11:洗濯に関わる諸問題
幸せ一色で終えた焼き肉だったが、そこから自宅へ帰ったところで、ちょっとしたいざこざが発生した。
あの後ビールをしこたま飲み、へべれけになった奥間を自宅まで送り届け、その後二人で新居に戻る。
ここまでは良かった。
問題は、洗濯を誰がするかという点で発生したのだ。
ミアンが学校を休んでいる間は、彼女に家事全般を任せていた。だが、今はお互いに、仕事と学業を背負っている身の上だ。分担するのが筋だろう、と彼は考えていた。
「お前には料理を担当させている。洗濯ぐらい、俺がする」
洗剤片手にこう主張するクレンに対し、頑としてミアンは折れなかった。掲げられる洗剤へ懸命に手を伸ばしながら、抗弁した。
「あたしがします!」
クレンの左眉が持ち上がる。
「何故だ。お前には学業もある。そこまで負担をかけさせては、年長者として──」
「しっ、下着もあるから、恥ずかしいんです!」
真っ赤な涙目で下着を持ち出されると、太刀打ちできなかった。下手をすれば事案ものだ。
クレンもすぐに白旗を上げる。
「わ、分かった……それでは、頼んだ」
「はい……」
うなずきつつも、最後の切り札を出さざるを得なかったことで、ミアンも少し不機嫌になっていた。
珍しく、彼女は唇を尖らせて愚痴をこぼした。
「……師匠って、こういうところは無頓着なおじさんなんだから」
この言葉に、クレンもカチンと来た。なんだと、と彼女を不機嫌顔で見据える。
「いいか。覚えておけ、守賀」
彼女を指さしながら、こう切り出した。
「たしかにお前から見れば、俺はおっさんかもしれない。なにせお前はまだ十代の、人生の酸いも甘いも知らぬひよっこなのだからな。だが俺とて、社会においてはまだまだ若年層だ! 中堅層ですらないんだ! お前の物差しだけで、物事を測るんじゃない!」
このまくし立てに、ミアンはぽかんと呆ける。
そして、赤い髪を無意識に撫でた。
「ええっと……つまり……おじさんと言ったので、傷ついちゃった……ということですか?」
その意訳が、実にその通りだったので、凶悪な面構えのままクレンは荒々しくうなずく。
「ああ、そうだよ! これでも運動したり、食いものに気を付けたり、アンチエイジングに勤しんでるんだよ!」
半ばやけっぱちで、こう叫ぶ。
途端、ミアンが腹を抱えて大笑いした。体もくの字に折り畳んでいる。そして、笑いの合間にこう漏らした。
「師匠ってばっ……ふふっ、意外にちっちゃい……!」
「ちっちゃいとはなんだ、チビの分際で!」
怒鳴りながらも、彼は奇妙な満足感を得ていた。
初めてミアンが、声をあげて笑ったのだ。
笑った内容が内容なので、癪に障るのも事実であるが。しかし、笑う彼女は非常に可愛らしかったし、なによりも生き生きとしていた。
照れ隠しに髪をかき回して、クレンは鼻を鳴らした。
「……お前たちの笑いどころが、俺には分からん。子どもは笑いの沸点が低すぎるから、理解不能だ」
涙まで流して大笑いしていたミアンは、目じりを拭いつつ背筋を伸ばす。
「あたしが悪いんじゃなくて、今のは師匠が絶対におかしいですよ……ふふっ。子どもだっておじいちゃんだって、誰だって笑っちゃいます」
「おかしくない。俺は悪くない。まだ二十代の人間を捕まえて、おっさんと呼ぶお前が悪い」
「えっ、二十代だったの?」
ぎょっ、とミアンが目を見開いた。
分かっている。自分が老け顔だということは。
年がら年中しかめっ面をしているため、余計に老けて見えることも。
しかしそう生きて二十ウン年になるため、今さら生き方を改めようもないのだ。
「……悪かったな」
だから恨みがましく、じっとりと彼女をにらんだ。
するとまた、ミアンは小さく噴き出した。
ムッとする彼から洗剤を受け取りながら、ミアンは軽やかに言った。
「大丈夫ですよ。師匠のこと、本当におっさんだと思ったわけじゃないですから」
「……ならいい」
ぷい、とそっぽを向いたクレンを、実に楽しげにミアンは見つめる。
「師匠って、結構可愛いですよね」
愕然、と目を剝いた後で、クレンは嵐のような勢いで彼女へ振り返った。
「大の大人に向かって、可愛いとは何事だ!」
段々と、彼にも慣れつつあるらしい。怒鳴り声に一瞬怯んだものの、ミアンは笑顔のまま応戦する。
「だって仕草が、なんだか可愛らしいんですよ」
「お前の庇護欲など、煽った覚えは一切ない!」
「そういうところが、可愛いんですってば」
ミアンはコロコロと笑う。
立て板に水とは、こういうことだろうか。
クレンはしばし考えた。
──どうあっても、俺は可愛いらしい。
口を開き、ミアンへ何かを言おうとするも、抗弁が見当たらないまま再度口を閉じた。言い返す代わりに、ギリリと歯ぎしりをする。
「……もういい! 風呂に入る!」
結局、口をついて出た言葉は逃亡宣言だった。
「はい、行ってらっしゃい。洗濯機を回すのは、師匠がお風呂に入った後でいいですか?」
それをミアンは、なんともほっこりした笑顔で見送ってくれる。勝者の余裕であろうか、とクレンはまたも敗北感に打ちひしがれた。
「……ああ」
だから力なくそれだけ答え、洗濯機のある脱衣所を出た。
そのままトボトボと、部屋に戻って着替えを取り。
同じくくたびれた足取りで、再び脱衣所に戻り。
ミアンのいなくなったそこで、脱いだ衣服や下着を洗濯機へ突っ込み。
そして、しょぼくれた顔で浴室へ入った。
敗北感に満ち満ちて浸かる湯舟は、気のせいかしょっぱかった。
また、なんだか汚されたような心持ちにもなってしまい、三角座りのまま体を温める。
思わず、
「ちくしょう」
と彼はうめいた。