14:仮弟子の友人
疑問符を抱きつつも、クレンは家じゅうをピカピカに磨き上げ、ついでにジュースとスナック菓子を買いに走った。
おまけに甘い焼き菓子も購入したため、コーヒーと併せて準備万端である。
我ながら、非の打ち所がない完璧な保護者であろう。
「これは俺の、社会人としての常識に基づいての行動だ……決して、決してミアンの友人に嫌われたくない、あいつの心証を落としたくがないための行動ではない」
もちろんこのように、己に言い訳することも忘れていない。
そして事前に宣言した時間通りに、ミアンは帰って来た。ふざけんな、と激怒していた友人を伴って。
リコという名の友人は、一見すると普通の少女だった。
茶色い髪を一つに束ねた、勝気そうな顔立ちであるが、出で立ちに派手なところはない。あくまでも外見からの判断にはなるが、悪い遊びをたしなんでいるような印象も与えない。
そのことに、クレンは少なからずホッとした。
しかし印象がよかったのは、第一印象までであり。
すぐに、「生意気な小娘」だという悪印象で覆いつくされる。
リコはリビングダイニングに入って来るや否や、思い切りクレンをにらみつけて来たのだ。親の仇──いや、先祖代々の仇と言わんばかりに。
「師匠、この子がリコちゃんです」
にこにこと彼女を紹介するミアンそっちのけで、二人はガンを飛ばし合う。
クレンも、「お前の先祖など知ったことか」という反感を精一杯込めて、彼女にメンチを切った。
戸惑うミアンを挟んでの、無言のにらみ合いの末に、先に動いたのはリコだった。
「私のミアンを、何たぶらかしてくれてるんですか?」
「たぶらかす、とは何のことだ」
「寿司と焼き肉に決まってるでしょ。ご飯で釣って、恥ずかしくないんですか? おっさんのくせに」
おっさんは、アラサーにとって禁句である。
売られた喧嘩ならば、正々堂々と言い値で買ってやろうではないか、とクレンもたちまち臨戦態勢に入る。
「たぶらかすもクソもあるか。寿司と焼き肉をおごったのは、俺の仕事上の知人であり、俺ではない。文句なら奴に言え。そもそも、守賀から『師匠になってくれ』と押しかけて来たんだ」
傲岸不遜な物言いに、若さゆえに短気であるリコがプッツンする。だんっ、とフローリングに足を大きく落とし、クレンへ叫んだ。
「押しかけただぁ!? 調子こいてんじゃないわよ! こんな美少女、そばにはべらせといて! 何言いくさってるんだよ!」
ミアンの友人とは思えぬ口の悪さである。クレンは盛大に顔をしかめた。
「なんて言葉遣いなんだ。お前は山賊の娘か」
「んだとこら! あんたも人のこと言えた身分か! 野伏の分際で!」
落ち武者狩りや強奪行為をしていた、武装した農民集団にたとえられて、クレンの短い理性もブチ切れる。
「誰が野伏だ! さてはお前、選択科目が日本史だな!」
「よく分かったわね!」
同じく日本史を専攻しているミアンは、「野伏なんて、普通は出てこないよね」と考えながら、三人分のコーヒーを入れることにした。
ダイニングと続きのキッチンへ向かい、ケトルに水をためて沸かす。
沸かしながら、なおも言い合う二人を見た。
「師匠、落ち着いて。リコちゃんは、悪い大人に騙されていないか、心配してくれているだけなんですよ」
その言葉が後押しとなり、リコは胸を反らしてせせら笑った。
「そうよ。だって私は、ミアンの一番の友人だもの。心も顔も、何もかも綺麗なミアンを、あんたみたいな汚い大人に渡してたまるもんですか」
盲目的過ぎるなこの娘、とクレンは寒気を覚えて顔を引きつらせる。
一方、妄執じみた愛を押し付けられているミアンも、困ったように笑っている。
「リコちゃん。師匠はそんな人じゃないよ。とっても優しくて、いい人だよ?」
「どうかしら? ミアンは心優しいから……」
「大丈夫だよ、悪い大人ならずっと見て来たから」
ミアンが言うと、言葉の重みが違う。
