第一話 久語と日座が会う話 <後編>
C90に「パ25a 烏合」出す予定の小説です(最終話は8/14 12時更新)
「でね、話は戻るんだけどね」
「何?」
どこまで話が戻るのだろう。僕は少し不安になりながら聞き返す。
「どれだけの時間遠くを見てると疲れ目に効くのかな」
「あー、それは知らないなぁ」
「そもそも、症状改善するんだっけ?」
「た、多分」
「調べてみようか」
僕はカバンからスマホを取り出す。
「日座君、それはダメだよ」
久語さんは、はっきりとした口調で言った。
「えっ?」
「そんなロマンの無いことをしてはいけないんじゃないかな」
「ロマン……」
「確かにインターネットには答えがあるかもしれない。でも、それは一般論であって私に当てはまるかどうかはわからないでしょ」
「……何とも、もっともらしいように言うね」
「そうでしょう」
少し自慢に久語さんは頷く。
「あと、安易に答えを知ってしまうのはツマラナイって思う」
久語さんは言った。
「くだらないこと、そうでもないことを、あぁでもないこうでもないと考えるのと、それを考える時間が私は好きなの」
「それがロマン?」
僕が聞くと、久語さんはしばらく悩み、答えた。
「いやぁ、それはどうかな」
「なんだ、それ」
僕は思わず笑った。
「でも、答えがあると知っているものをあれこれ考えて、答えに行き着いたり、行き着かなかったりするのって面白いんだよ?」
「調べればわかるのに、効率的ではないね」
「非効率や、いわゆる無駄なことを行っているという時間を受け入れることも時には必要だと思うんだ、私は」
久語さんは遠くを見ながら言う。
「日座君は、無駄は不要だと思う?」
「不要だから、無駄なんじゃないの?」
「なるほど、なるほど。そういう考え方か。――じゃあ、無駄がない状態って何だろうね」
「急に難しい話になってきたね」
「そんなに難しく考えなくていいよ。答えなんて、私も知らないし」
「確かに」
「へへ。――じゃあ、改めてどうぞ」
久語さんは右手を僕の方に差し出しながら、言った。僕はまんまと久語さんのペースに僕は乗せられてしまっている。
「無駄が無い状態っていうのは、余分が無いということ……かな」
「ふむ。じゃあ、余分がある状態って、不要だと思う?」
「まぁ、モノによるんじゃないかな」
「おぉ……。まぁ、そういう回答になると思ったよ」
「まぁ、事実だろうしね」
「じゃあ、場面を絞ってみたらどうだろう」
「例えば?」
僕が聞くと、珍しく久語さんは悩んだように頭を揺らす。
「簡単なところで言えば……パンの耳? パンの耳は不要か」
久語さんは自信がなさそうに言った。僕も、その気持ちはわかる。なぜなら――
「あれは余分なの?」
と、思うからだ。
「うーん、そういう議論も出てくるよねぇ」
「それはそうだ」
僕は深くうなずく。食パンをサンドイッチにしたら余分かもしれないけど、トーストならむしろパンの耳のカリカリが好きだっていう人だって居るだろう。
「パンの耳は例として不適だったか」
そう言いながら久語さんは改めて頭を揺らす。
「日座君、なんかいい例ない?」
「僕に振るんだ」
僕は苦笑いする。
「だって、良い案無くて。余分なものって何だろう?」
久語さんも苦笑いで返す。
「余分、ねぇ……」
僕は思考を巡らせる。
パン。食べ物。食べ物で無駄なもの……を考えるのは大変か。
「食べ物からは離れた方が良いかもしれないね。エビのしっぽとか、添えつけのパセリとか、柏餅の葉っぱとか、いくらでも余分というか、食べそうに無いところは見つかるけど――」
「あっ、私はエビのしっぽ好きだな」
「――そう、そういう話になるんだよ」
「だねぇ。エビのしっぽ食べない人からすれば、エビのしっぽは余分だ。弟は食べないんだ、エビのしっぽ」
「弟いるんだね」
「うん、二つ下のね」
「って、話が脱線した。余分なものか……」
「難しいねぇ」
久語さんはまた足をプラプラさせ始めた。
「久語さんって、考えているときに足をプラプラさせるんだね」
「えっ、本当?」
久語さんの足が止まった。
「なんだ、意識してやっていたわけじゃないんだね」
「うん、全然。うわー、めっちゃ恥ずかしい奴だ、それ」
久語さんは顔を伏せ、なぜかスカートの端をちょいと摘んで伸ばす。
