9:後ろから
三十分ほど後に、見慣れた制服姿のミアンが姿を見せた。伸び放題の雑草をかき分けて、二人のもとへ駆け足でたどり着く。
「遅くなって、ごめんなさいっ」
荒い息で、開口一番謝る辺りが彼女らしい。
ふん、とクレンは鼻を鳴らして彼女を睥睨する。
「いちいち謝るな。悪いのは、急に呼び出したこの小結だ」
「小結……」
ちろり、と小結体型の奥間を思わず見て、ミアンは口元を押さえる。笑いを堪えている、らしい。
地団駄を踏んで、小結がぷんすか怒った。
「クレン君、辛辣過ぎ! ミアンちゃんもひどいよー! でも、来てくれてありがとう! 遅れてなんてないから、気にしないで!」
「は、はい……」
あいまいに笑った彼女は、二人の背後にそびえる廃屋を見上げた。
「それでその、お手伝いというのは?」
「この屋敷の壁を、お前の魔術で破壊して欲しい」
端的に、クレンが説明を請け負った。
しかしこの言葉に、ミアンの顔が引きつる。愛想笑いも忘れる程に。
「破壊って、魔術で、ですか?」
「そうだ。お前は魔術師見習いだ。魔術で破壊して当然だろう」
「むっ、無理です、こんな大きな建物を破壊だなんて……絶対できません!」
いつでも周囲に従う彼女が初めて、全面的な拒否を突き付けた。声も上ずり、気のせいか目も潤んでいる。
不安がる彼女を、奥間が肩を叩いて励ました。
「大丈夫よ、ミアンちゃん。破壊といっても、壁の一部を壊してくれれば、それで大丈夫だから」
「でも……伯父さんたちを全裸にした以外、魔術を使ったことなんてありません……」
そう。魔術の種類が種類のため、クレンもそれを抑え込む方法しか教えていなかった。
使う場所も限られているため、それもやむなしなのだが。
気のせいではなく涙ぐんでいる彼女へ、クレンも近寄る。その顔をのぞきこんだ。
「俺が補助をする。魔力の制御なら慣れているから、お前は難しく考えなくてもいい」
「でも……」
「師匠を信じるのは、弟子の務めだ。黙って従え」
尊大な物言いに、奥間が眉をひそめる。
「ちょっとクレン君、もっと言い方があるでしょうっ」
苦言を呈する彼に、あわあわとミアンが擁護した。
「だ、大丈夫です。師匠が心配してくれているのは、分かりましたから!」
「ミアンちゃんったら……本当に良い子……あんなのの弟子辞めて、うちの子にならない?」
子沢山が言うと、全く冗談に聞こえない。ミアンも困り顔で、クレンへ助けを求める。
クレンもため息を一つ吐いて、奥間の頭を小突いた。
「くだらんことを言っている暇があったら、仕事をするぞ」
「クレン君、手出すの早すぎ!」
ギャンギャン怒る彼へ、耳を手で押さえてうんざり顔を見せる。
「うるさい。おい、守賀」
「はいっ」
師匠の呼びかけに、ミアンの背筋が伸びる。
クレンは壁のそばに立って、ある個所を指さした。
「ここに立って、ここに手を当てろ」
そこは結界の魔力が、もっとも弱い部分であった。
素直なミアンは、指示された通りの場所へ手を重ねる。
「当てました」
「次に、この壁を破壊するイメージを持て。イメージ出来たら、それを全身の魔力の流れに乗せろ」
「の、乗せ……?」
いまひとつピンと来なかったらしく、ミアンは不安げな表情を浮かべている。
急に抽象的かつ難しいことを言い過ぎた、とクレンは自己嫌悪でため息。
これにミアンが、青ざめる。
「あ、ごめんなさい……」
「違う、怒ってなどいない。さっきのは忘れて、お前は難しいことを考えるな。とにかくリラックスしていろ」
「あっ……」
言いながら、クレンはミアンの肩にあごを載せた。そして右腕は壁に触れている彼女の手に重ね合わせ、左腕は彼女の腹部に回す。あらあら、と奥間が呟いていた。
重ねると改めて、小さくか弱い手だと実感した。
「俺が外から魔力を操作する。お前はただ、リラックスしていれば──おい、どうした」
ミアンが耳まで赤くなっていることに、ここで気付く。全身も固く硬直していた。
潤んだ青い目で、彼女は恨みがましく師匠を見上げる。
「だって、師匠が急に抱き着いて……」
その言葉に、クレンも赤くなる。
「だっ……抱き着いたんじゃない! 密着しないと、魔力を操作し辛いだけだ!」
「でも、手も……」
「操作のために必要だからだ! 嫌なのは分かるが、堪えてくれ!」
「……やじゃないです……」
か細い声が、ミアンから発せられた。彼女と目を合わせると、ふるふる震えながらこう言われた。
「嫌じゃ、ないです。でも、緊張しちゃって……」
「そ、そうか……すまん」
クレンもつい謝って、視線をそらす。
「……とにかく、すぐに終わらせる。だから、少し我慢していろ」
「はぃ」
弱々しい声ながら了承を確認し、クレンはミアンの魔力の流れを読み取る。
淀みなく、それは彼女の全身を循環していた。
その流れを一部操作して、魔術が発動するよう仕向ける。
仕向けた途端、彼女の右手が光りだした。次いで、振動と破裂音に襲われる。
白い漆喰の壁は、粉微塵になった。三人とも、その粉まみれになる。
「爆破魔術って凄いのねぇ……」
奥間は口に入った粉塵を吐き出しながら、呆然と呟いた。クレンもそれに同意する。
「思った以上だな」
「や、やりすぎちゃいました?」
焦って冷や汗をかく彼女の頭に乗った漆喰を、クレンはやや乱暴に払い落とした。
「いや、想定以上の出来栄えだ。よくやった、守賀」
「は、はい!」
粉塗れの白い顔が、赤く染まる。
泣き笑いのような表情だったが、とても嬉しそうでもあった。
変わった奴だ、と考えながらクレンは室内に侵入する。
彼が屋敷内の、すえた空気に顔をしかめるのと、二階から悪魔が駆け下りて来るのはほぼ同時であった。
人の目がないからだろう。青白く、角を生やした本来の姿の悪魔は、クレンと視線がかち合うなり猛然と怒った。
「あんたか! 何勝手に、人の家に穴開けてくれ──」
悪魔が文句を言い終わる前に、クレンがその背後へ一瞬のうちに回り込んだ。転移魔術である。
不意打ちをする側であっても、される側になったことがない悪魔は、ギョッとなり反応が遅れた。クレンは硬直する彼の首へ、腕を回してそのまま締め上げる。
「世迷い言を言うな。ここはお前の家ではない、この居直り強盗め」
「ぐぅっ」
そう一声唸り、二度ほど腕をばたつかせるも、すぐに悪魔は落ちた。クレンはぐったりした体を床に転がして、魔力封じの腕輪を難なくはめる。
そしてジャケットから、封印用の小瓶を取り出した。
流れるような一連の動作を、ミアンはただ呆気に取られて眺めている。
「殺しちゃったん、ですか?」
「いや、気絶させただけだ。殺しては、後々厄介だからな」
「悪魔も、首を絞めると気絶するんですね……」
「そのようだな。俺も最近になり、知った」
この言い草に、ミアンは絶句。
奥間も呆れた様子で、軽く肩をすくめる。
「知らずに首絞めちゃうなんて、どっちが悪魔なんだか」
言い得て妙である。