3:弟子入り志願
それからほどなくして、警察官二人と共に奥間が田原春家に現れた。
「お手柄じゃない、クレン君! すごい!」
ちょび髭を生やした小太りの、七三金髪頭の奥間は相変わらず、見た目のインパクトが重い。
そんな彼はたっぷりと豊かなお腹を揺らして、クレンを褒めちぎる。渋っていたのに調子のいい奴だ、とクレンはそんな彼を横目でにらんだ。
警察官二人は、全裸の夫妻に慌てて服を着せつつ、彼らをパトカーに乗せた。今度という今度は、目撃者もいる。あやふやでは終わらないだろう。
魔術師の起こした犯罪には首を突っ込めるものの、魔術師が巻き込まれた犯罪にはてんで無力なクレンと奥間は、その光景をただ眺めていた。
傍らのミアンも、頬に濡れたハンカチ──奥間が彼女に渡した、レースのハンカチだ──を押し当てて、去り行くパトカーをただ見つめている。
覚醒したての魔術師は非常に不安定であるため、魔力封じも潤沢にある、管理局にて事情聴取が行われることになっていた。
「大変だったね、ミアンちゃん」
ねぎらうように、奥間はミアンの背中を一つ叩いた。
きょとん、と彼女は奥間を見上げている。
「大変……?」
「伯父さんたちから、ひどい目に遭わされていたんでしょう? こんなに痩せちゃって、可哀想に」
奥間はいい奴に部類されるのだろうが、デリカシーに欠けている、とクレンは常々思っていた。
その悪癖がいま、猛威を振るっている。
ミアンも挙動不審になり、視線を泳がせていた。
被虐待児に面と向かって虐待のことを言うな、という気持ちを込めて、クレンは彼の後頭部をぶった。結構強めに。
頭をおさえて、しばし奥間がしゃがみ込む。次いで、猛然とクレンへ食って掛かった。
「何するのよ、クレン君! 痛いじゃない!」
「察しろ、愚か者め」
ふん、と不愉快そうに鼻を鳴らしてクレンは言った。言いつつ、奥間の首根っこを掴んでミアンから距離を取る。
そして耳も引っ掴んだ。
「痛い、痛い! もげちゃう!」
奥間の金切り声に顔をしかめつつ、彼の耳元にて小声でまくし立てた。
「うるさい。いいか奥間、あの娘は虐待を受けた当事者だ。カウンセラーでも警察官でもないお前が、あれやこれやと掘り返すな」
「あ、なるほど……」
察しが恐ろしく悪いがお人好しでもある奥間は、その言葉でしょんぼり顔になる。
「たしかに悪いことしちゃったわね……」
「気付いたなら、付かず離れずで彼女を見ていてやれ。髪のことも、相手が気を許すまで話すな」
「髪って?」
ちろり、とミアンへ視線を向ける奥間。急に距離を取った二人を訝しむ彼女へ笑いかけつつ、その頭を見る。
再びなるほど、と彼は呟いた。
「よく見ればひどい頭ね。知れば知るほど、あの伯父さん夫婦に腹が立っちゃう」
「俺は一刻も早く、記憶から消し去りたいがな」
特に裸体を。
げんなりするクレンを、にやにやと奥間は見つめた。
「それにしても、よく気が付いたわね」
「何にだ」
「髪よ、髪。凍血さんってば、案外察しがいいんだから」
「お前の察しが悪すぎるんだ」
ぎろり、と彼をにらんで、耳から手を離す。距離も取った。
太っちょの奥間は、体温が高い。接触していると暑苦しいのだ。
「とにかく、俺の務めはここまでだ。後の処理は任せた」
「うん、任されたわ。ありがとうね、クレン君」
引っ張られた耳をさすって、奥間が手を振る。それを横目に見ながら、クレンは彼に背を向けた。
ミアンの方は見もせず、そのまま車へ戻ろうと田原春家の敷地から出る。
しかし、それを追いかける影があった。
ミアンだ。彼女は小走りで彼の広い背を追い、ジャケットの袖を掴んだ。
思いがけず腕を引かれ、クレンは不機嫌そうに振り返る。
「なんだ」
「あの、瀬田さん……で、いいんですよね?」
「そうだ。だから、なんだ」
子ども相手に大人げなく威圧感たっぷりのクレンだったが、ミアンは怯まなかった。
青い瞳を目いっぱいに広げて、彼を見上げる。
