20:師匠は分かっていない
ひょっとすると、
「合コンへ行くな」
と言ってもらえるかもしれない、とミアンは期待していた。
しかし残念ながらクレンは、合コン参加に賛成だった。それも
「青春を謳歌すればいい」
と、後押しまでしてくれる始末だった。
そうではないのだ。
ミアンが欲しかった回答は、そうではないのだ。
少しでも、異性として意識してもらいたかった。保護された犬猫扱いではなく、女性として心配して欲しかったのだ。
薄々感づいてていたが、やはり朴念仁らしいクレンに、女心の理解を求めたことが愚行かもしれない。
そのことにガッカリしつつも、やや向こう見ずに彼へ迫った結果、うろたえる姿を見ることは出来た。
ほんの少しは、女性として見てもらえているのかもしれない。
まだ望みはあると信じよう、と気持ちを切り替える。
ミアンは今まで、伯父夫妻の奴隷だった。
表向きは子供のいない夫妻にとっての、可愛い義理の娘。
しかしその裏では、奴隷あるいは下僕の扱いを受けていた。
性的虐待こそなかったものの、人としての尊厳を徹底的に踏みにじられ続けた暮らしだったのだ。
伯父からは終始一貫して存在を認められず、伯母からは
「あんたが来たせいで、私たちは子供を諦める羽目になった」
となじられては、よく殴られていた。
今にして思えばよくもまあ、部屋も貰えないことに疑問を抱かず、のうのうと生きていたものである。
あの頃は、様々な感覚が麻痺していたのだろう。
一方で、人の悪意を察知する感覚だけは、研ぎ澄まされていたと思う。
その中において、真っ向から伯父たちを非難し、ミアンを救い出してくれたクレンが、やはり一番好きだった。
何かの因果で巡り巡って、クレンが合コン相手になればいいのに、などと考えながら、ミアンは目を覚ました。
朝五時十五分。いつも通りの起床時間である。
一分でも寝過ごすと伯父から蹴飛ばされていたため、未だにこの時間に目が覚めていた。
己の奴隷根性にうんざりしつつも、たっぷりある朝の時間を使い、二人分の弁当と朝食を、愛情込めて作る。
今日の朝ごはんは、ホットドッグだ。弁当の目玉は、サワラのピカタである。
弁当が冷める頃合いに朝食も作り終え、そこでクレンを起こす。
平時は不機嫌かつ低空飛行なテンションの彼らしく、朝の寝起きもよくなかった。
今日も、日中以上の凶悪面でカウンターに座る。ミアンもその左隣に座りながら、彼を窺った。
クレンに惚れているミアンでも、人相が悪いな、と思う程度には極悪だった。
「……なんだ?」
視界のある左側に座っているので、すぐに気付かれた。ううん、と彼女は首を振る。
「師匠って低血圧なのかな、と思って。毎朝眠そうだから」
「そう言えば。高血圧一家だが、俺だけ低血圧だ」
あくび混じりでそう答える、彼の声は精彩に欠けている。それが面白く、ミアンは笑いつつ手を合わせた。クレンもそれにならう。
「いただきます」
同時にそう唱えて、朝食を摂った。
「あ、低血圧なら……朝からお肉は重かったですか?」
ホットドッグは胃に来るのでは、とミアンは顔を曇らせた。しかしクレンは、無表情に首を振る。
「何を食べても寝ぼけているが、肉は好きだ。そもそも、寝起きで物を食べられないほど、俺は軟弱ではない」
「無理しなくていいですよ? 消化にも悪いですし」
「していない。というか、年寄り扱いするな」
むっつり言いつつ、彼はむしゃりとホットドッグを頬張る。無理はしていないようだ。
それならいいか、とミアンも彼に笑いかけてホットドッグをひと齧り。マスタードと刻んだピクルスが、実にいい仕事を果たしている。
しばしお互い、無言でホットドッグを食べ、コーヒーを飲み、またホットドッグを食べ、という行為を繰り返していたが、しばらくしてクレンが口を開いた。
「そういえば合コンは、今日の夜だったか」
覚えていてくれたのか、とミアンは内心で喝采を上げる。
「はい、そうですっ」
つい声がうわずった。クレンが面食らったように、やや後方へ仰け反る。
「なんだ、楽しそうだな」
おまけに嫌な勘違いをされた。違う、とは言い出せずに、ミアンの顔はぎこちなく半笑いを浮かべた。
ここで「あなたが気にかけてくれているのが、嬉しいんです」と言えれば、どれだけ楽だろうか。
未だ寝ぼけているのか、悶々とするミアンに気付くことなく、クレンはなお問いかけた。
「場所はどこだ?」
「『ミラーマ』っていう、駅前のカフェです。夜はお酒も扱ってるそうなんです」
元がカフェであるためソフトドリンクも充実しており、また料理も美味しいらしい。チェーン店なので、値段も安価なのがありがたい。
「ずいぶん近場だな」
「合コンのお相手が、駅の近くの市大に通っているそうです」
「ああ、あそこか」
うなずいた彼は上半身を左に向けて、正面からミアンを見る。
「せいぜい楽しんで来い。ただし、酒は飲むなよ」
「飲むわけないじゃないですか……」
ミアンは思わずむくれた。半眼になり、じっとり彼を見上げる。
いつだって、保護者みたいなことしか言わないのだから、ずるい。
こっちはこんなにも、彼のことを好きなのに。
その視線の意味が分からず、クレンは顔をしかめる。
「なぜ拗ねている。飲みたかったのか?」
「違いますっ」
本当に女心が、分かっていない。これで三十手前なのだから、恐ろしい。