第一話 久語と日座が会う話 <前編>
C90に「パ25a 烏合」出す予定の小説です(最終話は8/14 12時更新)
公園の入り口に差し掛かる十歩くらい前から歩く速度を落とし、僕は彼女と彼女がいる公園を今日も見る。
彼女はボーッとしている。
彼女はボーッとこっちの方を見ている。
……多分、「こっち」を見ている。多分。
彼女は昨日も一昨日もその前も、この公園のベンチに座り、放課後のこの時間、ボーッと「何か」を見ている。
何を見ているのかは分からない。
僕も昨日も一昨日もその前も、この公園の前を通っているが、彼女が僕を見ているということは無いだろう。彼女に何を見ていたのかを直接聞いたわけでは無いけれど、多分、きっと、恐らくそれは間違いないだろう。
なぜなら、彼女がこの公園でボーッとしていることに僕が気づいた日には既に、彼女はボーッとしていたのだから。
公園と言っても、三階建てのビルとビルの間にひっそりと作られている小さな公園で、遊具も無い。
公園にあるのは彼女が座っている二人か三人が座るのがせいぜいの大きさの、木製の小さいベンチが一つと入り口付近にある外灯だけだ。
この公園は実に静かだ。彼女以外、人は居ない。僕のように、たまに通りすがる人がいるだけで、車通りも多くはない。
ただ、狭すぎるからか、遊具も無いからか、放課後だというのに小学生も居やしない。
でも、たむろするには道路に面していて中がはっきり見えてしまって目立つからなのか、中学生も居やしない。
でも、ビルの間にあるから日当たりも良くは無いので、子連れのママさん達も集まらない。
高校と駅を繋ぐ道の間にあるから、僕は一週間ほどこの時間のこの公園を気にかけて見ているが、ここに居るのは彼女かネコぐらいなものだ。
彼女も、恐らくこの通りが通学路なのだろう。何故、帰宅中にここにいるかは知らない。
そろそろ彼女というのは止めよう。
彼女は同じクラスの久語さん。
高校入学から一ヶ月、直接話す機会はあんまりない。
まだ五月。大きな学校のイベントもあるわけでなし、休み時間と昼休みなどはいつもの友達と話して一日が終わる。――クラスで何かの委員や係でもやってない限り、英語のスピーキングの授業で無理矢理に班を組まされるぐらいしか、クラスの人と広く会話することなど無いだろう。
久語さんもクラスで決まった友達とだけ話す方だと思うし、加えて言えば、あまりおしゃべりなタイプではなかった気がする。また、僕も率先して色々な人と会話したがるタイプではない。
もうすぐ公園の正面を横切る。
僕は久語さんを遠くから見ていた。凝視というほどではないが、ぼんやりと視界の端に入れるように、ほんの少しだけ首を左に傾けながら歩いた。
彼女はやっぱり、ボーッと遠くを見ている。
久語さんのことをあまり長い時間見ていた訳ではない。今日も何かを見ているな、と確認するぐらいのほんの短い間だけ見ていた。
だが、ちょうど公園を横切ったそのとき――視線が合ってしまった。
一週間、なんとなく見ていたが、初めて視線が合ってしまった。
なんとも、何か言いたげな視線だった。
……それはそうか。見られていれば気づくものだ。
「気まずいなぁ……」
僕は独りごちる。
このまま通り過ぎてしまうのも選択肢の一つだろう。ただ、それをするのは気が引けた。僕が気づいていなかっただけで、この一週間、久語さんは僕が見ていたのをずっと気づいていたのかもしれない。
そうだとすれば、悪いことをしている気がする。
僕は足を止めて、久語さんの方を向いた。
久語さんが僕を見てペコリと頭を下げた。
「どうも」
聞こえやしないが、僕はそれに声を出して返す。すると、久語さんは口をパクパクしながらもう一度、頭下げた。
(終わらないな、これは……。近くで挨拶だけして帰ろう)
久語さんは少し顎を上げて近づく僕の方をボーッと見ている。
広くない公園なので、ちょっと歩けばすぐにベンチの前に着いた。
僕は久語さんの目の前に立ち、言う。
「どうも」
全く気の抜けた挨拶だと、我ながら恥ずかしくなる。
