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2:ミアンという少女

 車でニ十分ほどの距離に、対象者の暮らす家はあった。最寄りの駐車場に車を停めて、その家へ向かう。

 駐車料金は必要悪であるため、よほどの緊急事態でない限り違法駐車はしないのがクレンの持論であった。そもそも、どうせ駐車料金は管理局持ちである。


 虐待の疑いがある対象者の名前は、守賀(もりが)ミアンというらしい。

「子供でしかも、女か。そんな弱い存在をいじめて、何になるんだ? (しいた)げるというならば、せめて強者を屈服させればいいものを」

 奥間から送られて来た情報を携帯で確認し、クレンは(さげす)んだ声で呟く。


 その情報によれば、ミアン嬢の特徴は赤毛に青い瞳。小柄でやせ型だという。

 両親は既に亡く、現在は母の兄──つまり伯父夫妻に引き取られているとのことだった。

 そしてその夫妻の下で、殴る蹴るの虐待を受けている疑惑がある、らしい。

 心配した近隣の住民や、彼女の友人が警察に相談したこともあるものの、はっきりとした虐待の証拠も掴めずに、未だずるずると疑似親子関係を結んだままだという。


 残念ながら、よくある不幸な話だ。

 クレンとてニュースで見かければ、哀れみはするが、すぐに忘れてしまう類のものであろう。

 もっとも今回は自身も当事者になってしまうため、場合によっては生涯忘れられない、醜悪な後味を残すことになるかもしれない。


「友人とはいえ、ガキが警察に駆け込むなど、よほどのことだろう。何故そこで逮捕しない。警察は無能なのか」

 ある意味では無能だからこそ、こうして魔術絡みの事件では自分が駆り出されているんだった、と言ってから気付く。

 そしてそれが、飯のタネでもある。


 詮無いことを考えている内に、ミアン嬢が暮らす田原春(たはらばる)夫妻の家に到着した。どこにでもある、建売りの二階建て住宅だ。

 しかし中からは、不穏な物音がしていた。中年男性の怒鳴り声と、中年女性の金切声だ。ガラス製品の割れるような音も、かすかに聞こえる。

 絶賛、虐待の真っ最中なのかもしれない。

 クレンは舌打ちをこぼしてチャイムを押すも、反応はなかった。


 彼は後ろポケットから携帯を引っ張り出し、奥間へ連絡を取る。

「おい。チャイムを押したが、誰も出てこないぞ。押し入っても構わないか?」

「えっと……それは、まずいかしら」

「しかし中から、誰かの怒鳴り声がしている」

「えっ。それもまずいじゃない!」

 淡々と告げられる事実に、奥間の声がひっくり返った。

「ちょっと待って、警察に電話するから」

 慌てる彼の声を聞き流しながら、クレンは門の柵を押した。キイ、と耳障りな音を残して、あっさり開く。


「鍵がかかっていない。入るぞ」

「ちょっ……なんで急にやる気になってるの! 待って、クレン君待って!」

「待った挙句に押し入れば、死体と対面する可能性もあるだろう。俺は今夜も熟睡したいんだ。後味の悪いものは御免被る」

「なにその、自分勝手な主張! せめて、女の子が心配って言おうよ!」

「見ず知らずの子ども相手に、そこまで熱心になれるか」

 短いアプローチを進み、玄関の扉にも手をかけた。

 この辺りが住宅地で、治安もよろしそうなことと関係あるのか。こちらも鍵が掛かっていない。


 開けた途端、男性の

「この化物め!」

という罵声が飛んで来た。ふむ、とクレンは考える。

「化物か……ひょっとすると、魔術に目覚めたのかもしれないな」

「今一番心配するのは、そこじゃないと思うけど……」

 はあ、と奥間はため息。

「開けちゃったものは仕方ないか。警察にはうまく説明しておくから、早くミアンちゃんを保護してあげて。僕も、夢見が悪いのは御免だし」

「言われずとも分かっている」

 減らず口を残して通話終了。


 無言で室内に上がり、怒鳴り声の聞こえた方角へと廊下を歩いた。

 行き当たったのは、ダイニングルームであった。

 中を覗き込み、クレンは固まった。

 全裸の中年男性が仁王立ちで怒り狂い、その隣の全裸の中年女性が、床にうずくまる少女の頬を(したた)かにぶっていた。

