6:ヘアカット
「クレン君さぁ……もうちょっとミアンちゃんを、女の子扱いしてあげようよ」
「している。だからこそ、部屋も与えているだろう」
「どこがよ?」
「……なんだと?」
「女の子扱いしていたら、おっさんが行くような理髪店に連れて行こうとしないでしょう。何言ってるのよ、お馬鹿さん」
「ぐっ……う、うるさいっ」
やや裏返った声でそう言い捨てて、クレンは携帯の切電ボタンを押した。かなり強引に、奥間との通話を終了する。
そうして周囲を見渡す。
彼と、そして絶賛髪を切ってもらっているミアンがいるのは、室内のあちこちに飾られた観葉植物がお洒落な、ガラス張りの美容室だった。平日ということもあり、客はまばらである。
新居近くの理髪店にミアンを連れて行こうとしたクレンだったが、たまたま電話をかけてきた奥間にそれを知られると、散々になじられた。
いわく、女心が分からない独身クソ野郎と。
小デブに言われてカチンと来た彼は、ネットの情報を頼りにここを見つけ、飛び込みでミアンを押し付けた。客の少ない平日でよかった、と改めて思う。
クレンは待合室の椅子に腰かけ、サービスで提供されたコーヒーを飲みながら、髪を切られているミアンを観察する。
ミアンの担当をしてくれているのは、朗らかな印象の女性美容師だった。年も若い。
彼女は手際よくミアンの赤い髪を切り揃えていきながら、しきりに屈託なく話し掛けている。
その会話内容が面白いのか、それとも人見知りしない性格だからなのか、ミアンも笑顔で彼女に接していた。
──いや、違う。
ミアンと出会ってまだ二日と少しであるが、彼は自分の推測を否と結論付けた。
──ただ相手の美容師に気を遣い、笑顔を作っているだけだ。
寿司を食べていた時とは違い、彼女の笑顔は少しばかりぎこちなかったのだ。いや、ぎこちないというよりも、業務的と呼ぶべきか。
その業務的な作られた笑顔が、またしっくり来ているからこそ、美容師も彼女の気配りに気付いていないのだろう。
この瞬間に限らず、ミアンは気を遣い過ぎる節がある。
それは今朝も同じだった。
クレンが朝食を作ろうと、彼にしては珍しくも早朝六時に起きると、すでに彼女がキッチンに立っていたのだ。
「勝手に食材を使いました……ごめんなさい」
と、おまけに謝って来るのだ。
違うだろう、と礼儀にうるさいクレンも考えた。もちろん考えるにとどまらず、そう言った。
「お前はまだ子供だ。それに昨夜は遅くまで、荷ほどきに精を出していた。そこまで気を遣う筋合いはない」
「ご、ごめんなさい」
しかし遠回しにもっと子供らしく怠けろ、と言っても、彼女は慌てた様子で再度謝るだけであった。それでクレンの毒気は抜かれ、もういいか、となってしまった。
彼女が子供らしくないのは、偏に伯父夫婦のせいだろう。そう推測できたからこそ、それ以上言及する気勢も削り落とされたのだ。
上っ面の笑顔が慣れ切ったものであるのも、恐らく彼らが原因であろう。
クレンは無駄なことが嫌いだし、偏屈で頑固だという自覚もある。
しかしミアンは、もう少しワガママや自己主張をすべきではないか、と考えていた。あまりにも従順過ぎて、まるで奴隷かそれに類する何かのようなのだ。
自分は弟子を必要としていないが、下僕や奴隷はもっと必要ない──クレンはそんな風に考えながら、さして趣味でもない雑誌のページを繰っていた。
その、広げた雑誌の上に影が出来る。無意識に、クレンの視線が持ち上がる。
目の前には、髪を切り終え、ドライヤーをかけられたミアンが立っていた。肩の位置で不揃いだった髪はずいぶんと切られ、ショートカットになっている。
プロの手によって切り揃えられた髪を撫で、ミアンははにかんだ。
「今まで自分で切ってばかりだったので、嬉しかったです。ありがとうございます」
「散髪は今後もプロに任せろ。お前の切り口は不揃いで、見栄えが悪い」
と、減らず口を返そうとして、クレンは失敗した。
ミアンに見惚れてしまったのだ。
短く切られた赤毛は艶を取り戻しており──後で聞いたところによると、あまりにも髪が痛んでいたため、美容師の厚意によってヘアトリートメントも受けたらしい──、それによって彼女本来の美しさが際立っていたのだ。
たしかにまだ、痩せこけているが。
昨日今日としっかり睡眠と食事を摂ったからか、少しばかり肌艶もよくなっており、海色の瞳も生き生きと輝いている。
彼女を虐待していたのは、この美しさに嫉妬した伯母の方なのだろうか、などと詮無いことも考えてしまっていた。
しかし、呆けた彼を悪いように捉えたらしい。ミアンの表情が、さっと曇る。
「あの……変、でした? やっぱり似合いませんか?」
弱々しい声に、クレンも我に返る。
「いや、そうではない」
内心焦ってそう言い、何か物足りないものを感じて、付け加えた。
「……悪くはない」
俺は小学生だろうか、と自分の言葉足らずっぷりに呆れるも、ミアンは違った。
彼の言葉に、無邪気に頬を赤らめて笑う。
「ありがとうございます」
その笑みは、先ほど美容師に対して浮かべていたものとは違い、ひどく無防備であどけなかった。年相応である。
しかしひねくれ者で無愛想なクレンは、他者からそんな笑顔を贈られることに慣れていなかった。
彼に相対する人間は、たいていこちらを警戒してくる。
だからかえって照れが増幅してしまい、彼は舌打ち交じりに読みたくもない雑誌へ視線を落とした。
当然内容など、頭に入ってこないのだが。