33:橋
管理局の局員が運転する車から飛び出したクレンはそのまま、つんのめるようにして走りながら、校門をくぐった。
校門を抜けた先に、ミアンが立っているのが見えた。
寄る辺のない、親とはぐれた迷子のような顔を浮かべて、一人ぽつねんと佇んでいる。
「守賀!」
切羽詰まった声で名前を呼ぶと、うつむきがちだった彼女が、クレンに気付いて顔を持ち上げる。
「師匠……」
呟いた彼女の大きな猫目が、みるみるうちに潤んだ。
クレンは彼女の眼前で、立ち止まる。近くで見ると、ミアンの肩は小刻みに震えていた。
その震えを押し留めるように、クレンはためらいつつ手を乗せる。
「奥間から聞いた。小娘が誘拐されたと」
彼の言葉にうなずいたミアンの瞳から、涙が一筋流れ落ちた。
「あたしのせい……あたしの代わり、に誘拐されちゃって……」
「お前のせいではない。犯人は笛野だ。お前に罪はない」
ありふれた慰めに、ミアンは大きくかぶりを振った。
「でも、あたしが怖がって、そしたらリコちゃんが、庇ってくれたから……『私が守賀だ』って名乗ってくれて……だから……」
ミアンはわぁっと、顔を両手で覆い、泣きじゃくった。
弱り切った彼女の姿に、クレンは顔をしかめる。怒っているわけではなく、困っているのだ。
「……あの小娘も、まさか警察官が脱獄囚だとは思わなかったはずだ。何度でも言うが、お前たちに落ち度があるわけではない」
そう言って、クレンの手はミアンの頭の上へ降りた。そのまま、ぎこちなく彼女の頭を撫である。
ぴくり、とミアンが肩を揺らせた。しかし拒みはせず、ただおずおずと、両手を顔から離す。赤くなった目が、縋るように彼を見つめる。
彼女が受け入れてくれたことに、密かに安堵と照れ臭さを覚えつつ、クレンは視線を斜めに落として続けた。
「だから……なんだ、俺の弟子ならば、この程度でうろたえるな。馬鹿者め」
「……はぃ」
こくり、とうなずいた彼女の頭が、そのまま前のめりになる。
そして目の前にいるクレンへ、頭と言わず全身を預けた。
やや慌てながら、クレンはその体を受け止める。そして、恐る恐るといった動きで彼女を抱きしめた。
静かに泣き続ける彼女の、薄く小さな耳へ、そっとささやく。
「あの小娘は、俺が必ず見つけ出す。安心して泣き止め」
「ありがとうございます……」
のそり、とミアンが顔を持ち上げた。
彼女の鼻からは鼻水も垂れ流しになっており、それがクレンのジャケットとの間に透明な橋を作った。
「うぉっ、ばっちいなお前」
「わっ、ごめんなさい!」
我に返ったミアンがあわあわと、足元に放り出していたカバンからティッシュを取り出し、クレンのジャケットを拭く。
「俺の上着はいいから、自分の顔をどうにかしろ」
「ご、ごめんなさいっ」
「いいから、ほれ」
彼女からティッシュを取り上げ、濡れた頬や目尻を拭う。そして鼻も噛ませた。
「うう……もう十七歳なのに……屈辱です」
完全なる子ども扱いに、ミアンが頬をむくらせる。つい、クレンは笑った。
「鼻水をたれ流す方が悪い」
「そりゃそうですけど……好きな人に鼻チーンされるなんて」
ぴたり、とクレンの動きが止まった。
未知の生物を見る目で、ミアンを見下ろす。
「お前……今、なんと?」
「あ……」
涙とは違う理由で、みるみるうちにミアンの顔が赤くなった。首筋や耳まで真っ赤になっている。
これにつられて、クレンの顔も瞬く間に赤らんだ。
指し示したように、互いの視線が落ちる。両者地面をにらみ、黙りこくった。
その沈黙を破ったのは、先んじて現場に入っていた奥間だった。
レースのハンカチで首筋の汗を拭いながら、荒い息で校舎から出て来る。