「学校で、魔術師は師弟制度を取るって聞きました。本当ですか?」
「……ああ、そうだが」
話の本筋が見えず、数拍躊躇した末にクレンは首肯。
それを確かめて、ミアンは更に一歩前へ出た。
「だったらあたしを、あなたの弟子にしてください!」
「断る!」
眼帯を押さえ、一歩下がって、クレンは怒鳴るように彼女を拒んだ。
しかしミアンは、なおも距離を詰める。もちろん袖は、強く握りしめたままだ。
「どうして!」
おまけに突っ込んで問いかけた。ここまで食い下がられると思っていなかったので、クレンは一瞬困惑の色を見せる。
しかし、すぐにいつもの傲岸不遜な表情に戻り、彼女の腕を振り払う。
そして叩きつけるようにして、言葉を紡ぐ。
「師弟は、二十四時間行動を共にする。女と行動を共にすれば、面倒事しか生まれない。無理だ。諦めろ」
師弟制度は確かに存在している。目覚めたての魔術師は、己の魔力の制御すらできない。
また魔術師という職業は、いざなってみないと分からない側面が多すぎる。
そういったことを、実地で学ばせていくための師弟制度だった。
しかし彼の言う通り、師弟は寝食も共にしなければいけない、運命共同体なのだ。本来は同性同士で組むものだ。
口は悪いが、言っていることは案外まともな拒絶の理由に、ミアンはわずかにたじろぐも、首を振って更に食い下がる。彼女の前世は蛇だろうか。
「だ、大丈夫です! 家でも女扱いされてなかったんです。ずっと、下僕Aだったんです。だから、慣れてます!」
あんまりにも捨て身が過ぎる言葉に、クレンの方が傷ついた顔になる。
が、ここで受け入れては、苦労するのが目に見えている。諦めの悪い弟子希望者に、指差しながら彼はなおも怒鳴った。
「俺が慣れてないし、女扱いするんだよ!」
「本当ですか? 優しい!」
「はぁっ!?」
さらけ出した本音は、逆効果であったらしい。むしろ喜ばせてしまったことに、クレンが目を白黒させる。
二人の応酬を、なぜか楽しげに見ていた奥間であったが、クレンの顔色が怒りによって赤らんできたため仲裁に入る。
まあまあ、と言いながらクレンの胸板を押して、憤然とする彼を押し留めた。
「あら、いい大胸筋」
「気色の悪いことを言うな! お前に褒められても嬉しくない!」
ペタペタ撫でられたことで、クレンの顔色がむしろ青ざめた。とりあえず、冷却には成功である。
彼の血の気が引いたところで、奥間が一つの提案をする。
「ミアンちゃんの尻馬に乗るわけじゃないけどね。ここへ来る前に、パソコンでデータベース漁ってみたのよ。魔術師たちのデータね。そしたら、ミアンちゃんを任せられそうな、ベテラン魔術師の手が空いてないことに気付いてね」
ほくそ笑みながら、彼はクレンを見る。
「そう。クレン君以外はみんな弟子を抱えてたの」
「ふざけるな! 俺は弟子は取らん!」
「分かってるよ、クレン君の事情も」
再び手を広げ、奥間は彼をなだめる。また胸を揉まれてはたまらん、とクレンもすぐに沈静化した。
「だからね。女性のベテランさんに余裕ができるまでの間、この子の面倒を見てくれないかしら?」
「断る!」
取りつく島もなく、再び彼は拒絶するも。
「そんなこと言っていいの?」
奥間がたちまち隙のない笑みになって、ニマニマと彼をのぞきこんだ。
「これから先、仕事回してあげないよ?」
管理局と契約を結んでいる彼にとって、それは死活問題である。クレンの表情が不格好に歪んだ。
「おっ……鬼か貴様は!」
「やあね。黒い悪魔さんには敵わないよ」
そう言いながら、ばちんとウィンクする奥間。
おっさんのウィンクなど、嬉しくもないどころか腹立たしいだけなのだが、今のクレンに怒る余裕はなかった。
ただうなだれ、
「……短期間だけだぞ。いいな」
渋々、彼の提案を受け入れるしかなかった。
「ありがとうございます!」
「クレン君、いい男ー!」
ミアンと奥間から、歓声が上がる。この世で最も癪に障る歓声であった。