香菜はパクチーちゃんと呼ばれるし、なんなら俺は嫌われたかもしれない。
龍一の目の前には、雑誌やネットのインタビューで引っ張りだこのラノベ作家の姿があった。
弱冠16歳で稲妻文庫新人賞の金賞を受賞。
女優のような整った容姿の印象とは裏腹に、その作品のほぼすべてがハーレムもののラブコメであり、来年にはデビュー作がアニメ化する新進気鋭の作家――。
赤い眼鏡をかけているのがメディアでの露出とは違うものの、現実でもその端麗な顔つきはそのまま。
現役高校生とは聞いていたが、まさか坂上学園にいたとは……と龍一は灯台下暗しを実感する。
現在の若手ラノベ作家を引っ張る存在で、龍一が大ファンでもあるその作家の名前は――。
「平沢凛花先生、ですよね……?」
「ペンネームはそうだけど、本名は平沢凛。あと先生って呼ばれるのは苦手」
「す、すみません……」
その会話を聞いて、「あら、意外と有名人だったのですね」と感心するのは大谷先生である。
逆に香菜は「えっ、高校生で作家なの……?」と未だに信じられないといった面持ちだ。
「平沢さん、こちらの子が二年の佐々木香菜さん。文芸部に入部を希望しています」
「佐々木香菜です。よ、よろしくお願いします。さすがにプロみたいな実力はないんですけど、小説は昔からそれなりに書いてきたつもりです」
「……かなって名前はどう書くの?」
「ええっと。香りがするって『香』と、草冠で野菜の『菜』の字です」
「――ふふっ、パクチーちゃんだ……」
ぱ、パクチーちゃん……?
皆一様にその思考の跳躍についていけなかったが、張本人の香菜がやがて「その呼び名は初めてです」と困ったように笑い、大谷先生が「あまり人の名前で遊ぶのは好きではないですね」と眉を寄せた。
アジア料理の薬味に使われるパクチーの漢字表記が「香菜」であることに気づいていないのは、この場ではもう龍一だけだった。
「パクチーちゃんって呼んでいい? もうそれしか呼びたくないんだけど」
「は、はぁ……いいですけど」
無理やり押し切られるように「パクチーちゃん」が定着してしまった香菜だった。
この突飛さと強引さ……現実でもそうだったのかと龍一は、作家:平沢凛花を思い出す。
ファンゆえに幾つものメディアでのインタビューを追いかけてきたが、そういった場面を多々目にしてきたのだ。
記者の質問にまともに答えるかと思いきや、そこから大規模な脱線話が紙面を埋めていく。
「プロットづくりはどうするのか?」という質問には、「この前伊勢丹で買ったミルフィーユが美味しかった」話を展開させたこともある。
「好きな作家を教えてください」という質問には、「それって答えなきゃだめですか?」と返して、記者を困らせたこともある。
空気が読めないというとそれまでだが、ある意味一筋縄ではいかないところが作家らしい――それが平沢凛花だった。
「あと、こちらが同じく二年の間宮龍一くんです。彼に関しては入部を迷っている状態です」
「ふーん」
「あっ、あの! 俺、平沢先輩の作品すごい好きで! 特に『ラブコメはセカイを裏切らない』が特に……」
「――私はそれ、好きじゃないから」
えっ――。
龍一が凍りついていると、凛は忘れ物だったマフラーをカバンにしまいこみ、
「それじゃ、また水曜」と出ていってしまった。
龍一にとって憧れの作家との初対面は最悪なものになった。
「――早速墓穴を掘りましたね、間宮くん」
「ううっ、俺、そんなヤバいこと言いましたかね……?」
「いえ、これは私の責任です。作家である彼女を知っているかどうか、あなたがライトノベルを読むという時点で訊いておけばよかったのです」
「それってどういう――?」
「平沢さんは、自分の作品が大嫌いですから」