「クレンくーん! 現場、立ち入り許可出たわよ──って、どうしたの? 赤くなっちゃって。キスでもしたの?」
「するか、馬鹿者!」
ドスの利いた声で、クレンが一喝した。ミアンはそれにも、頬を手で覆い隠してうなだれる。
そんな彼女にも、クレンはぷんすか怒った。ぷんすかついでに地団駄も踏む。完全に子供である。
「お前も、いつまでも照れているな! 小娘を見つけたくはないのか!」
「み、見つけたいです! でも、どうやって……」
「そんなものは、現場に行けばどうとでもなる」
ふん、と鼻を鳴らしたクレンが、校舎目指して歩き出す。慌ててミアンも続いた。
誘拐事件が発生したため、学校に生徒は残っていなかった。警察官や、管理局局員が代わりにたむろしている。
彼らをかき分け、クレンがたどり着いたのは誘拐現場であるパーテーション裏。
ぐるりと辺りを見渡し、ミアンへ問うた。
「おい、守賀。笛野がいたのはどの辺りだ」
「そこです。その椅子に座ってました」
壁側のパイプ椅子を、ミアンは指さした。クレンが二歩前へ進み、椅子のそばに身をかがめる。
そしてパイプ椅子へ、手をかざした。静かに目を閉じて。
椅子やその周辺に停滞している、魔力の残滓を察知する。
笛野は目くらましの魔術と、転移魔術を使って逃走していた。
だが魔術を二つも使ったことで、その痕跡ははっきりと残っている。また、転移魔術ではそう遠くまで飛べない。彼を追うことは容易だった。
魔力の流れを辿るクレンの背中を、奥間は頼もしげに眺めている。
「黒い悪魔に目を付けられたら、逃げ切れないんだよねぇ」
ぽつりと零された言葉に、ミアンは大きな目を更に大きく見開く。
「そんなにすごいんですか?」
出っ張った腹を揺すって、奥間は微笑む。
「そうよ。クレン君の、魔力の流れを感知する能力は、魔術師の中でもトップクラスなの」
「師匠ってすごい人だったんですね……」
「普段はただの、陰険マッチョなんだけどねぇ」
頬に手を添えてのため息に、感知を終えたクレンが歯を見せてうなる。
「誰が陰険マッチョだ、肉団子野郎」
「クレン君も大概ひどいじゃない! これでも奥さんから、子豚ちゃんって呼ばれてるんだから!」
「知るか! そもそも興味もない!」
スパンと彼の頭を叩き、クレンは次いでミアンを見る。
「守賀、出るぞ」
「はいっ」
ミアンは大きく頷いて、クレンと並んで職員室を出た。奥間が二人に続いて、トントコと走る。
「師匠……リコちゃん、助かりますよね? 助けられますよね?」
「当然だ。俺がいる」
毅然と前をにらみ、クレンは断言した。
次いで、後方の奥間へ振り返る。
「奥間。足の用意は?」
「要ると思って、ちゃんと手配してるわ。駐輪場に停めてあるわよ」
そう答えて「足」の鍵を投げて寄こしつつ、しっかりウィンクも挟んでくる彼へ、若干げんなり。しかし駐輪場の場所を聞き、ミアンと二人でそこへ向かう。
停まっていたのは、一台の大型バイクだった。高校の駐輪場にでん、と停まっているため、かなり場違いである。
おっきい、とミアンが丸い目になって呟く。
「ひょっとして……これに、乗るんですか?」
そう問うてクレンを見上げる彼女の顔は、やや青白い。バイクは初めてらしい。
「運転するのは俺だ。お前はしがみついていればいい」
「その『しがみつく』のが怖いんです……」
「留守番するか?」
彼女を案じる、静かな声でクレンが提案。
現場に同行するのは、やはり危険もある。しかも二人きりでの特攻である。彼が守り切れるとも限らない。
「い、いえ、行きます! あたしの魔術で……リコちゃんを、助けられるかも、しれないし」
ふるふると首を振り決意するミアンに、クレンは小さく笑った。
「ああ。笛野の隠れ家をぶち壊してやれ」