36:ツンデレ師匠と幸福な少女
春に出会った少女と、夏を迎えた現在も同居生活を送っていた。
ここまで来ると、もはや管理局側もミアンの新しい師匠を探す気はないのだろうな、と察する。
そこまでクレンも、脳内お花畑ではない。むしろ脳内は焦土、または修羅の国である可能性の方が高い。
しかしそんな荒れ野にも最近、ぽつりぽつりと花が咲きつつあった。
芽吹きの理由は無論、同居中のミアンである。
彼女と暮らすようになって、クレンは笑う回数が増えていた。
ほだされている、という自覚もある。
だが、そのことが悪いこととは思えず、彼自身も同居生活をおおむね楽しんでいる節があった。そう、おおむね。
だから今日も、ミアンの学校の三者面談に出向いた。
担任の女性教師は当初、クレンの若さに驚きこそした。
しかし今までは、面談にすら来ない伯父夫妻を相手にしていたので、むしろ彼を歓迎してくれた。ミアンにも
「ようやく保護者の方と話せて、先生嬉しいわ」
と満面の笑顔であった。どこまでも話題に事欠かない伯父夫妻である。
面談の内容は当然、彼女の今後の進路についてだった。
「俺は、彼女を大学にも通わせたいと考えている」
ミアンの成績表をざっと見渡し、クレンはそう言った。隣のミアンが、仰け反ってこちらを窺っている様子が、視界の隅に映る。
担任は嬉しそうに、何度もうなずいた。
「守賀さんは成績も優秀ですし、私もそれがいいと思っています」
うなずき合う保護者と教師に、ミアンが横やりを入れる。
「まっ、待ってくださいっ。だって学費だって、すごくかかるのに……」
それなら大丈夫、と担任はにこり。
「守賀さんの成績なら、志望校の特待生制度も利用できますよ」
「それが無理なら、出世払いで返して貰う」
木椅子の背もたれに身を預け、クレンはミアンを見下ろした。そして歯を見せて笑う。
「俺の弟子なんだ。十把一絡げの、二流魔術師で終わるつもりではないだろう?」
挑戦的な彼の眼差しに、ミアンの頬が紅潮する。
そして彼女も、快活に笑った。
「はい! 絶対に、絶対出世してやります!」
「それなら問題ないな」
その後の面談も、滞りなく終わった。
元が品行方正と清貧を地で行くミアンなので、問題を起こすはずもないのである。
クレンは自分が学生だった頃を思い出し、「こんな真面目ちゃんもいるのか」と密かに感嘆していた。彼は今も昔も、とりあえず権力者には噛みつくタイプである。よく今まで、逮捕もされずに生きて来たものだ。
その辺りの処世術は、師匠よりもずっと巧みな弟子のおかげで、三者面談は予定よりも早く終わった。
教室を出たクレンは、途端に押し寄せる熱気に顔をしかめた。
室内には、クーラーが設置されていたのだ。
「俺の時代には、クーラーなんてなかったな」
久々に締めたネクタイを緩めながらぼやくと、ミアンはくすりと微笑んだ。
「ジェネレーションギャップですね」
「おっさん扱いするな」
「わっ」
笑う彼女の頭を鷲掴み、豪快にかき回す。
ミアンはそんな乱暴なスキンシップにも、嬉しそうに頬を緩めている。
と、クレンはあることに気付く。
「髪、伸びたな」
「そういえば」
解放され、髪に手櫛を入れるミアンも同意。彼女の髪は、肩の上で毛先が跳ねていた。
駐車場へと向かって歩きながら、クレンは伸び放題になりつつある赤毛を指差す。
「自分で切るんじゃないぞ。切るなら美容室に行け。店の電話番号は分かっているな?」
「それは、分かってます、けど」
しかしミアンは渋った。学費の話が出た時以上に、困った表情を浮かべている。
クレンは彼女が美容室に行った時、始終よそ行きの笑顔を浮かべていたことを思い出す。
「あの美容師が嫌なら、他の店に行くか?」
「いえ、そういうわけじゃないんです! そうじゃなくて、えっと……」
何故かミアンの、頬が赤くなった。
クレンは怪訝そうに左眉を持ち上げ、その横顔を眺める。
「どうした、守賀」
「師匠は髪、短いのと長いの……どっちが好き、ですか?」
「何故俺に訊く」
「す、好きな人の好みに、合わせたいんです!」
両手をきゅっと握って、ミアンは赤い顔で力説した。
途端にクレンも顔を真っ赤にして、そして慌てて周囲を見る。幸いにして、他に人影はなかった。
安堵しつつ、クレンは疲労感も覚える。
これが、彼女との同居をおおむね楽しんでいる理由であった。こうやって、隙あらば愛を訴えかけて来る部分だけが、どうにも油断ならないのだ。ミアンは色々と吹っ切れすぎである。
なにせ、クレンの気持ちも傾きかけている──いや、彼女に完全に傾いている。それを悟られないよう、取り繕うのに一苦労なのだ。
今日もうんざり顔を作って、ため息。
「どっちでも構わん。お前の好きな方を選べばいいだろ」
ミアンは首を精一杯振った。
「それじゃあ、嫌なんです。師匠にちょっとでも、よく思われたいんです」
「その魂胆を俺に明かすのは、得策なのか?」
左目を細めてそう問えば、照れ臭そうなはにかみが返された。
「それとなく好みを探ろうかと思ったんですけど、難しくて……」
頭がいいはずなのに、彼女は往々にして直球だ。
その直球ぶりに、疲労感と共に脱力感も覚えて、クレンはため息。
「髪の長さで、印象が大きく変わることはない」
「そう、ですよね……」
心底無念そうに肩を落とす彼女を、ちろりと見る。
そして空咳を挟み、続けた。
「……だが、お前は短い方が似合っていた」
途端にミアンの表情に、光が差し込む。
「あたし、短くします!」
「お前に主体性はないのか」
「いいんです。だって、師匠にちょっとでも可愛いって思われたいから」
──毎日思ってるし、今も思ってしまうから困ってるんだよ!
この嘆きは、寸前で飲み込んだ。辛うじて。
せめて彼女が高校を卒業するまでは、この気持ちは隠しておこう、と心に誓うクレンであった。叶わない予感も、多分にしつつ。