19:イチャイチャチュッチュの是非
クレンが家に帰ると、すでにミアンの姿があった。制服の上からエプロンをまとい、夕飯作りに取りかかっている。
「今帰った」
「おかえりなさい、師匠」
キッチンに顔を出した彼を見とめ、ミアンは笑顔になった。
しかし気のせいか、普段より快活さに欠ける。
《ちょっとご相談したいことも発生したんですが──》
メッセージの文面を思い出し、それが原因だろうか、とクレンは考えた。
考えた彼は、早速行動に出る。空気を読んで大人しくするのが、クレンは好きではなかった。
一つ断っておくが、できないわけではない。したくないだけだ。決して、空気の読めない可哀想な奴ではないことを、ここに明言する。
洗面所で手を洗ってカウンターに座り、ミアンが筋取りの真っ最中である、さやえんどうを引き受ける。
「ありがとうございます」
はにかむ彼女をじっと見た。
「相談がある、とメッセージにあったが」
「覚えてて、くれたんですね」
「それぐらい覚えている。馬鹿にするな」
ふん、と鼻を鳴らすとミアンは笑った。先程よりも元気な笑みだ。
流しで手を洗い、タオルで拭いながら彼女はポツリと言った。
「合コンへ、行くことになりました」
合コン。男女が出会ってキャッキャウフフして、色々いたす場所並びにイベント。
思わず握ったさやえんどうを、真っ二つに折る。
「……前後の脈絡が、全く見えないのだが」
ぎこちない動きで、辛うじてそれだけ言った。ミアンも力なくうなずく。
「あたしにも、実はよく分かりません。リコちゃんが、部活のOGさんの伝手があるからって……」
「小娘は破天荒過ぎるな」
はあ、とミアンはため息。
「学校のお勉強に魔術のお勉強、それから師匠のお世話で手一杯なのに……」
「待て! 何故人を赤子扱いする!」
これは聞き捨てならない、とカウンターを手のひらで叩く。
「お前がいなくても、俺は独りで生きていける!」
そう言って、真っ二つに折れたさやえんどうを振り振り。
「さやえんどうだって、自分で筋取りできる!」
「折れちゃってますが、それ」
訝しげなミアンへ、真っ赤な顔でクレンが反論。
「こ、これはたまたまだ! 折れたのだって、そもそもお前が……っ」
「あたしが?」
首をかしげ、無垢な瞳がクレンを見る。
合コンについて、色々やましい発想をしたことが、つくづく嫌になってしまう青い瞳だ。
「も、もういい!」
子供のようにぷい、とそっぽを向く。
「とにかく、俺は独りでも生きていける。だからお前も、なんだ、青春を謳歌すればいいではないか」
「……謳歌しちゃって、いいんですか?」
「は?」
横を向いたまま、視線だけミアンへ向ける。
無垢な彼女の表情に、挑むような色が差していた。
クレンは思わず、ミアンへと向き直る。
「どうした、守賀」
「あたしが青春謳歌しちゃっても、師匠は困らないんですか?」
「何故そこで、俺が出て来るんだ」
「だってあたしの師匠ですもん」
流しに両手をついて、彼女は身を乗り出した。
「本当にいいんですか? あたしがお家に彼氏連れ込んで、イチャイチャチュッチュしても?」
クレンに挑んでいるようでもあり、また彼を試しているようでもある視線だった。
その視線の鋭さに耐えきれず、クレンはつい、うつむいた。
うつむいて想像する。ミアンが恋人を連れて来て、仲睦まじくしている姿を。
「……」
何故だろうか。想像すると、非常に悲しくなってきた。
これが父性であろうか、と目に溜まりつつある水分を、まばたきで散らしながら考える。
しかしクレンは、ミアンの父親ではない。というか、そこまで年は離れていない。
実のところ、この気持ちの出所は何処なのだろう。
考えても分からないので、苛立ちを深呼吸でごまかしながら、クレンは言った。
「……そういうことは、よ、他所でやれ。いや、お前はまだ未成年なのだから、そもそも大手を振ってイチャイチャチュッチュなどという、ふしだらな行為をするな。責任が取れるようになるまで、自制しろ! 俺は認めんぞ、そんな、ふしだらな!」
が、ついついエキサイトする。
ふしだらを二回言ってしまった自分の方がふしだらでは、と怒鳴り終わってから羞恥心に見舞われた。
クレンが、想定以上に熱くなってしまったからであろうか。
ミアンは唖然、と目を見開いて固まっている。
しかし間を置いて、彼女は微笑んだ。安心しきった、今日一番の柔らかい笑顔だ。
「しませんよ、そもそもイチャイチャなんて」
「そ、そうか……」
彼女の言葉に、クレンもホッとする。肩から力を抜いた。
会話の最中も、彼の手は止まっていなかった。ちまちまと筋が取られたさやえんどうを、ミアンが請け負う。
フライパンにごま油を熱し、そこへさやえんどうとツナ缶のツナを投入。塩コショウと醤油で味付けをし、最後にかき混ぜた卵を注ぎ入れる。
さやえんどうとツナの、卵とじだ。
カウンターには卵とじ以外にも、豚の角煮と葉野菜と新玉ねぎのサラダや、菜の花のゴマ合えなどが並んでいる。メインディッシュはホッケのみりん干しだ。
慣れた手つきで皿に盛られる卵とじを、じっと見つめるクレンへ、ミアンは「でも」と声をかけた。クレンも我に返る。
「合コンには、行くだけ行ってきますね。若者にも、一応付き合いというものがあるので」
「ああ、分かっている」
本当はまだモヤモヤとした感情を持て余していたが、大人の沽券として、そんな感情は内側へ押し込める。
代わりにもっともらしい顔を作って、彼女へ指を突きつけた。
「ただし、遅くなるなよ。補導されても、引き取りには行かんからな。自力で戻ってこい」
「大丈夫ですよ。ちゃんと早めに帰りますから」
「分かっているなら、いい」
もったいぶってうなずきつつ、クレンはどうしても気になったことを口にする。
「それで──その、合コンの相手というのは、どこの馬の骨なんだ?」
「大学生だそうです。リコちゃんのOGさんの、お友達のお友達だって言ってました」
「つまりほとんど他人だな」
「そうですね」
困った笑みで、ミアンがうなずく。
しかしクレンは、嫌な予感を覚えていた。
大学生との合コンなど──アルコール必須ではなかろうか、という不安がよぎったのだ。