8:小太りのたくらみ
「いやいや。特別な意味、あるでしょう」
しかしクレンの悩みは、奥間によって一蹴された。
これでも彼は現在の妻と、大恋愛の末に結婚したのだ。
年相応に人生経験も豊富な奥間は、金髪を撫でつけて呆れ顔を浮かべる。
「だってあの年頃よ? 合鍵に、憧れだってあるに決まってるじゃない。ほら、好きな人から貰ったりとかさ」
「しかし、渡したのは俺だ」
レザージャケットのポケットに両手を突っ込んだまま、クレンはむっつりと言った。
「それもそうよねぇ……いたたたたっ! いったいってば!」
素直に同意されたのが腹立たしく、その余分な腹肉を捻り上げる。
「クレン君、握力強すぎ! ゴリラなの? だから女心というか、人の心に疎いのね? 森へお帰りなさい!」
「黙れ、服を着たブタめ!」
奥間の非難に、クレンもがなり返す。
がなりながら、彼は目の前の邸宅の壁に手を這わせた。そして、魔力の流れを感知する。
二人が立っているのは、とある屋敷の庭だった。荒れ放題の庭である。
広大な庭の中央に鎮座する豪邸の壁も、あちこちが汚れてひび割れていた。
いわゆる廃屋だ。
しかしただの廃屋であるならば、魔術師はお呼びでない。せいぜいリフォーム業者や解体業者が必要なくらいであろう。
この廃屋には、悪魔が住んでいた。いつの頃からかここに住み着いたそいつは、侵入者除けの結界まで屋敷の周囲に張り巡らし、廃屋ライフを満喫しているという。
久しぶりに換気をしよう、と屋敷を訪れた持ち主がそのことに気付いて、魔術管理局に通報したのが事の始まりだった。
外壁へ丁寧に手を添わせながら、クレンは結界を構築する魔力の細かな流れを調べていく。枝分かれし、複雑に入り組んだその流れが、結界の種類や特色を教えてくれる。
魔力の流れを探ることは、クレンの得意分野でもあった。
そして彼はぐるり、と屋敷を一周した。
黙して彼の調査を待っていた奥間だったが、暇を持て余したのか、ねえ、とクレンへ呼びかける。
「どう? 結界のこと、何か分かった?」
「ああ」
生返事を返して、クレンは両手で屋敷正面の扉に触れる。そしてしばし、左目を閉じた。
目を開いた彼は、奥間の茶色い瞳を見る。
「扉には、二重三重に結界が掛けられている。おそらく、開錠すらままならないだろう」
「そっか……うん、持ち主さんの報告通りだね」
小脇に抱えていたファイルを開き、うん、と奥間はうなずく。
「それじゃあ、壁は?」
「扉と比べてお粗末な結界だが、生憎この造りだ。壊すのにも一苦労だぞ」
「そうねぇ……」
ぽっちゃりした手で壁をさわさわしながら、奥間は口をすぼめる。
それを、片眉を持ち上げてクレンは眺めていた。
「お前の触り方は卑猥だな」
「失礼ねっ。これでも奥さんからは、テクニシャンって呼ばれてるんだから!」
「悪いが、お前の猥談には一切興味がない。気味が悪い」
「自分から振っておいたくせに、何よそれー……あ、そうだ」
ぶちぶちと文句をたれ流す彼だったが、途中で顔を明るくする。
「ミアンちゃんを呼びましょうよ。幸い、仮免許は発行済みなんだし、お仕事手伝ってもらっても問題ないはずでしょう?」
たしかにミアンが先天的に使える技は、爆破魔術というたいへん貴重な代物だ。
しかし、クレンは渋面になった。そして蔑む目で、奥間をにらむ。
「見習いも見習いの、魔力を抑える術しか知らない小娘を頼るのか? そんなもの、いるだけ邪魔だ──おい、何をしている」
こちらの声を無視して、携帯を操作する奥間を制止するも、返って来たのはニンマリ笑顔。
「残念でした。もう呼んじゃいましたー」
その笑顔のまま、携帯を振り振りさせている。画面には、ミアン宛てのメッセージが表示されていた。
《学校終わった? ちょっとお仕事を手伝ってほしいの。お願いできるかしら。住所は……》
そんなフランク過ぎる文章に、クレンの青筋が浮き立つ。
「相手は狡猾な悪魔だ! 小娘が相対していい輩ではない!」
激怒する彼にも、奥間は鷹揚とした態度を崩さない。のんびり笑う。
「その辺は、クレン君が守ればいいじゃない」
「そもそも、屋敷に穴を開けていいのか!」
「大丈夫、大丈夫。その辺の許可はもう取ってるから。それにほら、立っている者は親でも使いなさいって言うじゃない」
そう言って、茶目っ気混じりに飛ばされたウィンクに、クレンはげんなり。
盛大に顔をしかめて、髪をかき回す。
「俺よりもお前の方が、よほど冷血漢だよ。ガキを利用するなんて発想、俺には不可能だ」
「あらやだ。冷血漢じゃなくて、柔軟かつ、合理主義のリアリストなだけよ」
腹を反り返らせて、奥間は得意げだ。
人当たりのいい、口調も柔らかな彼であるが、こういった辺りは宣言通りかなり合理的である。管理局らしい、と言えばそうなのだが。
ためにクレンはしばしば、コイツの方がタチが悪い、と考えていた。
「呼んだものは仕方がない。ただし奥間、お前にも守賀の護衛を務めてもらうからな。覚悟していろ」
「分かってますよ。僕だって、考えなしにミアンちゃんを呼んだわけじゃないんだから」
「ほう?」
左目を細めて彼を窺うと、冷静な管理職の顔になった奥間がツラツラと語る。
「ミアンちゃんの魔術は、知っての通り爆破魔術。とっても危険な魔術よね。だって、習得には危険魔術取り扱いの資格が要るんだもの。だからこそ、彼女には早くから実践を積んでもらって、制御も自由自在になってもらう必要があるでしょう」
「それぐらい、分かっている」
むっつりとクレンは答える。
「分かっているが、お前は性急すぎる」
「そこは、ミアンちゃんの為人にも関わって来るから」
「どういうことだ?」
「だってミアンちゃんってば、ポヨヨンとし過ぎじゃない……辛いことに鈍感になってる、と言えばいいのかな」
腰に手を当てて、困ったもんだ、と奥間はため息をつく。
腕を組んで、クレンもうなる。
「それは……あるかもな」
「でしょう? でも反面、人の悪意には可哀想なぐらい敏感じゃない? だからクレン君ともっと仲良くなって、人並みの鈍感さや敏感さになってもらうためにも、実戦は大事だと思ったの」
合理主義なだけではなく、彼なりにミアンを慮っての参加要請であったらしい。
腕をほどいて、クレンは物珍しげに奥間を見た。
「意外だな。お前にも人の心があったんだな」
「凍血君にだけは、そういうこと言われたくないんだけど! これでも奥さんからは、熱い心を持つナイスガイって呼ばれてるのよ」
「お前のその寒々しい異名は、いったいいくつあるんだ?」
全身から鬱陶しいオーラを発散して、クレンはぼやいた。