて行かせた部下が先ほど提出しに来たそれに、私は目を通し一人唸る。
勇者ほどの逸材が何故、今まで見つからなかったのか。
ギルドに入ったのも最近だと報告書には書かれているが、その前は何をしていたのかは詳しく書かれていない。
森で暮らしていた、それだけだ。
あれだけの才能を持つ勇者に、騎士になるよう勧める者はいなかったのか。
過ぎたことを考えていても仕方が無いとは分かっているのだが、今回ばかりはそう簡単には割り切れない。
勇者に会うまで、騎士100人に匹敵する人間がいるなどと言うことは、噂さえ聞いたことも無かったのだ。
しかし、知ってしまったからには野放しにはできない。
何としても勇者を手中に収めたい。その為には手段を択ばない考えだ。
「必ず私の傍に置いてみせよう」
この日私は決意した。
魔物よりも危険な人間を、自分の側近にしてみせると。
それから勇者が聖剣を抜くまでに、そう時間はかからなかった。
皇帝陛下の命で魔王討伐に向かった勇者を私は見送り、勇者を側近にするという願いは策を投じる前に絶たれた。
そして現在。
無事魔王を討伐し戻って来た勇者は、【元勇者】になっていた。
これは私にとって最大のチャンスではないだろうか。
彼が勇者であろうと、元勇者であろうと、どちらでもいい。
彼が彼であるのなら、私は彼が欲しいのだ。
諦めていた願いを成就させるべく、私は行動を始める。