そうして二人は決別した
ようやく最初の話が始まったんですが、こんなに掛かるとは思いませんでした。
もしよかったら感想を下さい。
「英雄願望?」
「そう。それが彼女が彼女でいられる最後の境界線だ。彼女を構成するもっとも根本であり、そしてそれを支えるのはただ一つの存在」
「クジー、ね」
「ご名答」
暗闇の中心にある丸テーブル。そこに肘を突きながら黒髪の男が語りだす。足を組み、端正な顔を皮肉げに歪め、椅子に深く腰掛けて天井を見ていた。
緩やかな凸型の内壁、そこには瞬くような星星が無数に連なり、数え切れないほどの銀河や星雲が輝いていた。そこには子供の手によると思われる落書きやマーキング、星の名前を書き記した跡が無数にあった。
「綺麗だろう」
「ええ、そうね」
「これがアムの原点で、彼女の一番幸せだった時間の思い出さ。彼女はこの何万個もある虚構の星を、ひとつひとつ数えたんだ。未来に待ち受ける悲劇や離別の運命、そんなものなんてこの瞬間の彼女には存在しない。ただあるのは暖かな祝福だけさ」
痺れるよねえ。と言いながら笑みを浮かべるが、それに対する亜麻色の髪の女の表情は硬い。何も浮かべていないかのような、それとも警戒して何も浮かべないようにしているかのような表情であった。目の前の男が何を考えているのかを見極めているような、そんな表情でもあった。
「この記憶だけを支えに彼女は生きてきた。あの瓦礫の下で、孤児院での暮らしで、彼女が折れなかったのはこの記憶を持ち続けていたからなのさ。一途な思いは全てを越えるとでもいうのかな? まあこの話はいいだろう。今はもう一人の彼女の話だ」
彼女は答えない。
「彼女の物語は単純だ。きっと世界を救って、そして自分が死ぬ事を望んでいるんだろう。その後の世界で彼女は生きる事は出来ない。ネヴィアと接続した人間だなんて、到底まともだとは思えないだろう? でもそれは仕方ないさ、人類は狂ってたんだ。あんな狂った連中がやってきて引っ掻き回された。そして狂った連中に対抗するには、連中の猿真似をするしかなかったのさ」
彼女は答えない。
「彼女には力がある。彼女の駆るアネモネは強力だ。きっとあれが全力を出せば、レベルの高い母胎型だって容易に焼き殺せるだろう。散弾型のシグマだって、そしてあの飛び切り強力なスカーレットだってある。勿論加減をしなければこの地球ともども陀仏だけれどもね。それでも欠点が無いってわけでもない。彼女自身を狙ってもいい。彼女の心を狙ってもいい。何ならそれ以外でも絡みとってしまえばいい」
彼女は答えない。
「彼女は生きる事に何の執着も抱いていない。ただ忘れ去られる事に、ただ何の力も無くなる事だけを恐れている。今は無意識かもしれない。まるで空気のように英雄の座に腰をかけて、そして無自覚に足蹴にしているんだろう。だから彼女には枷が必要だ。散漫な傲慢さを唾棄すべきものだと自覚する、大切で大切な枷を」
彼女は悲しそうな顔をして、それでも何も答えない。
「約束の時間がくれば、彼女と彼女は運命的な出会いをする。一方は下から、一方は上から、まったく拗けた思念で交じり合うそれは、とてもとても劇的で素敵なのだろうね。ああ僕も心焦がれるよ。守るべき人間がいて、守るに値する人間がいて、それでいて全てが覆される瞬間が。悲しいね、とても悲しい悲劇だろうね」
「それでも、きっとケルトは立ち上がるわ」
そうか、と言いながら男は微笑んだ。
それはこれ以上無いってほどに爽やかで、そして曇りひとつないような笑い顔だった。
人工の星空がプラネタリウム内のライトと共に流れていく。そこにはもう流れ星は無いし、落ちて消える星だって存在しなかった。
眩い閃光