「そういえば、無意識の癖って、余分かな?」
「えっ?」
僕が言うと、久語さんは驚いたように大きな目をパチパチとさせた。
「意識してないなら余分って言っても良いかなと思ったんだけど」
「あー、確かに?」
久語さんはやや納得していない様子で頷く。
「どうかしたの?」
「無意識の癖にも意味があるって、本かテレビで聞いたことあるような気がして」
なんだっけなぁ、と足をプラプラさせながら久語さんは考え始める。
またプラプラしているよ、と言いたい衝動を抑えながら、僕はその様子を見る。言ってしまえば、久語さんはその行動を止めてしまうだろう。その様子を見ていたい気持ちが半分と、止めてはいけないような気がしたのが半分あり、口を閉じて久語さんの言葉を待った。
「そうだ、思い出した。先週の日曜日の昼にやってたテレビだ。無意識の行動は、ストレス逃避のために行われているってテレビで言ってた」
「あぁ、それ僕も一瞬見たかも。心理テストみたいなのを集めたお昼のバラエティ」
「そうそう、それだ。そこで、なんか大学の先生が出てきてそんなこと言ってたんだ」
「へぇ。――ただ、うち、親がすぐにドラマにチャンネル変えたから見られなかったんだよね、それ」
「そんなに面白くなかったよ」
久語さんは苦笑いする。
「お昼のバラエティって、当たりはずれ大きいよね」
「そうなんだよねぇ。――微妙なテレビ番組を見ちゃうあの時間、あれこそ無駄だ!」
声を張り、わざとらしく久語さんは叫ぶ。
僕はつられて笑った。
「じゃあ、久語さんの足プラプラも意味のある行動なんだね。きっと」
「たぶん、そう。意味は分からないけど――って、足プラプラって……」
「考えている時にやっているんだから、考えがまとまらないことの不安解消とかそういうことなのかもしれないね」
「不安、なのかなぁ」
「不安解消で無いなら、ルーティンみたいなものかもしれない」
「ん~。よくわからないなぁ。そうかもしれないし、そうじゃないかも?」
「まぁ、結局は無意識の行動だからね」
「ん~」
僕がそう言うと、久語さんは少し不満そうな顔をして遠く見ながら足をプラプラさせ始めた。それが面白くて、僕は気取られないように顔を背けて笑いを堪える。
「あっ」
少しの沈黙の後、久語さんが突然声を上げる。
「そうだよ、あったよ。余分なもの」
「何?」
ふふふ、と自慢げに笑いながら言う。
「贅肉だよ、贅肉。あれは要らないでしょう!」
僕は久語さんをみ――――失礼。
視線を上に上げて僕は唸る。
「うーん……」
言っておくけど、久語さんは太ってはいない。普通、普通だ。
――って、そういう問題じゃない。
「過剰な贅肉は、確かに余分だね」
「でしょう?」
「でも、ある程度は体脂肪があった方が健康に良いって聞くけどね」
「うぅ……。あぁ言えばこう言うってやつだね、日座君は」
「それはお互いさま。――女性で言えば二十数パーセントぐらいはあった方が健康的なんだってさ。中吊り広告でそういう記事を見たよ。ミスユニバースの日本代表だってそれぐらいある、みたいな?」
「日座君、その話はもう止めよう。心が痛くなる。――つまり、贅肉は余分」
久語さんのなんとも言えないプレッシャーに気おされ、僕は何も言えない。
「話は大分戻っちゃうけど、余分は不要かって話、余分って言葉自体がやっぱり価値観次第だし、実際そうじゃないケースって簡単に見つかるよね」
「そうだね」
僕と久語さんは当たり前の回答にたどり着く。
「スタートに逆戻りだ」
「うん」
久語さんは僕を見てカラカラと笑う。
日は大分傾いていた。紺の空が大分広がっている。
気づけば、公園の入り口側に一つだけある電灯に明かりが灯っている。
「無駄な会話だと思う?」
「今までのこと?」
「そう」
久語さんに問われてどう返そうか僕は悩む。悩んだので、シンプルに回答しようと思った。
「うん、無駄だね」
「だよねぇ」
「結局、遠くを見たら疲れ目がとれるのかの話はまったくしてないしね」
「そう言えばそうだね」
久語さんは顔を遠くに向けていた。
「疲れ目、取れた?」
「んー、どうだろう」
久語さんは首を傾げる。
「微妙、って感じか」
「かもね」
久語さんは瞬きしながら答える。
「そういえば、久語さんはいつもこの時間まで居るの?」
「今日は大分長く居たかな」
「あぁ、ごめん」
