リアルにラブコメなんてないし、なんなら優しい妹だっていない。
★
ラブコメを待ってはいけない。
掴み取るものだ。
そんなラノベの一節が妙に頭にこびりついた。
どこにでもいそうな主人公の親友が放ったその台詞のページで、なぜか立ち止まっている。
それはきっと、今の自分への提言に聞こえたからかもしれない。
その一歩を踏み出さないで高校生活を終えるなよ、と言っているように思えた。
だけど。
自ら掴み取りにいけば、ラブコメは現れるのだろうか。
ラノベやアニメのようなキラキラした青春はやってくるのだろうか。
「はっ、んなわけねーよな」
気づけば深夜二時を過ぎていた。
明日――というか、今日の朝には新学年を迎える。
この夜型生活にも別れを告げなければならない。
読みかけのラノベにしおりをはさんで電気を消すと、砂粒ほどの眠気がやってきた。
目を閉じると、二次元で展開される青春の映像が流れ始めた。
そしてこう毒づく。
「――ラブコメなんて、今の日本に存在しねーよ」
1
「朝、それはモーニング……」
朝、七時四十分。
ぺきぺきと音を立てる肩周辺の関節。
建設中マンションのおかげで差し込まない太陽。
最大音量で鳴り響く青峰アカリ(人気女性声優)の2ndシングル。
「学校行きたくねぇ……」
間宮龍一の目覚めはすこぶるよくなかった。
なんならまだベッドから出られずにいる。
春休み期間中は、深夜明け方の好きな時間に寝て真昼に起きるという自然に倣った生活をしてきたせいか、強制的に叩き起こされるこの状況はつらい。
重い瞼を開けようにも、シャッターのようにがしゃんと降りてくるのだから仕方ない。
「まぁ、初日だし、いっか……」
意志の弱い人間だと自覚しているし、龍一はそれを受け入れていた。
入学当初誘われたテニス部は「高校にもなって体育会系とかきついし、部活に入らなくても趣味見つかるし」と断った。
父親に「良い大学行きたいならそろそろ予備校に通ったらどうだ」と打診されたときは、「三年からでいい。お金勿体無いだろ」と先延ばしにした。
だが結局、趣味という趣味は見つからないし(少なくとも胸を張って言える趣味はない)、学力も上がらない。
そんな人生だった。
それでも、心の片隅で憧れている二次元のような青春はきっとやってこない。
どんなに努力しても、見つけようとしても存在しない。
だってそれは、人の書いた物語だから。
ゆえに龍一は妥協する。
足で蹴っていた掛け布団を胸元まで手繰り寄せ、少ない睡眠時間を補充する。
「ああ、なんて健康で文化的な最低限度の生活なんだ――」
幸いにして日光は当たらないし、アラームも12時に再セットした(さすがに昼には起きると決意した)。
登校日に二度寝をかましてサボるという背徳感が最高のスパイスだ。
じっとりと身体がベッドに沈んでゆく感覚を覚えると、龍一は深い深い眠りのなかへ――。
「起っきろー!」
朝、七時四十五分。
眠りのなかへは落ちることができなかった。
ぬくぬくと快適だった布団が剥ぎ取られるなり、龍一は強襲者を恨んだ。
膝を丸めて縮こまっていると、ずかずかと不器用な足音がこちらに向かってくる。
妹の葵だった。
「あっ、寒かった?」
「わかってんなら布団をよこしてくれ」
「んー、やだ。お兄ちゃんも今日から学校って、ご存知?」
「――ご存知」
「じゃあ用意しよっか。どこからがいい? 着替えからがいい?」
紺色のセーラー服が右に左に揺れていた。
肩までもうすこしで届きそうなショートヘアーは、サイドをでかいクリップみたいなヘアピンで留めている。
部屋の隅には葵の通学カバンも置かれていた。
どこから手をつけようかと口に手を当ててゆらゆら考え込む葵は、もう登校準備万端といった様子だ。
「いや、そんなことに手を煩わせなくてもいい。葵も早く学校に行け。遅れるぞ」
「えー? ほわーい?」
ほわーいじゃねぇよと、龍一は内心ツッコむ。
葵のノリははっきり言って、苦手だった。
龍一の不得手とする体育会系――それもソフトボール部でウェイウェイやっているせいか、言動行動いずれも軽いのだ。
いわゆる典型的陽キャをドローイングしたらこんな感じになるだろっていう存在。
こんな兄にかまってくれるのは悪い気はしないが、いつでも土足スパイクなんでもござれでづけづけ乗り込んでくるところが、ちょっと、ねぇ?
もう少し放任主義でいいのよ?
寝かせてくれていいのよ?
ほら、フレンズによって得意なこと違うから。
俺は起きるのが苦手なフレンズだから――。
「お兄ちゃん起こせたら、報酬としてアタシの小遣い増やしてくれるってお母さんからLINE来てたし、とりあえず起きて。ていうか起きろ」
「おおおぉ、金に心を売ったのか……? 寝ぼけ眼で苦しそうな兄を気持ちよく寝かせるという誠意があってもいいんじゃないか……? 頼む、葵。今度なんでもするから……今日だけはマジで眠いから……」
「うーん。誠意って言葉じゃなく金額だからね」
「やめろ……やめてくれ……。これは俺の健康で文化的な最低限度の生活が……」
ベッドの端をぎゅっと握って必死の抵抗を見せるが、体力の差が浮き彫りとなった。
どでん、と。
ベッドから引きずり降ろされた龍一に、お次はブレザー一式がどさどさ載せられた。
葵は「じゃあ、アタシも間に合わなくなるから。初日ぐらい、学校行っとけば?」とマフラーを巻いてから、最後にこんな捨て台詞を言って去っていった。
「――そんな生活、全然面白くないと思うけどなぁ」