表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
16/37

15:眼帯と弁当

 友人が飛び出して行ったリビングダイニングの出入り口を、ミアンはじっと見つめていた。微動だにしない。

 その横顔は張りつめており、非常にいたたまれない。

「追わなくて、いいのか?」

 クレンは彼女の痛々しい横顔へ、ためらいつつそう問いかける。ぎこちない動きで、ミアンはクレンへ振り返った。

「今追いかけたらきっと、もっと大喧嘩になると思うんです……だからお互いにちょっと、頭を冷やした方がいいのかなって……」

「そうか。賢明だな」

「ううん。怖がりなだけなんです。これ以上ぶつかっちゃったら……本当に嫌われる気がして、怖くて。あたし、リコちゃんしか友達がいないから」

 首を振って、ミアンは言った。今にも泣きそうな顔である。


「あれだけお前に固執しているから、嫌うことはないと思うが」

「そう……ですか?」

「ああ。傍から見ていて、やや引いた」

 素直に感想を述べると、やっとミアンの顔から強張りが消える。知らず、クレンも安堵した。

 そして深呼吸をして、眼帯を撫でる。

「しかし、あの小娘が指摘したことも、あながち的外れではない」

「え?」

「眼帯だ。普通は違和感を持って、当然だろう。俺だって、未だに慣れていないんだから」

 そう呟いて、眼帯を外した。その様子を目の当たりにしてぎくり、とミアンが身を縮めるのが分かった。


 彼女の視線は、眼帯に覆われていた傷跡に釘付けだった。

「仮とは言え、お前は弟子だ。知る権利があるだろう」

 そう静かに告げると、傷跡を見つめていたミアンの顔が、悲しく歪む。まるで、自分がその怪我を負ったかのようだ。

「ひどい怪我です……これは、どうして?」

 声も、震えていた。

「弟子に逆恨みをされて、眼球を(えぐ)り出された」

 弟子と言う言葉に、ミアンの肩が跳ねる。

 温度のなくなった声で、クレンは続けた。

「二十四歳の時だ。当時引き受けていた弟子と仲違いした結果、寝込みを襲われ、こうなった」

「そんな……そのお弟子さんは、いま……?」

 ミアンは青ざめている。

「逮捕され、刑務所にいる」


 残された左目を、クレンは手元に向けた。その手が握りしめる、眼帯を見つめる。

「お前に話したのは、仮にも弟子でありながら、何も知らないのはあまりにも不公平だと感じたからだ。それ以上でも以下でもない。だから、あれこれ気にしなくていい」

 そう言いながら、再度眼帯を装着しようとした腕に、ミアンがすがった。

 背筋を伸ばして、彼女はじっとクレンを見つめる。

 そんな強張った顔をするなら、いっそ顔を背けてくれればいいのに、と彼はぼんやり考える。


 だが、ミアンは顔を背けなかった。真正面からクレンと、彼に残る傷跡をひたと見る。

「で……弟子を取るのを嫌がってたのは、そのことがあったから、ですか?」

 核心を突かれる。

 しかし改めて言語化すると、まるで子供のような嫌がり方だな、という気持ちも沸いて出て来る。

 ためにクレンはすねた顔で、むっつりとうなずいた。

「……そうだ。あまりにも幼稚な発想に、呆れたか?」

 挑発的な問いかけに、力いっぱい、首が振られる。

「そんなことないです。お弟子さんのせいで大怪我をして……嫌になって当然だと思いました……でも」

 言葉を切った彼女の青い瞳は、大きく潤んでいる。

「あたし、絶対に師匠を裏切りません。絶対に絶対、ずっとそばにいます」


 空のような海のような、澄んだ青い瞳に、吸い込まれそうになる。

 曇天(どんてん)色の自分の瞳とは、大違いだ。

 そして持ち主が純粋だからこそ、こんなにも瞳の色が美しく見えるのだろう──

 そこまで考えてクレンは、内心で愕然としながら、己の思考に歯止めを掛ける。自分はなんて、不埒なことを考えてしまったのだろうか、と。

 首を振って、ミアンに惹かれつつある気持ちを押し殺した。ついでに、むくむく大きくなっていく羞恥心も抑え込む。

 腕に添えられた彼女の手を、やんわりと振りほどいた。このことに、ミアンが一時悲しげな顔を見せるも、見なかったふりをする。


「……俺のことはいい。それよりも、お前は小娘のことを考えろ」

「そう、ですね」

 ぎこちなく笑い、ミアンは一歩下がった。

 二人の間にできた距離に、クレンは寂しさと安らぎを感じた。仏頂面を取り繕う余裕も生まれる。

「小娘をどうするつもりなんだ? いっそ闇討ちするなら、手伝うが」

「しませんよ、そんな」

 クレンの軽口に、ミアンはいつものように笑った。

「闇討ちの代わりに、餌で釣ろうと思います」

「餌……お前の友人はタヌキか野良犬か?」

「あながち間違ってはいないですね、警戒心も強いので」


 ミアンはそう言って、自分とリコのマグカップを、キッチンの洗い場へ持って行く。

 クレンも、自身のマグカップに残ったコーヒーをすすった。

 それはすっかり、ぬるくなっている。正直言って、美味しくはなかった。

 不機嫌顔でコーヒーをすする様子を観察して、ミアンは笑った。

「冷めちゃいましたよね。淹れ直しましょうか?」

 もったいない気もするが、と逡巡の末にクレンは、マグカップをミアンに手渡した。

「ああ、頼む」

「はい」


 再度ケトルで湯が沸かされる。

 流しに手をつき、コンロの青い炎を見つめながら、ミアンは言った。

「リコちゃんは食いしん坊なので、お詫びの品にお弁当を作って謝ろうと思います」

 クレンはカウンターの上に座り、彼女を見る。

「そうか」

「あ、心配しないでくださいね。師匠の分も作りますから」

 ちょっぴり茶目っ気を混ぜた瞳が、クレンを見上げた。初弁当以来、なんだかんだと理由を付けて、彼女は二人分の弁当を作っていた。


 途端、彼の眉が寄せられる。

「そんな心配などしていない! そもそもお前の弁当がなくても、俺は困らん!」

「あ……ひょっとしてお弁当、ご迷惑でした……?」

「あ、いや、それは……」

 強く言い過ぎた。若干しょんぼりしたミアンに、クレンは目を泳がせる。照れを自重しようと思った途端、これである。

「め、迷惑ではない! なくても困らんが……その、あっても、特に困らん」

 胸元に手を当て、ミアンはホッと息をこぼす。

「良かった」

 緩んだ笑顔が大変無邪気で、たまらず胸が鷲掴みにされる。


 それを深呼吸でごまかして、クレンはそっぽを向いた。

「……お前の飯は、美味い。だから困るものでもない」

 視界の隅で、ミアンがゆっくりを目を丸くするのが見て取れた。

 しかし、すぐに彼女はうつむいてしまう。

 どうしたというのか、とクレンは横目でその様子を窺っていた。


「ありがとう、ございます……」

 ややあって、涙交じりの感謝の言葉が、ゆるゆると紡がれた。

 手の甲で涙をぬぐい、えぐえぐと泣く彼女の姿に、クレンは慌てた。

 わたわたと、真っ赤な顔で箱ティッシュを突き付ける。

「い……いちいち泣くな、馬鹿者!」

「ごめんなさい、でも……嬉しくて」

 ティッシュを一枚取って目尻に押し当てて、ミアンはにかんだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