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5:お寿司と脂肪肝

 荷物が少ない者同士の引っ越しは、あっという間であった。

 電化製品もあるため、クレンは引っ越し業者の手も借りつつ、しかしその日の夜までには新居に移ることが出来ていた。

 新居は、とあるマンションの五階だった。階段の他に、エレベーターも付いている。

 築年数はやや古めであるものの、先住者の退去後にリフォームを施されたらしく、中は綺麗だった。

 室内には二部屋の個室があるため、それぞれのプライベートを確保することも可能だった。


 だが、白で統一された清潔な空間だからこそ、ミアンの布団の貧相さが際立っている。日本の昔話に出て来る、貧乏な主人公が使っているせんべい布団のようだ。

「おい……守賀」

 一瞬迷った末、クレンは名字で彼女を呼んだ。広々とした空間の隅に、シャワーカーテンの内側を再現していたミアンが、くるりと振り返る。

「はい、どうしました?」

「その布団だが、愛着はあるのか?」

 ミアンの表情に疑問符が浮かぶも、数秒後に彼女は首を振った。

「いえ、特には。伯母さんのお下がりですし」

「ならば捨ててしまえ。あまりにも古すぎる」

「でも、捨てちゃったら布団がなくなって……」

「俺のベッドを使え」


 言ってからクレンは、見知らぬおっさんのお下がりの方が嫌かもしれない、という当たり前の事実に気付く。

「もちろん、嫌でなければ、だが」

 ために慌てて言い添えた。しかしミアンは、表情を輝かせる。

「いいんですか? でも、そうしたら師匠の寝る場所が……」

「しばらくはソファで寝起きすればいい」

「えっと……辛くない、ですか?」

「別に。だからお前は、伯母のお下がりなど捨ててしまえ。家にあるだけで忌々しい」


 そもそも彼女は、女性魔術師の手が空くまでの仮の弟子だ。わずかな間であれば、ソファをベッド替わりに使ったところで、何ら問題はない。

「お気遣い、ありがとうございます」

 背筋を伸ばして姿勢を正し、彼女は折り目正しくお辞儀をした。

 口調といい、こういった仕草といい、彼女はところどころで高校生らしくない。妙に大人びている。

 それも、あの家で生き抜くための処世術だったのだろうか、と考えると、お辞儀姿も痛々しかった。


 気持ちを切り替え、クレンは引っ越し業者と協力して、ベッドとソファを移動させる。

 二人の荷物が少なすぎたため、管理局の手配した業者の人数が余り気味だったこともあり、快く応じてもらうことができた。

 ソファを移動させた結果、リビングダイニングではラグの上に直座りとなってしまうが、しばしの我慢だ、とクレンは己に言い聞かせる。

 そうして家具や段ボールの運び入れも終え、引っ越し業者は引き上げた。


 彼らを見送り、そう時間を置かずに奥間が現れた。

「こんばんはー。どう、荷ほどき進んでる?」

 手には今時珍しい、寿司桶を携えていた。食器棚にわずかな皿たちを詰め直していたクレンが、じろりと彼を出迎える。

「お前が来るまでは、順調に進んでいた。邪魔だ、帰れ」

「そんな邪険にしないでよ。はい、お夕飯買って来てあげたから」

 寿司桶を掲げて、彼はにっこり。

 クレンも夕飯の準備をすっかり忘れていたことを思い出し、表情の険しさをわずかばかりに削いだ。


「夕食を持って来た、その準備の良さはさすがと言っておこう」

「もう、素直じゃないんだから」

 主の捻くれた了承を確認して部屋に上がりながら、奥間はミアンを呼んだ。

「ミアンちゃーん。お夕飯にしましょー。お寿司買って来たよー」

「お寿司ですか!」

 魚好きらしい。ミアンはすぐに、浴槽の掃除を任されていた風呂場から飛び出して来た。

「素直でいい子だよねぇ。クレン君、ちゃんとミアンちゃんを肥えさせてあげてね?」

「言われずとも三食与える」

 むっつり返しつつ、しかし内心寿司でウキウキのクレンは、手早く夕飯の準備に取り掛かった。


 さっきしまったばかりの皿を、食器棚から取り出す。三人分の緑茶も淹れ、準備万端である。

