28:不意打ちの電話
クレンの見立て通り、女性店員はやはり有能であった。
彼女が見立てた服は、どれもミアンによく似合っていた。サイズもぴったりであったので、あのブランドとの相性自体がいいのかもしれない。
ひとまず今日は、上下ともに数着ずつ購入するに留めた。もっと買ってもよかったのだが、値札の数字にミアンがどんどん青ざめていったため、ほどほどにしておいたのだ。
しかし青ざめっぱなしだったミアンも、商品が紙袋に詰め込まれる段階に至っては悟りを開いたのか、むしろきらきらした目で自分のものになったそれらを眺めていた。
「素敵なお洋服がいっぱいで、嬉しいです。ありがとうございます」
店員に見送られて店を出ると、ぺこり、とミアンは頭を下げた。照れ隠しの仏頂面になり、クレンはそっぽを向く。
「師匠として、当然のことをしたまでだ。私服を買ったのだから、休日も制服で出歩くような無益な行為は慎め」
「はい。師匠とデートする時は、一生懸命おめかししますね」
「はぁっ!? こ、これはデートではない! 買い物だ!」
不意打ちに、耳まで赤くなってクレンはがなった。
それにミアンがころころと笑う。その笑顔があまりにも屈託のないものだったから、つい怒る気勢も削がれてしまった。続けて怒鳴る代わりに、舌打ちを一つ。
「……もういい。家具屋に行くぞ」
「はい」
ぱんぱんに衣類が詰まった紙袋を肩にかけ、クレンが先を進んだ。それをミアンが追う。
家具の量販店は、上の階にあった。二人で前後に並んでエスカレーターに乗り、上階を目指す。
しかし登りきったところで、通路を進む勝気そうな少女とばったり出くわした。リコである。
クレンと目が合うや否や、リコの顔が般若に変わる。クレンももちろん、親兄弟の仇とばかりにリコをねめつけた。
だが
「……ドーモ、瀬田サン」
かなりぎこちないうえ、たどたどしい言い方ではあったが、彼女はごくごく常識的な挨拶をした。ついでに頭も、不服そうにであるが、一つ下げる。
これにはクレンが面食らう。
「何のつもりだ、小娘。油断させたところで、俺を殺す算段か」
「なんだと、こら! ミアンがいるから、挨拶してやったのに! ふざけんな!」
が、すぐに平時のリコに戻った。どさくさに紛れてミアンに抱き着きつつ、彼女の匂いをかぎつつ、クレンを威嚇する。
「はー……いい匂い……というかおっさんが、こんな、仲良しファミリーが素敵なお家を作るためにウフフアハハと集まる家具屋さんに、何の用なんですか?」
じっとりにらまれ、クレンのこめかみに青筋が浮き立つ。人差し指を、リコの眼前に突き出して、叩きつけるように言葉を吐く。
「独身者で悪かったな! 俺たちにだって、ここでベッドを買う権利はある!」
「ベ、ベッドですって……」
わなわなと震え、リコの顔が暗くなった。
「……分かった……。ちゃっかりダブルベッドを買って、ミアンをそこへ引きずり込むつもりでしょう! この変態!」
「誰が変態だ! お前こそ、発想が逐一卑猥だ! この、女子の皮を被った色情魔め!」
「誰が色情魔よ! そっちこそ、ミアンにべったりの分際でよく言うわね!」
そこでミアンを再度抱きしめようとして、リコは彼女の不在に気付く。
しばし怒りを忘れ、辺りをキョロキョロ。
「あれ? ミアンは……?」
「守賀なら店に向かった。それぐらい気付け」
クレンがあごをしゃくる。その先には、店の入り口に置かれたワゴンコーナーを物色する、ミアンの姿がある。
彼女が見つめているのは、抱き枕だった。シロクマの形をした抱き枕をキュッと抱きしめ、そして腹周りをもふもふと撫でている。
抱き心地も触感も気に入ったのか、彼女は一層表情を明るくして、クレンへ振り返った。
「師匠、この抱き枕素敵ですよ。クマさんで、もふもふです。ベッドに置きましょうよ」
警戒心など微塵もなく、天真爛漫に微笑む彼女は、シロクマの比でなく愛らしかった。
「ああ……可愛いな」
それはほぼ無意識の、魂からまろび出た呟きだった。
少し離れた場所にいるミアンには聞こえなかったのか、不思議そうに小首をかしげている。
しかし眼前のリコには、ばっちり聞こえていた。
彼女は瞬く間に、汚物を見る目でクレンを蔑んだ。
「あんた最低……」
この悪罵で、クレンも我に返る。みるみるうちに、顔が赤くなった。
「ちっ、違う! クマさんが可愛いと思っただけだ!」
「おっさんがクマさんとか言うな。それはそれでキモいから」
「キモいとは何だ! そもそも俺は、まだ二十代だ! そのような若輩者を捕まえて、おっさんとは何事だ!」
「残念ね、おっさん。おっさんって言葉に、敏感に反応するようになった時点でおっさんなのよ、もう」
小娘の分際で、言い得て妙である。
言いくるめられ、歯ぎしりする彼の携帯が、この時震えた。電話だ。
舌打ち交じりに、クレンは後ろポケットから携帯を引っこ抜く。電話の発信者は、奥間だった。
「なんだ。非番の魔術師に、電話をかけてくるとはどういう魂胆だ」
早口にそうまくし立て、さっさと通話を終えようとした。
「違うの、クレン君! 仕事じゃなくて、もっと大事なこと!」
しかしそれを、切羽詰まった奥間の声が制止した。苛立たしげだった表情を訝しげなものに変え、クレンは携帯を持ち直す。
「……どうした?」
「笛野君が、刑務所から逃げ出したらしいのっ」
クレンは言葉と表情を見失った。
笛野は、彼の元弟子だった。また、彼に一生残る傷を負わせた張本人でもある。
彼は思わず、眼帯を手で覆った。