久語さんは空を見ながら考えるように間を置いた。その間が、少し堪える……。
空に向かっていた視線が僕の方に向いた。
「こんにちは?」
久語さんが自信なさげに返す。
「……こんにちは?」
なぜだか僕も、疑問形で返した。すると、久語さんの視線がふと遠くなる。
「……挨拶、こんにちは、でいいのかなぁ?」
「えっ?」
「えっとね、もう一七時近いのに、こんにちはでいいのかなぁ、と」
何を言っているのだろう。僕の思考は止まった。
僕のその様子を見ながら、恐る恐る久語さんは続けた。
「こんばんはには早い、し?」
誰に聞くでもなく、久語さんの語尾が上った。
「うーん……」
久語さんは僕を置いてきぼりにして思考の世界に入っていく。
この隙に去るのを切り出しても良いんじゃない――
「でさ、日座君はどう思う?」
「へっ?」
隙など無かった。話題が僕に振られる。さすがに、この振りを受けて強引に変える術を僕は知らない。
それに、未だに僕には久語さんを遠目で見ていた引け目がある。だから、質問にも答えないでそそくさと帰る姿を見せてしまうのはなんとなく嫌だ。……クラスメイトでもあるわけだし。
僕は懸命に考える。
まだ日はある時間なのだからこんにちはで良いとか、『今日は』という当て字をすればこんにちはでも良いとか、もう暗くなり始めているのだからこんばんはの方が良いとか……。
その間、久語さんは僕の答えを待つように大きな目をこちらに向けている。
どんな答えが返ってくるのか期待しているような眼差しだ。
僕は色々考えた。大分焦る。悩む。答えがあるのだろうか。というか、久語さんは何を聞いているんだろうか。結論、正直――「どっちでもいいじゃん」に落ち着く。
だって、どっちでもいいし、言いたい方を使えば良い。
だから、素直に答える。
「……どっちでもいいんじゃないかな?」
なんでこんなこと考えないといけないんだという、怒りのようなものが生まれ始める前に、ままよと答えてみる。――断じて答えに窮したから思考を止めたわけではない。断じて、だ。
すると、それを聞いた久語さんは大きな目を、本当に大きな目をパチパチとさせて、口の中にたまっていた空気をほぅと吐き出して言った。
「そうだね、別にいいか、どっちでも」
その声は、どこか嬉しそうな声だった。
それを聞いて、僕の中に生まれつつあった、どうでもいい質問をされた理不尽への怒りのようなものは、なぜか霧散した。
さて、ここからどうやって自然に帰る流れを作り出そうか、と僕が思ったとき――
「それでさ、日座君はさっき、なんでこっち見てたの?」
久語さんがさらっと本題を切り出す。聞くよね、そりゃ。
「えっと……」
聞かれることは覚悟してここに来ていたが、いざ言うとなるとどう答えようかと言葉が詰まる。だって、別に大した理由など無いのだから。
久語さんはまたしても大きな目で僕のことを見る。
「えーっと、久語さんが」
「私が?」
「久語さんが、いつもどこ見てるのかなーって」
「あぁ、へぇ……」
理解していなさそうに頷く。
僕はそのリアクションに慌てる。変な人と誤解されていないように、弁解しなくては。
「ここ何日か、公園の前を通る度に久語さんがこのベンチ座っているのを見かけたんだけど、久語さんはいつもどこか遠くを見てたから、どこを見ていたのかなぁ、って。そ、それだけ……」
「あぁ、なるほど」
合点がいったように深く頷く。その様子を見て、僕は安堵した。
「私、何日か見られてたんだね。――そうか、日座君もここが通学路なんだ」
僕は焦って何日も見ていたことを自白していた。深堀されるのは都合が悪いので、話題を合わせよう。
「うん。こっちの方面、案外少ないみたいでうちの制服の人あまり居ないよね」
「そうそう。それにこの公園、地味だからあまり目立たないし、だからここでボーッとしてたんだけど、まさかクラスの人に見られていたとは。知り合いに見られるかもしれないってことを自覚すると恥ずかしいね」
久語さんは苦笑いする。
なんか、申し訳ない気分になった。
