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日付と共に物語が動き出す

「ありがとう」


 無意識に発せられた言葉。アムはそう言って出て行こうとして、視界が空転した。シーツに手をついて捕まろうとしたが顔をベッドから正面にぶつかる事になった。

 部屋の中心に置かれた椅子に腰を掛け、タバコを吹かしていたケルトはそれを見ていた。そして立ち上がり、頭の中で疑問符が浮かぶアムの肩を掴み仰向けにすると、ゆっくりと頭を撫でた。


「まだ寝ていた方がいい。変質した脳味噌がまだ体に慣れてないのさ」

「変質って? どうにかなってしまったの?」

「ああ、お前はもうすっかりどうにかなったんだ」


 そう言って灰色の煙を吐き出して、フィルターまで灰になったタバコを灰皿で潰した。アムはここで自分が知らない場所にいるという事に気付いた。記憶が途切れる瞬間、忘却の片隅にある物を思い出した瞬間、情報の洪水が頭の中に流れ込んだ。


 蹲る。呻き声を上げながらベッドの中心で涙を流す。その様子をケルトは見ながら、ただ悲しそうな顔をしていた。涙と汗でボロボロになった顔を濡れタオルで拭うと、アムは少しだけ楽になった気がした


「大丈夫。この苦しみは一時的なものだ。自分の体の感覚を拡張している不愉快な成長。幻肢というものを聞いたことがあるか? 切り取られた手足がまだあるかのように感じるらしいが、今お前の体に起こっているのはその逆だ。新しい眼球が、得たいの知れない感覚器官が、そしてどんな形をしているかもわからないナニカが、お前の体にあると脳味噌が理解し始めたんだ」

「これが……? こんなのが……?」

「気をしっかり持て。慣れれば大した事ないし、クジーとの接続はもっと苦しい。三半規管がグチャグチャになるようなそれでも、まだまだ甘い方だ。理性なんて軽く吹き飛ぶような、そんな感じだ」


 だからこそ、無理はするなとケルトは言った。


 次第にアムは思い出していった。あの黒い棺の中で産声をあげるように助けを求めた手を握ったのは誰か。抱え上げてここまで運んできたのは誰か。


「ありがとう」


 実感と共に胸を満たすものがあった。頭がようやく動き始めて、感情を感覚の中で噛み締める事が出来るようになるにつれ、さっきまでとは違う所から流れ出た熱いものが頬を伝った。

 夢に見たあの瓦礫の上では誰も手を伸ばさなかった。あの瓦礫の上でも、あの瓦礫の上でも、誰も彼女に手を伸ばす人間はいなかった。


「でも私、乗らなきゃいけない」


 でも彼女は立ち上がらなければいけない。自分を生かすために死んだあの人たちの為に、自分が立ち上がらなかったから死んでいったあの人たちの為に。

 ヒーローに縋ってられる時間は、もう終わったのだから。


「お前みたいな子供が乗る必要は無い。私だけで十分だ」

「あなただって子供じゃない」

「お前よりは大人だ」


 目をむいて、震える掌をベッドについて、そして何度も無様に倒れこみながらも彼女は立ち上がろうとした。ここで言い返さなかったら彼女の大切な物が折れてしまう気がした。


「でも私は力を手に入れた。クジーは私を選んだ。だから私はネヴィアを殺すことが出来る! 私はこの手で、孤児院の腰抜けとは違う、私だけの力であいつらを殺す事が出来る! 子供だって見縊った連中や、家畜のように私を足蹴にした連中も! あいつらだって殺せるんだ!」