そして烈火のように苛烈な残像と共に、千切り取られた肢体が空中を漂って、あるいは切り取られた断片が激しい爆発を引き起こしながら海の底に落ちていく。成層圏の攻防は一進一退の様相を呈していた。
アネモネはその特異型クジーの異質なる出力を攻撃に特化した機体だ。そのこの世界に存在するすべてのクジーも、灰色の髪の少女の駆るそれには到底及ばない。
特殊な遮断効果を持った塗装が血管のようなグロテクスさを映し出す両翼から、すれ違いざまに七つのシグマを放ち、そして急速に成層圏の遥か上に離脱した。
口の無いネヴィアがまるで悲痛に呻くかのような振動と共に右頭部、末端部位、そして中心部が根こそぎ空間ごと消滅し、塵となって消えた。
(コアは何処だ……? 順当にいけば頭部だが、これだけ消し飛ばしても掠った様子も無い)
膨れ上がる。膨張してそこをすぐさま埋め尽くすと、ネヴィアは反撃に出る。数数えきれない肢体で自らの数えきれない程の肢体を千切り取り、そしてアネモネに向かって投げつけた。
急速に加速するアネモネ。
接続デバイス内に発生した異常な慣性力に反重力子を発生させ相殺する。尾翼と空気が擦れ合い劇的な色合いが弾けて散った。叫び声をあげながらケルトは急激な回避行動に入った。
ネヴィアはその末端までもが構造が等しい。その言葉の意味は、コアによってエネルギーを供給されなくても同じ暴虐を行う事が出来るということだ。
肢体の一本が爆散する。そこから現れたのは半透明のフラクタル構造。末端が行うのはエネルギー総量を保ったままでの、効率的なクジーの破壊である。それは軟なものではなく、組み合わさった一本一本が必殺の威力を秘めている。
感覚を完全に覚醒させる。脊髄、膝の裏、鼓膜の中。その全てから眼球が生れ落ちる感触と共に、微細な視覚データを脳味噌にぶち込む。コアとの接続を過激なまでに上昇させる事でクジーだけが持つネヴィアとの共感覚、その唐突な存在に対する予見能力を上限までぶち上げる。
流動する意識が自我を食い荒らし、噛み締めた口の端から血が垂れ落ちる。機体と世界とケルトの挙げる轟音が、過敏になった聴覚を破壊した後に残ったのは完全なる静寂。集中力によって何十倍にも伸ばされた時間の地平線の上で、ケルトはアネモネと踊る事を選んだ。
右上方の肢体
爆散前に劣系の重力子の拡散で砕いた。
空間転移で直上に現れた肢体。
紙一重で伸びたハリガネモドキを急加速で置き去りにする。
アネモネを覆うように現れた小型のネヴィア
上下左右にデルタを拡散し、全て焼き尽くした。
吹き抜ける風のように全ての障害を焼き尽くして、その必殺の全てを掻い潜り、アネモネは地球の外へと飛び立った。後方に幾つもの鈍間なネヴィアの残骸を、間抜けなネヴィアの残存を引き連れて、ケルトはまるでピクニックをするかのように鼻歌を歌いながら、灰色の髪をかき上げた。
この劇場は彼女の一人芝居だ。そしてただスポットライトの上で圧倒するだけの詰まらない演劇に他ならない。それでも彼女は主役を張り、劇的なクライマックスを演出する為にここまで来た。
袖で口の端を拭い、世界の中心にいるかのように振り向きながら笑みを浮かべた。そして腕を張り上げ、スカーレットと独特のフォントで表示されたディスプレイを親指で横切る。
そして、カウントダウンが始まる。
世界が反転し、真紅に染まった。
地面を這い、腕を伸ばす。鳴り止まない警戒音と共に赤く染まるネルの廊下を、アムはただひたすら這い蹲りながら進んだ。
知らない体の一部の、知らない体の使い方が身についた肉体は歩くことさえままならず、当たり前のように動かそうとした知らない器官の存在が恭しくて、そして何より不愉快だった。
もし彼女が力を手に入れるのならば、脳味噌が書き換えられるぐらいの代償は喜んで支払うだろう。
