登山は嫌な幕開けだし、なんなら溝は深まる。
坂上学園文芸部にはとある伝統があると聞かされたのは、二回目の部会――金曜日のときだった。
大谷先生が研修に出払っており、凛が司会だったのだが、なんというか噛み噛みだ。
カンペがあってもたどたどしかった先日を見ても察するとおり、場をしきるということがかなり苦手らしい。
「えっ、えーと……今年度二回目の活動日……。…………」
部室に沈黙が訪れること、早五秒。
そのままスカートのポケットからスマホを手に取るや、「練習では上手くいった」などと供述しながら、自作カンペファイルを呼び起こす凛である。
昨日何回も練習して最後には上手く喋れてたのに、と活動日外の涙ぐましい努力が茉莉花から明かされるなか、「あった!」と凛が珍しく声を上ずらせた。
「ふ、ふたりはもうこのぶかつになれましたか?」
「いや……まだそんな慣れてないですけど……」
「私も同じかな……」
最近の文章読み上げソフトでさえ、もっと感情あるぞとか龍一は思ったが、これは決して顔にも口にも出してはいけない。
凛は必死にやっている。
そんな人の頑張りを無下にすることなんて、龍一はもちろん他のメンバーもできなかった。
「え、えー……」
凛は急いでスマホの画面を下へ下へスクロールしている。
多分反応による分岐ルートがあって、今はその問答に合致するメモを探しているのだろう。
「わたしもにゅうぶとうしょはみんなとなかよくなれるか、しんぱいでした。でもだいじょうぶです……たぶん」
私も入部当初はみんなと仲良く仲良くなれるか、心配でした。でも大丈夫……たぶん。
そう言うと、凛は窓の外、遥か向こう側を指差し、こう宣言(?)した。
「たかおさんで、わたしたちはひとつになる」
それを聞いた当日は「やはりヤバい」「高尾山って新興宗教の聖地とかあったっけ……?」などと仮入部員二人で想像を膨らませたが、茉莉花が「凛ちゃん、なんで昨日の台本通りにしないの!?」と鎮静を図ったので事なきを得た。
その時点で部会はなあなあになったのだが、茉莉花が①文芸部には伝統がある、②現行の部員と新入部員で高尾山に登る(顧問の引率はなし)、③それで生徒同士で親睦を深めるという要点をしっかり押さえて説明してくれたとさ。
通年では仮入部員が正式に部員になる段階で登山をするらしいのだが、今年はメンバー全員が日曜なら暇ということで、早速山登りを開始している――のだが。
「この性悪団子転校女、これ以上凛ちゃんに近づいたら許さないんだからね……!」
「木刀握りしめたら途端に攻撃やめちゃった、か弱い和田さんが何か御用でも?」
「そうやって道具に頼るのってずるいと思わない? 拳で語らないと」
「じゃあ、今から語ろうか? 拳で」
メラメラメラ……と二人のディスタンスは近いはずなのに恐ろしく遠いものになってしまっていた。
山登りの目的は新旧部員の親睦を深めるはずだったのだが、深まるのは皮肉にも心の溝ばかりだ。
「お前ら、もう喧嘩はやめろよ……」
「龍一はちょっと黙ってて」
「は? なに龍ちゃんに命令してるの、佐々木香菜」
もう互いに何を言おうと喧嘩の火種になるらしい。
結局騒ぎになったあの場は、渋る凛に頭を下げて二人の引き剥がしに協力してもらったからよかったものの、あのまま続けていれば警察沙汰になっていただろう。
「命令じゃないし。これ普通の会話だから。ね、龍一?」
「あ、ああ……」
さらっと腕を組んでくる香菜の笑顔が怖い。
ここで何か口答えしたら、およそ恐ろしい結末が待っているやに違いない。
ましてや山道で先程以上の騒ぎになるのも避けたいので、龍一は言われるがままに応答した。
「茉莉花、暑い、重い、登れない……」
「大丈夫だよ、凛ちゃん! 頑張って登ろう!」
茉莉花も茉莉花で、凛にしっかりと腕を絡ませている。
だがしかし、ここは傾斜のきつい上り坂。
その登りにくさに不快感を示す凛だったが、茉莉花はあえて抱きつくように腕組みをしてみせた。
「今年はケーブルカーつかったほうがよかった……」
「ん? 凛ちゃん何か言った?」
凛の悲痛な独り言が坂道に落ちる。
波乱の高尾山登山はまだ始まったばかりだ。