「全部私がやる。お前は何も出来ない。私が全部殺す」

「嫌だ! ふざけるな! 殺すのは私だ!」

「ダメだ」


 突然部屋の電気が赤黒く染まり、ネヴィアの出現を知らせる警戒音が鳴り響いた。空中に投射されたディスプレイに文字列が流れ、それに目をやったケルトが立ち去ろうとした。


「待って、私を連れていって」

「お前はそこで無様に倒れていろ」


 全員を救うのは私の役目だ。そう言いながらケルトは部屋を出た。灰色の髪を靡かせ、なんでもないことのように立ち去って消えて行った

 自動ドアのスライドと共に見えなくなったそれをアムは必死に追おうとして、さっきまでケルトが座ってた椅子に突っ込んで、そして臥せた。


「だめだ」


 だめだ。だめだ。これではあの腰抜けどもと一緒だ。体が動かなかったなんて言い訳を平然とした顔で言うあいつらと一緒だ。

 悔しさに震える手を床に叩きつけて感覚を取り戻した。足が動かないなら這ってでもいけばいい。手が動かないなら首から上があればいい。


 そうして彼女は動き出した。







 灰色の空をクジーが舞う。


 風よりも早く、音よりも早く飛び急ぐそれの姿は、一本の線のように黒く空を染めた。

 両翼より放たれた崩壊性のフレアによってネヴィアは一部を中心から捻じ切られるが、触手のように伸びた肢体に絡めとられて煙を上げながら堕ちて行く。

 これが六機目だった。


 そしてネヴィアは修復する。恐ろしい勢いで内部から肉が盛り上がって、元の自己相似系の無限の階層が復元される。

 そのネヴィアは未熟児のようであった。表皮は灰色に近い黒色をし、頭部を持ち、複数の肢体で頭部を抱え込むかのような姿勢で成層圏に浮遊している。体のどの部分も自己増殖を繰り返し、エネルギー保存則を反故した莫大な質量の発生により空間が歪みを獲得した。


 推測何千万トン、大きさは測定不能。観測するたびに大きさとその質量を飛躍的に増大させるそれは、無自覚に、そして無意識に行っているとしたらそれは、正しく人類の天敵に他ならないだろう。


「レベル3の堕胎型ネヴィアなんて普通のクジーじゃ羽虫みたいなもんだ。出すだけ無駄だ」

「あらあら、彼らが可哀想じゃない。私たちのために戦って死んでくれたのよぉ?」

「全部私が倒す。それでいいだろう」


 真紅の円筒がフェンスに囲まれたエレベーターに乗って上昇する。区画ごと運ぶそれは地上についた瞬間、けたたましい音と振動と共に外気に晒された。

 そこにあったのはひとつの戦闘機。漆黒に血管のように浮き出る血のような赤。垂直に切り立った尾翼が特徴の特異型クジー"アネモネ"

 尾底部分にぽっかりと穴を開けて、既に接続デバイスを挿入すればすぐにでも発射ができる様になっていた。


――――コネクト


 その瞬間視界が一変した。全方位の視野が脳味噌に叩き込まれる感覚。何度やっても慣れないそれをケルトは喉の奥で噛み殺した。胸に秘めた使命感。それが自分を奮い立たせる。


「早くアネモネに打ち込んでくれ。滾って仕方がないんだ」

「しょうがないわねぇ。でもあなたの事が好きだから、いくらでも我侭は聞いちゃうわ」

「気持ち悪い事を言うな。殺すぞ」

「あらあら、いやねぇ」


 接続デバイスと同じ色のパイロットスーツを体に密着させ、開ききった瞳孔とハイになった意識を操縦した。円筒の内壁には至る所にディスプレイのような画面が表示され、感知したすべてのデータが文字列として流れ続けた。


 意識の拡張は第一段階、そして特異型クジーの操縦には第二段階まで接続する必要がある。

 そして釘のようにアネモネの機体に打ち込まれた接続デバイスは、発熱と共に十全な動機を行い始めた。

 アネモネのホログラフィックに赤く表示された部分がひとつひとつグリーンに切り替わっていく。そして全部との同期が完了した瞬間。ケルトは目を開いた。


 第二段階。

 コアの悲鳴が聞こえた。自分という仲間を見つけて手を伸ばそうとして、そしてそれをグチャグチャにする事で動力を生むクジーへの怨嗟が聞こえた。寂しさに震える慟哭が頭の中に響いた。自分が自分の声で、自分じゃない意思の元で叫び声をあげる。


 悲鳴は接続デバイスの中を響き渡り、体中が震えた。自分が守らなきゃいけない人間の事の顔を一人一人思い出しながら悲痛な叫びを押さえ込む。

 威嚇、食われそうな自分を精一杯押し込む経過。その限界に至るまで喉の限り声を上げ、灰色の髪の少女は自分を取り戻した。


「おめでとう。どうやら今回も上手く行ったようね? 褒めてあげた方がいいかしら」

「お前はそこで一生ほざいていろ」


 最後部にポッカリと開いた穴に接続デバイスが挿入され、機体の色の中に解けて消えた。

 底部から車輪がせり出し、両翼からはゲージ粒子が黄緑色に瞬いてうねり声を出し、轟音を張り上げる。


「発射準備は出来ているわ、好きなタイミングで飛んで頂戴。ここらへんは特例法があるから、飛んでいるのは誰であろうと打ち落としてもいいわよ?」


 これ、規則で毎回言わなきゃいけないのよね。と軽くぼやいた後に、頑張ってねと手を振った。ケルトは舌打ちと共に通信を消した。

 深呼吸をする。自分の息にさっき吸った煙草の匂いが含まれている事に、少し安堵を覚えた。



 そして灰色の空にクジーは舞う。

 今度のそれは赤黒く、それを駆る少女は何よりも苛烈であった。




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