優しい言葉をかけられるし、なんなら小説についてすこし考えさせられる。
「自分の作品が、大嫌い――?」
あまりに衝撃的な事実だった。
凛の書く作品は主に、ラブコメ中心のライトノベル。
自分の作品が大嫌いということは、その作風も否定していくことになる。
「まあ、あまり気にしないことです」
「無理な相談やめてくださいよ……。俺、平沢先輩のファンなのに初対面から印象最悪じゃないですか……」
「それも含めて気にしないことです。平沢さんは物言いこそキツく聞こえるかもしれませんが、基本的にドライな子なので。ああした会話で誰かを嫌いになることはないはずです」
「だと良いんですけどね……。それと、もし知っていたら教えてほしいんですけど……」
「平沢さんが自分の作品を嫌う理由ですか? 私は知りません。他人に話す気はないみたいですね」
「そんな……」
出鼻をくじかれるどころか、とんでもないハードルが立ちはだかってしまった。
初めての文芸部、初めての先輩――それも大好きな作家だったのにも関わらず、すれ違いどころか拒絶で終わってしまった。
――俺はここにいるべきじゃないのでは、と龍一は考える。
奉仕活動とはいえ、続けられるものとそうでないものの見極めぐらいはできる。
変に入部をして部内の空気を悪くするぐらいなら、いっそ最初から止めておいたほうがいいのではないだろうか。
さっき大谷先生も言っていた。
「あまり無理強いできる案件でもありません」と。
それなら――。
「俺は――」
「二人ともお時間をとらせました。会議の時間がすぐなので私は出ていきます。平沢さんが言ったとおり、明後日の水曜に来てもらえれば大体の雰囲気がわかりますので」
そう言って慌ただしく紙コップを片付ける大谷先生が「間宮くんは」と付け足した。
「間宮くんは、平沢さんの作品がやはり好きですか?」
「は、はぁ……。好きですけど」
「――そうですか」
それから何が展開するわけでもなく、用がなければそのまま下校してくださいと言い残して、大谷先生はその場を去っていった。
なんだったんだ、今の質問は……。
そうして文芸部には部外者である龍一と香菜だけが残った。
沈んだコーヒーの匂い、窓を叩く春風、何より落ち込んだ空気。
これ以上ここにいても仕方ないと判断したのか、香菜は龍一にコーヒーを早く飲むよう促してから、空きのコップを捨てた。
「もう行こっか」
「……ああ」
長い廊下を歩く間も特に会話らしい会話を交わさず、自転車置き場までやってきた。
始業の短縮授業とあってか、朝は満杯だった置き場もこの時間ならなんなく自転車を出庫することができた。
「あとだと忘れちゃうから、今のうちに連絡先教えてよ」
「ああ」
「やっぱ元気ないね」
LINEのアカウントを教える間も、龍一は目に見えてナーバスだった。
あの場では言えなかったものの、大谷先生には文芸部に入らないことを伝えるつもりだったのだ。
「ほら、龍一が先行かないと道わかんない」
「へいへい」
じーこじーことチェーンが回る。
その足取りは明らかに重く、香菜をやきもきさせた。
「龍一、無理して文芸部入らなくていいよ」
「……悪いな」
「本当は来てくれたらすごく嬉しかったけど、そんな顔で毎日来られても困るしね」
「香菜はやっぱり文芸部入るのか」
「うん、そのつもり。まだどんな部活かわかんないけど、私から小説を取ったら何も残らなくなっちゃう――っていうのは大げさかな」
でも、さ。
あとを走っていた香菜が、ふいに龍一に横ならんだ。
「龍一は、あの平沢先輩の小説が好きなんでしょ?」
「……好きだよ、大好きだ」
「だったら、その想いを伝え続ければいいんじゃないかな」
「でも、平沢先輩は自分の作品が嫌いだって」
「――私、そんなことないと思うけどな」
「……どういうことだよ」
「平沢先輩はプロだから売れなきゃいけない。本当は違う物語を書きたいかもしれない。でも、それでも小説を生む苦しみは全部同じだと思う」
「それなら尚更嫌いになるじゃねぇか」
「――ならない、なれないよ。どんなに最初嫌っていたって、書き上げた作品には必ず愛が生まれる。それが小説だから」
めっちゃクサい台詞言っちゃったねと顔を仰ぐ香菜もまた、そんな一人なのだろう。
物語を書けばその気持ちがわかるのだろうか。
それともわからないままだろうか。
「私、ここからすぐのマンションだから。明日からよろしくね。時間はうーんと、八時ジャストにしよっか」
鍋屋横丁を通り抜けて、十貫坂上の交差点で香菜の自転車が止まった。
以前一緒だったマンションよりも、香菜のほうが高校に近いほうに越してきたみたいだった。
バイバイと手を振る香菜に、「ああ」と龍一は一つ返事を送る。
小説のことを知らなさすぎて、めちゃくちゃになった午前中が終わろうとしていた。