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24:ケーキ

 昼の二時に、奥間は来訪した。

 その頃にはミアンの酒も粗方抜けており、ヨロヨロのパジャマ姿ではなく部屋着姿に着替えることが出来ていた。

 荒れ放題だった髪もブラシを通し、いつも通りの艶やかなものになっている。

 気遣い屋のミアンは、礼儀として制服姿で出迎えるべきかと悩んでいたのだが、それはクレンが止めさせた。かしこまり過ぎている。

「体調不良ということにしている。そもそも相手は奥間だ。寝巻のままでも問題ない」

と言えば、ミアンも笑ってうなずいた。弟子としてはよい傾向である。


 そんな内情も知らず、奥間はいつも通り腹を揺らして、福福しい笑顔で現れた。それをミアンと二人並んで、玄関で出迎える。

 奥間は彼女の顔を覗き込んで、あらあらと呟く。

「顔色はそんなに悪くないのね。体調不良って聞いてたから、ちょっと安心したわ」

「ご心配おかけして、すみません」

 ぺこり、とミアンは頭を下げる。それに、奥間は屈託なく笑った。

「いいのよ。若者を心配するのは、おじさんの趣味みたいなものだから」

 おじさんと言うよりも、奥間の趣味ではなかろうか、とクレンは考える。

 しかし下手に口を出せば、こちらにまで火の粉が飛びかねないので、ツッコむのは止めた。


 代わりに奥間が、ハンドバッグのように腕から下げている紙袋を見る。ずいぶんと大きい。

「おい、なんだそれは」

「なんだって、やあね。お見舞いのケーキに決まってるじゃないっ」

 バシバシと容赦なくクレンの腕を叩きながら、奥間はウィンクした。

「ミアンちゃんが元気になるように、と思ってね。せっかくだから、皆で食べましょうよ。ね?」

 そう言って、ミアンにもウィンクの大安売り。


 しかし素直な彼女は、それにげんなりすることもなくはしゃいだ。

「ケーキですかっ?」

「ええ。アップルパイに、ムースに、タルトに、イチゴのショートに、モンブランに、シブースト──好みを訊くの忘れちゃってたから、色々買って来たわよ」

 本当に色々と買って来ている。どうりで紙袋が、やけに大きいわけだ。

 左眉を持ち上げ、クレンは詰問。

「我が家は二人家族だぞ。何を考えているんだ、お前は」

「もう、失礼ね。ちゃんと僕も、持って帰るわよ」

 おっさんのふくれっ面というものは、正直癪に障る。


 内心イラッとするクレンとは対照的に、ミアンは浮かれていた。両手を合わせて、目をキラキラ輝かせている。

「ケーキなんて、子供の頃以来です……」

 陶然(とうぜん)と呟かれた言葉は、聞き捨てならぬものだった。

 クレンと奥間が目を合わせる。次いでクレンは、訝しげにミアンを見た。

「守賀。子供の頃というのは、ご両親が存命の頃か?」

「ええ、そうですよ」

 あっさりとうなずくミアン。途端、おっさん二人の顔が、感傷たっぷりのものに変わった。なんともしょっぱい。


 ために、ミアンはあわあわと言い添える。

「あ、でも、チョコとかクッキーはご近所さんとか、友達から貰ったりしてましたから!」

 余計に泣ける弁解だった。

 男たちは、思わず目頭を押さえてうつむく。

 今度はミアンが、そんな彼らの挙動を不思議そうに見つめた。

「どうしました、師匠? ひょっとして、眼精疲労とかですか?」

「年を取ると、大脳の機能低下によって涙もろくなるんだよ。察しろ」

「は、はぁ……」

 潤んだ目でキッと彼女を見ると、ミアンは半笑いでたじろいだ。


 そして、実際に涙をぽろぽろ零している奥間が、レースのハンカチで目尻を拭いつつ、猛然と廊下へ上がる。

「食べよう、ミアンちゃん! 今までの分も、いっぱいケーキ食べましょう!」

「はい……どうも、ありがとうございます……」

 たじろぎっぱなしのミアンの手を強引に取り、家主の許可も待たずにリビングダイニングへずかずか上がった。

 その後ろ姿を、やや呆れ顔で眺めていたクレンだったが、遅れて入室。


 そして三人分のコーヒーを準備する。客は奥間唯一人なので、インスタントでも勿体ないぐらいだ。

──白湯でもいいだろうか。

 そんな不穏な思案をしつつ、湯を沸かしている間に。

 奥間はケーキがみっしり詰まった、大きな白い箱を開封している。

 中をのぞきこんだミアンが、黄色い声を上げた。

「すごい! どれも美味しそうです!」

「そうでしょうとも、そうでしょうとも!」

 奥間も一緒になってはしゃいでいた。彼は、箱の一角を指さす。

「ほら、これ。アップルパイがね、このお店で一番人気なの。ミアンちゃん、是非食べてね」

「わっ、ありがとうございます!」

 ミアンは屈託なく微笑んだ。奥間も満面の笑みである。


 彼女がこんなに元気になれるなら、奥間を招いて良かった、と三つのマグカップにインスタントコーヒーの粉末を入れながら、クレンは考えた。

 そんな彼の耳に、奥間の声が再び届く。

「あと、そうそう。ここのレモンタルトは、クレン君も好きなんだ。だから、彼のお金で買ってあげるといいと思うわ。泣いて大喜びするはずよ」

「妙な入れ知恵をするな」

 素早く、クレンが茶々を入れた。とんだマッチポンプである。

 やはりこいつを招き入れるべきではなかった、と再考するクレンだった。

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