7:お弁当と合鍵
魔術師には、免許証とバッジが発行される。
管理局の認可を得て、魔術を行使している──ひいては、魔術師として存在できている、という証だ。
魔術師に弟子入りしたばかりのミアンには、仮の免許証だけが発行された。しかしこれでも、本人確認書類としては十分な効力を発揮する。
仮免許が発行された翌日から、ミアンは学校へ再び通えることになった。
これは、奥間の助言によるものだった。彼によれば、身分が定かでない魔術師への風当たりは、年々厳しくなっているらしい。
免許を持たないあるいは剥奪された、違法魔術師による犯罪が後を立たないためである。
「万が一だけど、学校で魔術が暴発しちゃった時のことも考えたら、免許証が出来るまでは大人しくしておいた方がいいわね」
とは、魔術師犯罪を数多扱ってきた、奥間の言葉である。クレンもミアンも、それに従った。
クレンはそれまでの数日間、日常生活を送るうえで最低限必要な、魔力の制御方法をミアンに学ばせた。
もっとも、精神的によほど不安定にならない限り、魔術が暴発することも少ないのだが。
つまりは伯父夫妻を見舞った全裸事件は、彼らの自業自得というわけでもある。
それはともかく、一週間ぶりの登校にミアンは浮かれている様子だった。
足取りも軽やかにカウンターキッチンの中を動き回り、手慣れた様子で朝食を作っていく。
そしてクレンへコーヒーと、トーストやサラダが詰め込まれたプレートを配膳しつつ、弁当箱を手渡した。
「あの、よければどうぞ」
「なんだこれは」
「えっと、お弁当です。自分の分を作ったついでに、師匠にも、と思って……もし、よければ食べてください」
もじもじ手を合わせながら、ミアンは少しぎこちなく笑う。緊張しているのか。
クレンは無言で、弁当のふたを持ち上げた。
中には肉巻き野菜や卵焼き、それからミートボールやポテトサラダが整然と並んでいる。
自室といい弁当といい、彼女は整理整頓が好きであるらしい。
と、クレンは弁当箱が真新しいことに気付く。
「こんな弁当箱、家にあったか?」
「あ、いえ……昨日、こっそり、買いました」
そういえば。
夕飯の材料を買いに出た時、彼女がトイレと断って一時離脱したのを思い出す。
なるほど──と、それで納得できる話ではなかった。
「弁当箱代はどうした。金は渡していないはずだ」
責めるように彼女を見ると、さっと視線を外された。気まずそうな横顔が、か細い声で
「ちょっとだけ、お金は持っていたので……」
そう答えた。
これに、クレンは深々とため息。顔も振り振りする。
横目にそれを窺い、ミアンの眉が八の字になった。
「ごめんなさい。ご迷惑でした?」
「ああ、迷惑だ」
思わず正面を向いた、彼女の表情が泣きそうなものになる。それをにらんで、クレンは続けた。
「子供が変な気を回すな。生活費を渡すから、待っていろ」
そう断って部屋に戻り、財布から無造作に紙幣を取り出す。
合計二万円を、彼女に押し付けた。
金額の大きさに、ミアンは青ざめる。瞳も見開かれた。
「こ、こんなにかかってません!」
「馬鹿者。今後の生活費も含めてに決まっているだろうが」
いいか、とクレンは彼女の顔の前に指を突き立てる。そして丸くなった目をにらみ、続けた。
「年長者の義務として、俺がお前を養う。代わりにお前は弟子として、家事で貢献しろ。ただし、学問は疎かにするな。それが本分だからな。もしも成績が下がるようならば、即刻弟子を辞めてもらう。家からも追い出す。分かったな?」
艶を取り戻した深紅の髪を撫で、ミアンはまばたき。
「ええっと……それってつまり、出来る範囲で家事をやってね……ということですか?」
む、とクレンは眉間にしわを作った。
「意訳するな」
「……違ってました……?」
縋るようなその目に、今度はクレンが視線を外した。
そしてそのまま、ぼそぼそと答える。
「……そういうわけでは、ない」
「良かった」
ホッと微笑んで、ミアンは恭しく紙幣を胸元に抱きしめた。そしてカウンター越しに、彼へ頭を下げる。
「お金、ありがとうございます。大事に使わせてもらいます」
「ああ。無駄遣いは許さん」
重々しくうなずき、しかし慌てて言い添えた。
「ただし。友人との付き合いがある場合は、臨機応変に使え」
言っておかないと、気遣いが過ぎる彼女のことだ。友人との遊びも控えるに違いない。
クレンはぼっちなのでよく分からないが、友達との付き合いが重要であることぐらいは、知識として知っている。
彼の許可にホッとうなずいた彼女が、小さく口を開いた。
「あ、レシートは提出した方がいいですか?」
提出、という言葉がどうにも学生らしい。つい笑って、クレンも首肯。
「そうだな。もし足りない場合はすぐに言え」
「はい」
「ついでだ。これも渡しておく」
紙幣と共に取って来たものも、彼女に押し付けた。
それは、この家の合鍵だった。
生活費の比ではなく、ミアンの目が真ん丸になって、そのまま体も固まった。
「あいにく俺も、外出する場合が多い。だから──おい、聞いているのか?」
「あ、はい! でも、いいんですか?」
恐る恐るの彼女の様子に、クレンは仏頂面で首をひねる。
「ここはお前の家だ。鍵も持たずにどうするつもりだ?」
「家……そっかぁ……」
しみじみと、ミアンは呟いた。そして右手で愛しそうに、鍵を包み込む。
まるで宝物でももらったかのような仕草に、クレンが目をまたたいた。
「なんだ、合鍵がそんなに珍しいのか?」
「あ、いえ、伯父さんたちからも、一応預かってはいたんですけど……師匠からだと思うと、なんだか特別で」
「そういうもの、なのか?」
「はい」
鍵を握りしめた手へ視線を一時落とし、だから、と彼女は付け加える。
「大事にします。ありがとうございます、師匠」
「あ、ああ」
ミアンの頬は赤らんでいた。
そこまで喜ばれるとは考えていなかったので、虚を突かれたクレンはへどもどと、ややぎこちなく彼女へうなずき返す。
合鍵に特別な意味なんてないぞ、と内心で頭を抱えて考えていた。
ちなみに彼女が作った弁当は、とても美味しかった。