もし彼女がネヴィアを殺す力を手に入れるのならば、歩けなくなる程度の身体の代償は喜んで支払うだろう。
だがこの瞬間彼女が動けない事が、彼女が何者でもなく、ただ後ろでケルトの活躍を見ているだけの存在に堕するのだけは、我慢がならなかった。彼女の生きた人生のこの瞬間で、力を握った自分がただケルトの後姿を期待しながら見るだけの存在に堕する事だけは、絶対に許してはならなかった。
剥がれ落ちそうな爪をした指先からは血が滴り落ち、クリーム色で統一された廊下の底に血の跡を付ける。等間隔に並んだ血の直線が過ぎ去った後に残る。
自分でもわからない。あの埃に塗れた瓦礫の上で、酸の匂いの充満する円筒の中で、自分を救い上げてくれた存在の暖かさが、手が触れた時に溢れ出た胸の鼓動が。あんなものは自分の弱さに他ならないと言い聞かせても、涙は止まってくれなかった。
思い出しては後悔した。期待しては裏切られた。その全てさえ乗り越えたとしても、また縋り付きたくなる自分の心が、他の何よりも一番憎くて仕方が無かった。
そして彼女の冒険は終わりに向かう。廊下の突き当たりの自動ドアがスライドした向こうは、幾つものモニターが並んだ大きな部屋で、何人もの人間が忙しそうに動き回るネルの最奥の中心。
その真ん中にある大きなディスプレイに表示されたそれは、崩れ落ちるネヴィア。それを見て誇らしげな横顔のケルトであった。
「お見事」
「邪魔だ」
ケルトはアネモネから抜き出された接続デバイスから飛び降りると、ニヤけた表情の女の横を駆け足で立ち去っていった。
勝利による喜悦の表情を浮かべた職員たちが通り過ぎるが、そんなものにはケルトは目もくれない。彼女が大切に思っているのは自分の思い出と、それさえを色褪せて見えてしまうような苛烈な存在だけだった。
宿舎に駆け込みエレベーターを押す。三階はパイロットの専属のフロアになっており、そこに着くまでに気の短いケルトは大変イライラさせられた。自分の部屋で伏しているだろうアムの元に私が一番に駆けつけなければいけない、不思議とそんな気持ちが胸の中を満たしている。
そこに残されていたのは散乱した家具と部屋の断片。そしてその中心に一人で立ち尽くし、世界の終わりみたいな顔をしたアムであった。
クリーム色の天井に、間接照明からは淡い黄色の光が漏れ出す一室。そこには窓がなくて、代わりに太陽を模した光が満ちている。
「ネヴィアは倒したよ」
「うん、知ってる」
先ほどまでクジーに乗った為か、ケルトの高まっていた気持ちが落ち着いていく。冷静になってやっと見えたものは、言いようもなく傷ついた少女だけだ。
「私が倒した、だからお前の出番は無かった」
「うん、知ってる」
ケルトはわかっている。守られてしまったこと、無理を通してまで戦わなかった事が、どれだけ彼女の思い出を踏みにじったのかを。彼女を彼女に至らしめているものをどれだけ揺さぶったのかを。この場で泣き出しそうだったのは、アムではなくケルトであった。
「これからも、いいやこれからずっと、私が倒し続ける」
「うん、知ってる」
だけど、ケルトも引くわけには行かない。これはケルトの意地だ。一度伸ばした手を引っ込めるという事は、彼女の沽券に関わる。意地とプライドで積み上げた自尊心だからこそ、激しく燃え上がる。
「これからもだ、これからもお前を守るよ」
「うん、知ってる」
でも嫌だ。そんなのはまっぴらだ。そうアムは呟いた。交差する強い視線。自らが背負う罪悪感による、代償行為の果てにある地平。先に目を逸らしたのはケルトで、正面から見続けていたのはアムだった。
そうやってケルトは手を伸ばした。年相応の華奢な手をアムに向かって差し出した。
冷たい指先。アムはそれを手に取ることがなかったし、手を取らないこともケルトは知っていた。