パンツスーツの大谷先生に詰め寄られるけど興奮しないし、なんなら命令される。
「間宮くん。クラス表を見たのならご存知でしょうが、今年度も私があなたの担任です。よろしくお願いします」
「げっ……よ、よろしくお願いします」
「今、『げっ』って言いましたね、『げっ』って。今の心情を二十字以内で説明してもらえますか。国語教師である私が採点してあげましょう」
猛ダッシュで自転車を置き、カバンもそのまま抱えながら始業式に走ったが、二人が体育ホールにすんなり入ることはできなかった。
扉の手前で担任の大谷先生に呼び止められたからだ。
すらりとしたパンツスーツが一歩、また一歩と彼へと近づく。
まだ龍一たちとそこまでの年齢差がない大谷先生ではあるが、そこにはオトナの色気というよりは迫力しかなかった。
「普段から遅刻が多いとはいえ、始業式もしでかしてくれるとは思いませんでした。先生ショックです。超ショック」
彼女はボールペンで自身の栗色の毛先を遊ばせながら、口の端をつりあげている。
その笑みは決して額面どおりに受け取ってはならない。
龍一は知っている。
それが怒りのサインであると。
「せ、先生! 今日の遅刻は違います。不可抗力なんです」
「それでは普段の遅刻はわざとやっているのですか」
「うっ……それは……」
「――まあいいです。昨年度からの遅刻ポイントがこれでたまりました。何か有益な奉仕活動をやってもらうことにしましょう」
言って、大谷先生は龍一の後ろに佇む少女に目を向けた。
香菜も香菜で、転校初日からの失態にどんな叱責を受けるのかと身をこわばらせていた。
「佐々木さん、先週の学校見学以来ですね。あのとき説明したように、あなたの担任も私です」
「は、はい! 遅れてすみません!」
「言い訳から始めないぶん、評価できます。どこかの誰かにも見習ってもらいたいものですが」
大谷先生が龍一を流し目で威嚇した。
いつかこの人にアレをもがれるかもしれない、と龍一は身の毛がよだつ思いだった。
「さて、今日はどうして遅れたのですか?」
「……恥ずかしながら、道に迷ってしまいました」
「道に? 転入試験に学校見学と、何回か登校する機会はあったはずですが」
「はい……そうなんですが、私、重度の方向音痴で……」
「方向音痴」
「……はい。グーグルマップも使っても迷子になってしまって。そしたら龍一……間宮くんがいて」
「にわかに信じがたいですが、話が見えてきました。道に迷ったあなたは偶然間宮くんと合流し、ここまで連れてきてもらったと」
「……そうです」
大谷先生は再び、龍一の眼を射抜いた。
その鋭い眼光の奥底では何を考えているのか、全く読み取ることができなかった。
それは長い静寂の時間だった。
しばらくして、「事情はわかりました」と大谷先生が重い口を開けた。
「ですが、これは遅刻です。通学路ぐらい、しっかり暗記してください。でなければ誰か友達をつくって、迷わないよう一緒に登校してください」
「……はい」
「そういえば、今さっき間宮くんのことを名前で呼ぼうとしていましたね? 知り合いだったのですか?」
「中学に上がるまでは同じマンションに住んでいたので……。知り合いというか、その……友達というか……」
「なら、都合がいいですね。今どこに住んでいるかは知りませんが、慣れるまでは毎日間宮くんに学校に連れてきてもらってください。――いいですね、間宮くん?」
ここで首を横に振ったら、内申点はおろか命の危険さえも生じてしまうことは瞭然だった。
龍一はぶんぶんと首を縦に振り、大谷先生に服従を――いや、彼女に同意をした。
「――長話がすぎました」と大谷先生は小さくため息をついた。
ため息の原因は、体育ホールのなかから反響する喧騒と足音がだった。
「もう始業式が終わってしまいました。今から中に合流するのも野暮なので、あなたたち二人はホームルームからの参加です。ついてきてください」
先生を追うようにして、二人は歩きだした。
二年生の教室は校門正面にある、三号館に位置している。
比較的最近建てられたらしく、他の号館よりも生徒に人気だ。
「ところで佐々木さんは、以前の学校ではなにか部活動はされていましたか?」
「部活動……。文芸部で小説を書いてたので、もしこの学校にもあれば入部したいと思っています」
「文芸部ですか、困りましたね……」
「なにか、あったんですか?」
「……いえ、これはまたあとで説明しましょう。――間宮くん」
急に名前を呼ばれた龍一が、肩を跳ねさせた。
この一年間で大谷先生=恐怖の図式が出来上がったせいか、円滑なコミュニケーションが取りにくくなっていた。
「私たち二人はいちど職員室に戻ってから、教室に向かいます。佐々木さんが教室で待っていたら収集がつかなくなるでしょうから」
「わ、わかりました」
「あと、ホームルームが終わってから、佐々木さんと一緒についてきてください」
「えっ、どうして香菜と――」
「これは命令です。いいですね?」
「……はい」
またあとでね、と香菜が手を振るが、かろうじて右手を上げるのが精一杯だった。
その命令がまさかあの部活への一歩になるとは、龍一は考えもしていなかった。
坂上学園高等学校文芸部。
輝かしい歴史などない、廃部しかけの問題女ばかりの部活に。