「まぁ、別にそれでも明日もここにいるだろうけど」
「そうなの?」
「うん」
「へぇ……」
この何もない公園のどこが良いのだろう。
「どこが良いのか、って顔しているね、日座君」
大きな目で僕のことを見透かし、ニヤニヤとしながら言う。
「ははは」
僕は苦笑いしかできない。
「隣、座ってみる?」
久語さんは小さなベンチにスペースを作るため、少しだけ左にずれる。
「えっと……」
「?」
久語さんは頭の上にハテナマークを浮かべている。僕は覚悟を決めた。
「座ればいいの?」
「そうそう。そうすれば分かるから」
僕の後ろ、遠くを見ながら久語さんが笑う。成程、久語さんの目線の先に何かあるのかもしれない。それを確認するために、僕は久語さんが明けてくれたスペースに腰掛ける。
「どう?」
「……どう、と言われても」
目の前には何もない。
この時間だから夕日が綺麗とかそういうのがあるかと思えば、そういうのもない。綺麗なビルがあるとか、そういうのもない。
「……」
僕が考え込んでいる様子を見て、嬉しそうに久語さんが肩を揺らす。
「何もないでしょ」
「うん、何もないね」
僕はそれ以外に言いようがなかった。
「何もないんだよね、ここから見える景色」
「?」
久語さんは語りながら遠くを見る。
「なーんにも無いの」
久語さんの言う通り、目の前には視界を遮るような建物の類はない。丘の上にある学校も、背の高い家やマンションもこのベンチからは見えない。
設計か偶然かはわからないが、普段コンクリート製の何がしかを見慣れている僕からすると、驚くほど何もない。
「だから、遠くが見えるの」
「なるほど」
少し考えるように、さらに上を向いて、久語さんは続けた。
「――でさ、遠く見ると、目に良いっていうじゃない?」
「いうね」
「最近、なんか目が疲れちゃって。スマホばっかりいじってるからかなぁ」
「だから、遠くを見る、と」
「そういうこと」
左手の人差し指を立てて答える。
「一日分の疲れをここで癒しいてる……って感じかな」
ちょっと拍子抜けした回答だった。
もっと、こう、なんというか、深い内容があるのかと期待していた自分がいた。
結論、スマホいじって近くばっかり見ているから目が疲れたので遠くを見るという、なんともネットの健康系のサイト書かれた通りのことを実践しているだけだった。
「案外、普通の理由だったんだ」
なので、ふと呟いてしまった。
「そうかな、普通かな?」
「理由としては。ただ……」
「ただ?」
「実行する人は初めて見たけど」
「そうかもね」
久語さんはあっさり認めてカラカラと笑う。
「普通は素直に、目が疲れたら目薬とか使うんじゃない?」
「普通はそう、かもね」
ただね、と前置きをして久語さんが恥ずかしそうに言う。
「目薬をさすの苦手なんだよ、私……」
僕は思わず吹き出していた。
「わ、笑うこと無くないかなぁ」
「ご、ごめん」
慌てて言うと、久語さんは遠くを見ながらモゴモゴと口を動かす。
「あの、何か言ってた?」
「何にも」
久語さんは、少し語気を強めて言った。これ以上は突っ込めず、僕は話題を変える。
「そういえば、久語さんはいつからこの公園に?」
「んー、三週間ぐらい前かな。四月終わりぐらい」
「意外と昔からだね」
「そうかな?」
大きな目をこっちに向ける。
「うん。多分」
「多分って、日座君は意外と適当だな」
久語さんは遠くを見てカラカラと笑う。
「久語さんの笑い方って面白いね」
「そうかな?」
「うん。――そういえば、久語さんとこうやって話すのは初めてだよね」
「そうだね」
「久語さん、もう少し話さない人だと思ってた」
久語さんは遠くを見ながら足をブラブラさせる。
「んー、それは誤解だよ」
またしても、久語さんはカラカラと笑う。
「ごめん、ごめん。でも、クラスの中でそんな話してたっけ?」
久語さんは足をプラプラとさせる。
「それなりにね」
「知らなかっただけか」
「そうそう」
僕は少し引っかかりながらも、久語さんに押し切られる形で納得した。