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日常の始まり

 薄暗い部屋の中、アムはベッドの上でぼんやりと考え事をしていた。


 初めは生活するためだけの必要最低限の家具しかなかった部屋も、最近ではクェスやカイムがやってくる事で色んな物が増えて、無機質だった部屋に生活の匂いがついた。


 クェスが縫ったというぬいぐるみがソファーの上に置かれ、、卓上にはチェスのセットが打ちかけのまま置かれている。そのうち四人でとった写真を置こうという話をして、そのために同じデザインの写真立てを買った。


 最近あった出来事や、自分の周りの人間関係。そしてケルトの言った言葉の中身。その全てがちぐはぐで整合性が無く、考えれば考えるほど相反する物事だった。


 何を信じればいいのか、そして誰を信じたいのか。そう考えた瞬間に、自分の変化に気付いた。

 今までの自分は、これほど誰かを信じたことがあっただろうか。少なくともあの孤児院で下を向いていた時期には無かっただろう。全てが壊れる前の時間でも、もしかしたら弟以外でこんなにも心を許した事は無かったのかもしれない。


「私は、寂しかったのかな」


 唇から無意識に零れ落ちた言葉に、アムは酷く困惑した。こんなにも自分は華奢な存在だったのかという事を、奮い立てていただけで、自分のこんなにも不甲斐無い部分があったのかと、強く打ちのめされる。


 一時は望んで、そして手に入らないと諦めたものの欠片。見ない振りをしていた自分の心の弱さを取り巻くものが、耐え難く心地よいものだと感じる。

 大切な物がひとつ増えるたびに、復讐に滾った自分の一部が弱くなっていく。あれほど望んでいた感情が薄れていくのを目の前に、彼女はもうどうしていいかわからなかった。


 そして彼女は停滞を選ぶ。

 二つの選択肢のどちらでもないそれを。その二つが大切で、だからその二つを捨てないという選択を彼女は選ぶ。それは失うことの恐怖に尻込みして選んだ最悪の選択肢。


 ポケットの中に放ってあった端末を見ると、メッセージの存在を告げる点滅がある。クェスとカイムの心配する甲斐甲斐しいものと、オルランドの何かあったら駆けつけるというもの。そして「アムに何があったのかを聞くから、後で部屋で行く」というそれに目を通した後、彼女は部屋を出た。





 インターホンの後に自動ドアが開く。

 乱雑な手書きでクェス・ノートリアと書かれた表札を見るたびに、こうなるに至った話を思い出してアムは笑みを浮かべた。部屋の中にはソファーに座ったカイムと、ベッドに膝を立てて横になってるクェスがいた。クェスは氷水の入ったビニール袋を腫上がった頬に当てて、ばつの悪そうな顔をしていたが、アムを見ると起き上がった。


「アム! メッセージに返事が無いから心配したんだよ!」

「ごめん。電波の届かない場所にいた」

「そんな所まで連れて行かれたの? いったい何をされたの!」


 さも酷い事をされたかのような言いっぷりに、ケルトに対する信頼の無さが見えてアムは少し笑ってしまった。それを見た二人は怪訝そうな顔をした。


「本当に何もされてないよ。ただバイクに乗って遠くに行って、話をしただけ」

「殴られて、脅されたとかない?」

「何も無いよ。うん」

 

 それを聞いたクェスと、黙って二人の話を聞いていたカイムは安堵した表情を浮かべた。


「顔、大丈夫?」

「ああこんなのは慣れてる。問題無い」


 それに殴りかかったのは私だ。と気にしてないような顔をして言った。彼女も自分の短気さに自覚があるのだろう。


「でも二人とも、私を守るために前に出てくれて、とてもうれしかった」

「やめて! やめてって、恥ずかしいから!」

「確かに、改めて言われると恥ずかしいね」


 そう言って三人は笑った。何も抱えていないかのように、ただそんな小さい事が楽しくて仕方が無いかのように笑うなんてこの基地に来るまでは経験したことが無かった。それでも今のアムには自然に笑みがこぼれるようになった。

 少女趣味のようなぬいぐるみが積み重なった薄ピンクのソファー。カイムの座っていた横に、だらけるようにアムは腰を下ろす。クッションが潰れる拍子にクェスの優しい匂いがした。


「ところでさ、ケルトとアムって知り合いだったの?」

「それは私も気になってた」

「うん。最初にここに来た日にちょっとね」

「そうだったんだ! 意外だね。どんな話をしたの?」

「色々、かな。クジーの事とか、ケルトの事とか」


 アムはこの二人に隠すことにした。例えあの事を話しても、いい結果には絶対にならないだろうという事を、聡い彼女は十分にわかっていたからだ。ケルトの父がパイロットだったという話をした時の二人の反応は、意外だというものだった。


「へえー……知らなかった。あのケルトがそんな事をねえ」

「というかあの娘の事なんて、私達全然知らないよ。いっつも刺々しい態度で誰とも関わろうとしないんだもん。それでいて喧嘩ばかりして。あの娘、本当は男なんじゃないのかな」

