23:奥間からのメッセージ
あんなにもテンパった後で、一体どんな顔をしてミアンと話せばいいのか。
そんな風にクレンは、悩みに悩んでソファの上で寝返りを打ち続け、一夜を明かした。
翌朝、寝不足の頭で携帯だけを手に、キッチンへと向かう。
しかしミアンの姿はなかった。本日は土曜日だが、そんな時でも彼女はいつも早々に起き出し、朝食づくりに勤しんでいるというのに。
キツネにつままれた思いでカウンターに携帯を置くと、ぺたり、と背後から足音が聞こえた。
振り返ると、素足のミアンが立っている。いつもスリッパを履いているので、珍しい。おまけに赤い髪も寝起きのまま、ボサボサである。
そんな彼女は、側頭部を押さえてうなだれていた。顔色もよくない。
ただならぬ様子に、クレンは抱え持っていた気まずさもすっかり忘れて、彼女へ近づく。
「どうした守賀。具合が悪いのか?」
「朝起きたら……頭がガンガンして、気分も悪くて……朝食、作れてなくてごめんなさい」
「二日酔いだな。飯の心配はするな、どうとでもなる」
そもそも具合の悪い人間に家事をさせるほど、クレンは冷血漢でもない。
ミアンがいつか言ったように、その辺は案外、情け深いのだ。
リビングダイニングの、ラグの上に彼女を座らせて、クレンは冷蔵庫の野菜室を開ける。ラップにくるまれている生姜がいた。
調味料の入った戸棚を開けると、蜂蜜もあった。
それらを取り出し、ミアンを窺う。
「生姜湯を飲めば、吐き気はマシになるはずだ。飲めるか?」
「液体なら、なんとか……」
力ないうなずきが返って来た。相当辛いらしい。
「分かった。作ってやるから、そこで寝ておけ」
「ありがとうございます……あの、師匠」
「なんだ」
ややぎこちない手つきで生姜の皮を剥きつつ、彼女を見た。
痛みと吐き気で歪んだ顔が、こちらを真正面に見ている。昨夜のことを思い出し、クレンは人知れずどきりとした。
しかし、彼女が発したのは、甘さとは無縁の言葉であった。
「こんな辛い思いをするのに、大人はお酒を止められないんですか?」
むしろ世界の真理に触れる問いである。
包丁を動かす手を止めて、クレンは苦笑い。
「酒がもたらす苦痛より辛いものが、この世の中にはあるからな」
「そうですか……つまりこの世は生き地獄、なんですね」
「要約するとそうなるな」
再び側頭部に手を当て、背を丸めてミアンはうめく。
「……どうしてこの世に生まれて来たのか、と考えてしまいます」
真面目なミアンらしい。
「二日酔いの頭を無駄に使うな。虚空でも見つめてぼんやりしていろ」
「はい……」
言われた通り彼女は、クッションを枕代わりにして横になる。そしてぼんやりと、南向きのベランダから外を眺めていた。
その間にクレンは、皮を剥いた生姜をすりおろす。
そしてミアンが愛用しているマグカップへ、すりおろした生姜と蜂蜜を投入。ついでにレモン汁も入れてみた。なんとなく、気分だ。
最後に沸かした湯を注ぎ入れ、一混ぜすれば生姜湯の出来上がりだ。
そのマグカップを、リビングダイニングまで持って行き、ローテーブルの上にことりと置く。
ぼんやりベランダの外を眺めていたミアンの、青い目に意思が戻ってクレンを見上げる。
「とりあえず、これを飲んでおけ。食欲が戻れば、他にも何か作ってやる」
「ありがとうございます」
過分な謝罪は、いつの間にかなくなっていた。苦痛を押し殺した声と共にぺこりとお辞儀をし、ミアンはマグカップへ手を伸ばす。
そして息を吹きかけながら、生姜湯を一口飲んだ。
途端、ほわりとした笑顔が浮かぶ。
「美味しい……優しい味ですね」
彼女の笑顔にクレンもほんわかしつつ、気遣い屋へ釘を刺すことも忘れない。
「ならばよかった。ただし、無理して全部飲まなくていいからな」
「はい」
頷きつつ、彼女は二口、三口と生姜湯を飲む。気に入ったのは、お世辞ではないらしい。
温かいものを飲んだからか、少し顔色もよくなっている。
そのことに密かに安堵していると、カウンターに置きっぱなしにしている携帯が振動した。
立ち上がってディスプレイを見ると、奥間からのメッセージだった。
シフト制で土日祝も関係ない管理局局員は、今日も仕事であるらしい。ご苦労なことだ。
メッセージを開くと、
《どう? ミアンちゃんと上手くやってる? 今日、仕事で近くまで行くんだけど》
こちらの醜態を、見透かしたかのような問いであった。
タイミングの良さに歯噛みしつつ、ちらりとミアンを見る。その横顔は、未だ覇気がない。
《守賀は体調不良で寝ている》
来てほしくないので、こう送った。実際ミアンとしても、来客は迷惑だろう。それなのに、空気が読めない奥間には伝わらなかったようだ。
《大変! それじゃあ、お見舞いに行くね!》
大変なのはお前の頭のめでたさだ、と返しそうになって、止めた。
言ったら言ったで、
「なんですって! これでも奥さんから、笑顔のハッピーボーイって呼ばれてるのよ!」
と殴りこまれかねない。
というか、過去に実際あった。
ディスプレイをにらんで、クレンはため息。
「こいつとの意思疎通は、いつになったら果せるというのか」
思わず遠い目になる。
奥間と知り合って、十年になる。悪い人物でないことも、充分知っている。
しかしそれでも、未だに若干苦手であった。