ここで一時休戦し、ミアンが淹れたコーヒーを飲む。
彼女は料理上手だが、コーヒーを淹れるのも上手かった。ただのインスタントコーヒーなのに、自分で作るよりも美味しい。
来客用のマグカップを両手で包み込み、リコも笑う。
「ミアンはコーヒー淹れるのも上手だよね。私のお嫁さんになってほしいぐらい」
本気で言ってそうな、ぎらついた目つきが、ちょっと怖かった。
しかしミアンは、慣れた様子で笑い返している。
「ただのインスタントだよ。大袈裟だって」
言いながら、ミアンはキッチンを見た。
「師匠のお家に来てからね、キッチンに立つのも楽しいの。ご飯だって残さず食べてくれるし、ストレス発散に殴られたりしないし」
彼女の眼差しも、声も温かい。
しかし照れて怒鳴ることが度々あるため、クレンは少々申し訳ない気持ちも抱えていた。もう少し、照れを自制しなければ、と。
ミアンの言葉に、不承不承とリコはうなずく。
「まあ、髪も綺麗になったし? ちょっとお肉もついてふっくらしたし? まともな暮らしができてるとは思うけど……」
でもね、と再びリコはクレンを威嚇する。やや黒目の小さい瞳が、鋭く彼を見据えた。
「私はミアンと、中学からの友達なの。この子が、クソ伯父の家でしんどい思いしてたのも知ってるし、警察に駆け込んだことだってあるの。だから、あんたのことも絶対油断しないから」
どうやら警察に、ミアンの虐待を訴え出た友人というのは、彼女のことらしい。殊勝で、友人思いの少女である。
いや、それはともかく。彼女への虐待を疑われるのは甚だ不本意だ。
左眉を持ち上げて、クレンもしかめ面を浮かべた。
「ふざけるな。虐待などという非生産的な行為に興じる程、俺は暇でも馬鹿でもない。そもそも、若者は年長者が導き、育てるものだ」
「急にまともなこと言い出した……情緒不安定なおっさんね……」
再びのおっさん呼びに、神経が限界まで逆撫でられる。
「誰がおっさんだ! この小娘が!」
「小娘ってなんだよ、このスカタン!」
再び始まった喧嘩に、ミアンは泣きそうな顔で困りだす。
「ちょっと、やめてよ……リコちゃん、師匠は本当にいい人なんだよ? それにまだ二十代らしいから」
らしい。その三文字が、ひっそりとクレンを傷つけた。
しかし傷ついたのは、リコも同じであった。拳を握りしめて、ミアンを見つめる。
「どうしてそこまで、このおっさんの肩持つのよ!」
「だ、だってリコちゃんが責めるから……」
途端、ミアンはおどおどと困りだす。
「責めても仕方ないじゃない! 眼帯とかして、痛いおっさんじゃん!」
この言葉が、ミアンの顔をも強張らせた。怒りで。
「……人の傷のことをとやかく言う、リコちゃんの方が痛いよ」
「え?」
「師匠が傷跡を隠すために眼帯をしているのは、見れば分かるじゃない! それなのに、そのことを馬鹿にするなんて、ひどすぎるよ!」
うっすらと涙の浮かぶ目で、ミアンはまくし立てた。
「なっ……なんで私に怒るのよ? 私は、ミアンを心配して……」
引きつった顔で抗弁するリコへ、彼女はぴしゃりと言った。
「師匠はいい人だから、心配なんていらないっ。リコちゃんは、お節介が過ぎる!」
「なによそれ! 私は、ミアンが今まで大変な思いしてたから、すっごい心配してるのに……お節介ってなによ!」
「そのままの意味よ! あたしだって、自分で考えて行動できる! なんでもかんでも、世話焼かないで!」
「ひどい! 私の気持ちも知らないで!」
売り言葉に買い言葉、である。
二人はにらみ合いの末に、決裂した。
「……もう帰る」
そう言うやすっくと立ちあがり、リコは大股で出て行った。
二人の口論の原因となったクレンは、その成り行きを呆然と観戦するしかなかった。
まさに「俺のために争わないでくれ」の、古典的ヒロイン状態である。そして古くからあるヒロイン像というものは、無力なものなのだ。