水森飛鳥と最後のイベントⅡ(傷だらけの勇者様)
赤い雫が一滴、また一滴と落ちていく。
元より話し合いなんてする気はないし、話して終われるのであれば、こんなことにはなってない。
「あら、もう終わり?」
そう問い掛けてくる彼女に、ここで負けるわけにはいかないのだと、持っていた剣を屋上の床に突き刺し、何とか踏ん張る。
地の利ゆえなのか、世界ブーストなのか。それとも他に理由があるのかは不明だが、彼女が『女神』と呼ばれてるだけなことはあると言えるのだろう。
――さて。そんなこちらの状況だが、非常にマズい。かなりマズい。
私たちが対面して数分後。誰にも邪魔させないようにするべく、女神は結界を張った。ここでの“誰にも”というのが、桜峰さんたちも含んでいるのだが、こちらとしても下手に彼らが来てフォローに回るようなことになれば面倒なことには変わりないので、否定とも肯定とも取れないような反応を示しておいた結果がこれだった。
「まさか」
それに、この程度で終われるはずがない。
ちょこちょこ入れ替わっていたとはいえ、戦闘を任されたというのに、この程度で終わるとなれば、横で見ている飛鳥に申し訳ない。
ちなみに、格好としてはかなり酷いもので。こちらの制服は予備がないから、誤魔化しが効くシャツはともかく、上着はあまりボロボロにしたくはなかったのだが、制服を気にしながらだと思うように動けないし、そんなことを言ってる場合ではなかったので、早々に諦めることにした。
まあ、制服は後で神崎先輩に要求してみるとして――……
「っ、」
「ほらほら、考え事してたら、死んじゃうわよ」
「……」
確かに、考え事をしている場合でないのは明らかなのだが。
一応、この状況を変える手を考えていないわけではない。ただ、どちらの手を先に使うのかというだけで。
ここで選択をミスれば、いろんな人を巻き込んでしまう可能性がある。
「そもそも、この子の姿が良いって言ったのは貴女よ? それで手を出せないのなら、自業自得じゃない」
別に手が出せなくて、出していないわけではないんだけども。
「自業自得? 勘違いしないでもらえる?」
私が知り合いや顔見知りを倒せないと思われても困る。だって、私はそれ以上の世界を知っているから。
大切な人を助けることが出来ず、死に行く彼を見ていることしか出来なかった。
「知り合いでも倒さないといけない世界を、こっちは経験済みなんでね。そのことに抵抗はないし、ただ単に、どの手を使おうか迷ってるだけだ」
「ああ、そういえば貴女って『勇者様』だったのよね」
どうやら、情報は仕入れていたらしい。まあ、当たり前か。
でも、管轄が違うというのに、よく集められたものである。
「私が知ってることが意外? 当たり前でしょ。あの二人の関係者なら、調べるわ」
……やっぱり、かなり恨まれているようだ。神崎先輩たちは。
「貴女が使ってる剣も、その世界のものよね。この世界に頑張って持ってきたことには、拍手してあげる」
そう言いながら、女神はパチパチと拍手する。
「でもね。異世界の武器を無断で持ち込んだことは、褒められないわね」
「こっちとしても、上手くいくとは思ってなかったからね」
結果的に、成功した上に助かってるので、こちらとしては有り難いが。
「ふぅん。でもまあ、過ぎたことをあれこれ言っても仕方ないか」
女神にしては、あっさりと引いていった。
「ねぇ、『勇者様』。その世界では一体、何をしていたのかしら?」
「は?」
「魔王討伐? 魔神封印? 戦争終結? それとも、今言ったやつ以外かしら? 貴女は、一体、そこで何をしてきたの?」
女神が何をしたいのかが分からない。
そもそも、この世界のこととは関係ないだろう。
「……何が言いたいの」
「別に深い意味はないわ。ただ、貴女がその世界で大切な人を守れたのかどうかの話であって」
ああ、そういうことかと納得した。
どうやら、この女神は人の傷を抉りたいらしい。
「大切だった人を目の前で失う。それがどれだけ辛いことか私にも分かるわ。貴女の場合、確か彼の名前はアル――」
それを耳が捉えたのと同時に、私の中で何かがキレた。
こいつだけには、その前を告げさせてはならないとばかりに、その場を占めていた女神の魔法が存在しないかのように、殺気を放ちながら瞬時に迫り、押し倒し。
「「その名前を――お前のような奴が出していいと思うなよ」」
思わず飛鳥との意見が一致し、共鳴したまま、二度とその名前を出せないように、その首にリーディルラインを振り下ろ――
「駄目だよ」
――すことは出来なかった。
「それ以上は、駄目。何を言われたのかは分からないけど、おそらく、貴女が怒るようなことを言われたんだと思う。でも、感情のままに振り下ろせば、きっと後悔する」
背中を向けているので表情は分からないが、振り下ろそうとした私の腕を止めた人は、そう語る。
「あは、あはは」
一方の女神は、壊れたかのような笑みを浮かべていた。
まさか、私たちからの殺気で壊れてないだろうな?
「何で止めたのぉ? 今私を殺しておけば、貴女たちの目的は達成できたでしょうに」
「確かにね。まあ、そっちとしてはこの子の手を汚させることが目的なんだろうけど、この子に殺人の汚名を着させるわけにはいかないんだよ。だから止めた」
それを聞いて、少しだけ冷静になってきた。
ああ、そうだ。目の前にいるのは神原愛華の身体を乗っ取った女神だ。
怒りのまま振り下ろしていたら、女神は殺れても、神原さんまで道連れにしてしまうところだった。
「甘いわね。そんなだから、大切なものも守れないのよ」
女神の言葉で、「それは、誰のことだろうか」と自問自答する。
「甘くて結構。人によって、守り方は色々あるからね。そして、私たちは私たちのやり方で守るだけのこと」
ああ、この人は――やっぱり格好よく見えてしまう。
「あっそ。というか、そもそもさ。結界があったでしょ?」
何で出てこられてるの、と女神は問う。
「何でだと思う?」
けれど、普通に取り合う気はないのか、雪冬さんが問い返す。
「助けてくれた人がいたの」
「嘘は止めなさい。仮にも神の結界よ? どこにそれを破壊できる人がいるというの」
女神の疑問は尤もだ。
雪冬さんを閉じ込めていた結界は、普通の結界とは違う。
女神が張った結界となれば、普通の人間に解けるかどうかは疑問な所だし、現に雪冬さんも解けなかったから、あの場で閉じ込められたままだった。
だというのに、当の雪冬さんはこの場にいて、女神と話している。
「嘘なんて言ってないんだけどね」
もし、可能性があるのだとすれば、神崎先輩たちのような神々や、リーディルラインのような特殊武器でもない限り、不可能だろう。
けれど、雪冬さんの言葉を女神は信じたくないらしい。
「まあいいわ。たとえその存在が事実だとしても、ここに来ないのであれば一緒よ」
否定は出来ないが、雪冬さんを助けてもらっただけでも有り難い。
少なくとも、彼女を人質にされる可能性は無くなったのだから。
「――ねぇ」
だからこそ、問いかける。
「こっちのこと、忘れてない?」
これでも『神殺し』持ちなんでね。無視は止めた方がいいと思う。