「う、うん。ケルトってみんなからそう思われるんだ」

「あいつを嫌いな奴はノルに多いし、あいつにぶん殴られた奴もここにはいっぱいいるんだよ。私は仕方ないけど、他の奴は気に食わないとかそんな理由だよ。きっと」

「確かに、良い噂は全然聞かないね」


 ケルトの評判はまさしく最底辺というもので、次から次へと出てくる悪い意味での武勇伝に、アムは聞いてて耳が痛くなってきた。バイクで廊下を走っただとか、軍人に喧嘩を吹っかけて勝っただとか、クジーの中で寝泊りしただとか。真偽がまったくわからないような話を楽しそうに語る二人を見ながら、やっぱり仲がいいんだなあとアムはしみじみ思った。そしてこんな二人が自分を騙しているように、彼女にはなんてちっとも思えなかった。


「二人とも、ありがとう」


 かしましい二人の間にアムの口から自然と言葉が出た。状況を飲み込めない二人だったが、たまにアムはこういう事があるというのは知っていた。泣き出しそうになるアムの頭をカイムは抱き寄せた。カイムの腕の中はクェスと同じ匂いがして、二人が過ごした時間の長さを想って嬉しくなった。


「長居してごめん。もう行くね」

「いいよ。それよりオルランドにちゃんと返事しなよ。あいつも連れ去られた後に心配してたんだからさ」

「あいつ、ケルトが来たときにビビって動けなかったらしいよ」

「面白いよね。今度その事本人に言ってみようか」

「あはは、うん。わかった」


 そう言ってソファーから立ち上がった。着崩れた支給品の白いシャツと膝まで伸びたズボンを直してドアの前まで行くと、二人の方に振り返った。


「私、二人に会えて良かったと思ってる。今まであんまり良い事の無かった人生だけど、二人と友達になれて幸せだよ」


 呆ける二人を尻目に、恥ずかしくなってアムは部屋の外に出て、廊下を走った。

 判で押したかのように同じような光景が続く廊下を、ただわき目も振らずアムは走った。

 




 

「遅かったな」


 部屋の前でオルランドがしゃがみ込んで待っていた。短く刈った金髪に唇を尖らせて、長い間待っていたかのような雰囲気を漂わせていた。

 

「ごめんなさい。クェスの部屋に行っていたんです」

「返事もよこさないからさ、何があったんだろうって気が気じゃなかったんだぜ」

「それは……」


 まさか返事するのを忘れてたなんて言うのも憚られたアムは、言葉を濁した。それを何かあったのかと勘違いしたオルランドは言葉を続けたが、さっき二人に話した事と同じ説明をすると不服そうに引き下がった。

 オルランドを連れて部屋に入る。自分はソファーに座り、オルランドはテーブルの前の椅子に座った。そういえば彼とのチェスは途中で終わってたなとアムは思ったが、口には出さなかった。


「実はケルトの事以外で、話はもうひとつあるんだ」


 何時に無く真剣な表情でオルランドはアムを見た。双眸には決意の色を浮かべて、唇は硬く閉じられている。その言葉と共に少し時間を置いてオルランドは語った。


「今日、ケルトがお前を連れ去ってわかった。俺はさ、あいつが怖くて何も出来なかったんだ。俺は男なのにあいつには喧嘩で勝てないし、殴られるのが怖くてクェスみたいに前に立つ事が出来なかった」

「誰だって怖いですし、仕方ないです」

「違う! 違うんだ。俺はお前を守りたいと思ってる」

「守られるのが嫌いだって、私は前に言ったじゃないですか」


 次第にアムの目が細められ、拒絶の意図を見せた。それを察したオルランドは手を横に振りながら否定する。


「私は一番前に立ちます! 誰か守って貰って、そしてそれを期待したまま腐るのが嫌なんです」

「俺はお前を守りたい。だけどそれは対等の関係という意味だ」

「対等……?」


 聞きなれない言葉に動揺するアムに、畳み掛けるように言葉を重ねる。


「そうだ。一方的に守られるのではなく、その関係に優劣は無い。それが対等で、それが仲間だ」

「仲間、ですか」

「順列なんて、誰かが誰かの前に立つなんて関係無い。お前のこだわりとも相反しない。一方にばっかり依存なんてしない、そんな関係だ」


 仲間、その言葉を彼女は呟く。何処か暖かい響きを持つそれを彼女は知らない。


「俺はお前を守る、そしてお前も俺を守ってくれ。だから、コアとの接続を無理して出撃するのは止めてくれ。お前はゆっくり大人になればいい。死に急ぐのだけはやめて欲しいんだ。俺が誰かにこんなに強く思ったのは初めてで、だからこそどう言葉にしていいかわからない。けど、だからこそ」


――――俺の仲間になって、俺に守られてくれ。


 言葉に詰まる。四人で過ごした時間の詰まった部屋に、悲壮感が漂う。覚悟と大切なものを両端に乗せた天秤がいずれかに傾くのをアムは心の中で感じて、目を瞑る。


 オルランドはそれから何も言わずに部屋を出て行った。

 彼女は返事はしなかったし。その間、ただ俯いていただけだった。




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