 まだ段ボールが残ったままのリビングダイニングにて、三人でローテーブルを囲む。

 奥間が差し入れてくれたのは、管理局が忘年会の際によく利用している、寿司屋の寿司だった。それなりに名の通った店であるため、味は文句なしだった。


 ミアンも感激したらしく、青い瞳をキラキラ輝かせている。

 ローテーブルに頬杖をついて、奥間はそんな彼女を微笑ましく眺めている。

「ねえ、ミアンちゃん。クレン君はこんな性格だから、僕以外に友達がいないんだ。だから、仲良くしてあげてね?」

 そしてこんなお節介を言い出す。

 トビコの軍艦巻きを飲み込んだミアンも、神妙な顔でうなずき返す。

「はい。あたしも友達が少ないので、ちょうどいいです」

 こちらもかなりのお節介だ。


 エンガワの炙り焼きを食べていたクレンは、しっかり噛んで飲み込んだ後に、刺々しい声を発する。

「ほざけ。俺はぼっちだろうが独身だろうが、一向に気にしない。そんなことで気に病むのは弱者だけだ。だから奥間、お前も友達ではない。ただの仕事上の知人だ」

 びしり、と奥間を指さすと、イクラを口に放り込んだ奥間が、モグモグしつつ顔をしかめた。

「ひどいっ。せめて仕事仲間って呼んでよ。凍血くんのケチんぼ!」

「ひどいのはお前だ。喋るか食べるか、どちらかにしろ」

 行儀を正すクレンと異なり、ミアンはきょとん顔を浮かべていた。奥間を見つめ、首をかしげる。

「トウケツ……というのは?」


 ぴくり、とクレンの左眉が跳ねる。そして彼女をにらんだ。

「おい、余計なことを訊──ぶえっ」

 しかし彼の言葉は、奥間によってネギトロ軍艦をねじ込まれたことで中断される。

 代わりに奥間が説明を請け負った。

「凍った血って書いて、凍血ね。冷血漢を通り越して、血が凍ってるみたいに冷たいでしょう、彼? だから凍血野郎とか、黒い悪魔とか呼ばれてるの」

 なんとも楽しげに説明する彼だったが、ミアンは慌てたように首を振った。

「そんなことないですっ。師匠は結構優しくて、それに熱血漢だと思います」

 口元に手を当て、奥間は目を見開いた。

「あらまっ。ミアンちゃんってば超いい子……そんなこと言ってくれる子、初めてだわ」

「そう……なんですか?」

「だってクレン君ってば、人相悪いし眼帯してるし、おまけに口も最高に悪いでしょう? だから女の子の局員とか、怖がっちゃって」

 同意し辛い言葉に、ミアンはあいまいに笑うに留めた。


 そんな大人の対応をする彼女を見つめ、奥間はぽっちゃりした手を頬に添える。

「やだなぁ……こんないい子が、クレン君に毒されないか心配になっちゃう」

 ようやくネギトロを嚥下(えんか)させたクレンが、悪い人相を更に悪くさせて、奥間の潤沢な腹肉をつついた。

「誰が毒だ、この脂肪肝め。少しは節制をしようと思わんのか」

「失礼しちゃう。僕のお腹には、夢が詰まってるんですよーだ」

 そう言って胸というか腹を張る奥間を、クレンは醒めた目で眺めていた。

欺瞞(ぎまん)だ、このデブめ」

 二人の応酬に、ミアンがつい噴き出した。その時だった。


 彼女の赤毛の生えた頭を、クレンがむんずと鷲掴みにしたのだ。

 謎の挙動に、ミアンは目を白黒させる。

「あの……師匠?」

「明日は散髪だ。仮にも俺の弟子になったんだ。そのような、無駄だらけの髪は許さん」

 左側しかない目でじっと彼女を見据え、不機嫌面でクレンは言った。

 しかし──

「はい、ありがとうございます」

ミアンは嬉しそうに、照れに照れた顔で笑った。これに、クレンと奥間は虚を突かれた顔になる。


「ミアンちゃん、どうして照れてるの?」

「だって、頭撫でてもらったから」

「違うよ、ミアンちゃん! 掴んだのよ、撫でたんじゃないのよ!」

 好意的解釈が過ぎる彼女に、奥間が絶叫。

 そしてその頬を、クレンがビンタする。

「うるさいぞ、奥間。引っ越し早々、ご近所迷惑を働く魂胆か」

「ひどいっ」

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