 ありがたみゼロパーセントのサービスショット二体である。むしろ罰ゲームの風情すらある。


 思わずクレンは、鳥肌を立たせた。

「ヌーディストの家だったか。吐き気がする」

 ぼそりと呟かれた彼の声に、伯父夫妻と思われるヌーディスト二人が飛び上がった。

 今さらながらに悲鳴を上げ、伯母らしき女性は胸と股間を隠した。心配せずとも、だるんだるんの体を晒されても、心は無風のままである。いや、むしろ凍り付いたままだ。

「だっ、誰よあんた!」

 不自然な格好で当然の誰何(すいか)をする伯母に、クレンは腰にぶら下げているバッジを掲げた。

 杖を象った意匠のバッジ──魔術師の証だ。もっとも現在、杖を持ち歩く酔狂な魔術師などほぼ皆無だが。


「魔術管理局から派遣された、魔術師の瀬田だ。守賀ミアン嬢の検査義務が未達のままであるため、こうして参上した」

 ところで、とクレンは主に全裸の伯父を見据える。

「何故全裸なのだ。見苦しいので隠して欲しいのだが」

「好きで全裸なわけじゃない! この化物が、服を破裂させやがったんだ!」

 叫びながら伯父である田原春氏は、うつむき固まったままのミアン嬢を足蹴にする。

 声もなく、彼女は横倒しになった。


 その様を視界の隅に捉えたまま、仏頂面でクレンは再度問う。

「破裂? 魔術を使ったのか?」

「そんなこと知るか! あんたらが調べれば済むことだろう! だからとっとと、この化物を連れて行ってくれ!」

 肩で息をして、田原春氏は忌々しげにミアンを指さした。

 爆破魔術という魔術は、たしかに存在する。扱いが非常に難しいうえに、習得には各種資格の取得や精神鑑定が義務付けられている、厄介な魔術だ。

 それを先天的に扱える少女──魔術師としては逸材であるとともに、魔術同様使いどころが難しい存在かもしれない。


 だが、それはともかく。

 大股でダイニングに進入したクレンは、床に倒れたままのミアンを引き起こした。そのまま、やや強引に彼女を自分の後ろに立たせる。

 その様子に、田原春が顔をしかめた。

「おい、あんた何やって──」

 しかめられた顔を、悪魔をも締め上げる右腕が容赦なく打ち据えた。殴打の勢いでぐるりと回転しながら、田原春氏は倒れる。

「お、お父さん!」

 田原春夫人が悲鳴を上げて夫に縋りつき、次いでクレンをねめつけた。


 その視線に怯むどころか、酷薄な目で受け流し、クレンは静かに言った。

「一つ、言っておく」

 そして息を吸い、怒声と共に吐き切る。

「検査も受けさせない、保護者としての責任も果たしていない分際で偉そうに言うな! そもそもお前たちが彼女に、(しか)るべき検査を受けさせていれば、今回の被害も未然に防げていたはずだ! 先ずは己の不手際を責めろ! この裸族め!」

 言い切ってから、さすがにちょっと後悔する。

 あまりにも強く言い過ぎたかもしれない。これは魔術管理局にクレームが届くかもしれない。裸族は私怨が混じり過ぎたかもしれない──等々と。


 だが、覆水(ふくすい)盆に返らず。言ってしまったものは仕方がない。

 丸い目で固まる全裸の夫妻をもう一度睥睨(へいげい)し、クレンは回れ右をした。

 後ろに下がらせていたミアンと、この時初めて目が合った。

 痩せぎすの少女の猫目は、一層大きく見えた。


 目ばかり目立つ少女は、何故か顔を赤くしてクレンを見ていた。熱でもあるのだろうか、と考えていると、彼女に手を取られた。

「おい、何をする」

 ムッとして手を引き戻そうとするも、その前にぶんぶんと上下に振られた。

「あの、ありがとうございますっ」

「……は?」

 ぶたれた際に引っかかれたのか、ミミズ腫れもできている頬のままキラキラと、ミアンは笑った。


 呆けたクレンは遅れて、先ほどの長広舌の文句に感謝されているらしい、と気付く。

 痛々しくも屈託のない笑みに毒気を抜かれ、クレンは視線を下に落とした。自分の右手を握りしめる、彼女の両手を見る。

 それは十七歳のものとは思えぬほど、肌が荒れて痩せこけた手だった。

 おまけに間近に見ると、肩の位置で切られた赤い髪も、長さがガタガタであった。おそらく、自分で切ったのだろう。

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