テーマを一気に書き上げるし、なんなら香菜の文章を読む。
「中野坂上――って、そんなことでいいんですか?」
「はい。そんなことで大丈夫です」
中野坂上といえば、坂上学園の最寄り駅かつ、龍一の自宅からもほど近いとあってよく知っている土地だ。
それを説明するなんてお安い御用だった。
「――佐々木さんもこのテーマでよろしいですか? 書きにくいのであれば変更しますが」
「いえ、私もこれで構いません。道には迷いますけど、昔からよく使っているので」
「そうですか」
テーマは最初に提示した「中野坂上駅」で相違はないようだ。
大谷先生は腕時計をちらりと見やり、号令をかけた。
「今が16時4分なので、キリのいい10分ちょうどまでにしましょうか。……それでは始めてください」
掛け声と共に、シャープペンシルが勢いよく紙をたたく音が響いた。
意外にも先陣をきったのは龍一のほうだった。
五分+αという短い制限時間で、長考する暇はないと踏んでいた龍一はとにかくペンを走らせている。
とにかく思いついたことを書き込んで、内容を充実させないといけないという思いからだった。
それとは対象的に、経験者の香菜はペンを回しながら組み立てを考えていた。
時折「んー」とか「あれ、こうだっけ」とつぶやきながら、頭のなかを整理している。
やがて納得がいったのか、ペンを回すのをやめた香菜だが、その時点で残り時間は半分程度。
カップラーメンが出来上がるまでと同等のわずかな時間がのしかかる。
――よし。
そう自分に言い聞かせるようにして、香菜もスタートした。
今まで溜めた考えを一気に吐き出すように手を動かし、文字列が紙面を埋めていく。
それは文化系の活動というよりは、一種のスポーツに近い激しさを帯びていた。
カウントダウンが始まっているようだが、欠片しか耳には届かない。
まるで水のなかでかすかな音を拾うような、それだけの隔絶と集中が香菜を後押ししていた。
「――そこまで。ペンを置いてください」
その熱気から、図らずもペンを投げ出すように置いた香菜が肩を上下させていた。
半面、龍一は比較的落ち着いた様子でフィニッシュを迎えていた。
最初は勢い良く書き出したものの、次第に頭を使う時間のほうが長くなり、最後はそれらを少しずつアウトプットするようにしたからだ。
疲れ切っている香菜と、静かにペンを置いた龍一。
経験者と初心者がまるであべこべになったような絵面だった。
「かなりお疲れのようですが、大丈夫ですか?」
「はい、なんとか……。普段はパソコンで書いてるので、いざ紙にとなると体力を使いますね」
「そうかもしれませんね。一文字一文字を実際に書かなければいけない以上、重みも違いますし」
「でもたまにはこういうのも楽しいですね」
「……間宮くんは順調にいけたようですね」
「うーん、順調というか。スタートダッシュはいけたと思うんで、あとはそこに付け足すようにした感じでしたね」
「自信のほどはいかがですか?」
「なんとも……。やるだけはやりきったとは思うんですけど、出来はわからないですね……」
「なるほど、わかりました」
すると、大谷先生は壁掛けの小さなホワイトボードに、香菜の書いた原稿をマグネットで留めた。
A4の紙を横にしてから、縦書きで文字を埋めるスタイルだった。
走り書きに近くはあったが、その丸っこい文字は充分読み取れる範疇だ。
「まずは佐々木さんのほうから、見てみたいと思います。佐々木さん、それでいいですか?」
「……はい。でもなんだか緊張しますね」
「まあ即興なので多少の粗は皆見逃してくれるでしょう。――それでは見ていきましょうか」
香菜の原稿に皆の視線が集まった。
『■中野坂上駅
中野坂上駅は東京都中野区に位置する駅である。
青梅街道と山手通りの主要幹線道路の交差点近くを中心に、出入口が設置されている。
東京メトロ丸ノ内線、都営大江戸線が接続されており、ぞれぞれ地下にホームがある。
丸ノ内線は三番ホームまであり、二番ホームからは方南町駅行きの短縮車輌での支線が発着している。
近隣オフィスビルへの最寄り駅として利用されるほか、他路線への接続駅としても活用されている駅だ。』
説明は五行。
目に通すとあっという間の文章だった。
「――間宮くん、自分の文章と比べていかがですか?」