僕のせいで遅くまでここに居させてしまったのだったら申し訳ない。
「気にしないで良いよ。家に帰っても漫画読んでるか、ゲームするだけだから」
「……それ、ここで遠くを見ている意味無くない?」
僕がそういうと、久語さんはハッとした顔をする。
「い、意味はあるよ。ストレッチみたいなものなの、ここでボーッとするのは」
「そういうものなのかな」
「そういうものなの。――ふぅ、今日はいっぱい変なことを考えた気がする。日座君、付き合ってくれてありがとうね」
「どういたしまして」
日が落ち始めてから日が落ちるまでの時間は短い。あっという間に空は紺から黒に色を変えた。
「あれじゃあ、意味ないな……」
僕は電灯を見ながら呟いた。
公園の入り口にある電灯はか細い光をこちらに届けるが、その恩恵は殆どない。
「そうだね。私もそう思う。この時間まで居たこと無かったから、あの電灯があそこまで無力だとは知らなかったよ」
遠くを見ていた久語さんが立ち上がる。
「お腹空いたね」
そう言いながら、伸びをする。
僕もベンチから腰を上げ、伸びをした。
「そういえば、近くに駄菓子屋さんがあるんだって。日座君、知ってた?」
「この先の商店街のところ?」
この公園から出て、駅に向かう途中に商店街がある。そこに確か小さな駄菓子屋があったはずだ。
「そう。日座君、知っていたんだ。私、最近友達に聞いて知ったんだ。うちの学校の男の先輩が店番しているんだって。時給良いのかな?」
「駄菓子屋が時給良いとは思えないけど」
「確かに。――日座君は、あそこの駄菓子屋さん行ったことある?」
「いや、商店街は大体素通りだから」
「買い食いとかは?」
「諸事情により、たまにしか」
「たまにはするんだね」
久語さんは意地悪そうに笑う。
「そういえば、あそこの商店街、メンチカツが有名らしいよ。テレビの取材あったらしい。僕も並んでる人を見て買ったことがあるけど、確かにおいしかった」
「おぉ、なんか気になる!」
「でも、水曜日はお休みなんだってさ」
「……今日じゃん! なんだよ」
久語さんは心底がっかりしたのか、大きなため息をついた。
「この時間からだと駄菓子屋さんは遅いだろうし」
「そうだね」
僕は時計を見る。六時半を少しだけ過ぎていた。さすがにもうやっていないだろう。
「今日は素直に帰りますか」
久語さんが先頭を切って歩き出す。
「余計なものも付かないしね」
僕はそれに付いていった。
「日座君、言うねぇ……」
久語さんが僕のお腹を摘もうと空いた左手を伸ばす。それを左に避けて交わし、久語さんの前に出る。
「避けるな!」
「避けるよ!」
久語さんは二度、三度と手を伸ばす。
「ぐっ」
フェイントを入れて四度目。僕はそれらを必死に避ける。
「覚えてろ、日座君」
久語さんは決して太っていないのだけど、こういう話はやはりタブーなんだろう。下手なフォローはむしろ被害を広げると思い、僕は話題を止める。
駄菓子屋がある商店街を通り過ぎ、そろそろ駅も近づいてきた。
「久語さん、どっち方面?」
「私、上り」
「じゃあ、反対か」
「改札までだね」
駅からは改札を入って、上りと下りのホームに分かれる。僕は下りなので、入って右手。久語さんは上りなので左手側。
「今日は楽しかったよ」
久語さんが改めて言う。
「一人だと、やっぱり考えていても全然まとまらなくて、考える時間は好きなんだけど、段々と何してるんだろうって思って、途中で帰っちゃうんだよね」
改札へ向かう駅舎の階段を上りながら、今も久語さんは遠くを見ていた。
「だから、また通りがかったら声かけてね」
「あっ、うん」
階段を上り切り、あと少しで改札。
「無駄な時間かもしれないけど」
久語さんは苦笑いしながら言う。
「無駄な時間も、悪くないんじゃないかな」
「おう、良いこと言ったね、日座君」
久語さんは、カバンから定期入れを取り出す。
僕も慌ててカバンから定期券を入れている財布を取り出して、改札を通る。
「あっ、電車来てる音がする。――じゃあね!」
久語さんは慌てて走りだし、上りホームに消えていく。
僕はそれを見送りながら、下りホームにゆっくりと降りた。
電車にうまいこと乗れたのだろう。上りのホームには人はほとんどおらず、久語さんの姿もなかった。
「なんか不思議なことになった」
僕はぼんやりと呟いていた。