出会いと吐き気と血塗れの日
円筒状の漆黒を囲むように数人の人物がいた。数人の白衣をきた研究者は電算機に向かいながら複数のデータが表示されたディスプレイと向き合っている。眩しいぐらいに照明が付き、壁や地面を青白く染めていた。
一人は金髪を短く刈った少年で、アムたちを見ると人懐っこい笑みを浮かべながら会釈をした。
もう一人は壁のすみで踞りながら、しきりに何かを呟く美しい顔をした黒髪の少年だった。こちらのことなんて視野にも入ってないかのような素振りをして、指先を虚空に這わせて何かをしているように見えた。
「ここにいる子供がたちが特異型のパイロットなのだけれど……一人が足りないわねえ」
「他にもいるんですか?」
「そうよぉ。ケルトっていう、灰色の髪が綺麗な素敵な女の子なの。エースパイロットでとっても強くて、それでいて男勝りでカッコいいの。もう王子様みたい」
まるで自分のことのようにケルトの事を胸を張りながら話す女。最後に私はちょっと嫌われてるみたいだけどね、と苦笑しながら付け加えた。
「金髪の彼はオルランド、そして隅に座ってる彼はメメイ。仲良くしてね」
「はい。よろしく願いします」
金髪の少年は人懐っこい笑みを浮かべた。
「メメイもケルトもあんなんだし、始めて同じ立場の友達が出来て嬉しいよ」
「あ、私もパイロットがどんな人だろうって、少し心配でした……」
「心配要らないよ。特異型のパイロットはこんなのだけど、ノルの普通の人たちは良い人が多い。安心しなよ」
オルランドはアムに向かってしきりに笑顔で話しかけ、そのたびにアムは顔を赤くした。気軽に女性にこんな事を話すなんて、少し手が軽いのかなとも思いながら、彼女はこんなに親切にされる事に慣れてなかったので、どうしていいかわからなくなった。
「うんうん、交流は終わった後にしてね。それじゃあそろそろいいかしら?」
「はい、今すぐにでも」
その言葉に頷くと、アムは円筒の中心部に空いた穴に身を潜り込ませた。興味の無さそうにしていたメメイがこっちを見ていた気がしたが、もう一度見たらまた虚空に向かって話しかけていた。
ここに来る前に着替え終わっていたパイロットスーツによって、基本的な接続状態まではすぐにできるという説明を聞いてたので、じっとした状態で待機した。すると目の前に薄黄緑色のディスプレイが表示される。
機体のホログラフィックに固体名がエクレシアと表示されたそれは、同調のスタンバイ状態のものであるらしい。
接続デバイスの中はケーブルと得体の知れない機械のパーツが無軌道に継ぎ接ぎされ、その上にビニールが巻き付け垂れている状態で、お世辞にもここから運転が可能だとは思わなかった。
「うん、大丈夫よ。今は接続用にパーツがつけられているだけで、実際のクジーの中身はもっとスマートよ」
「あ……いえ、そういうことじゃなくて」
「ふふ、あなたわかりやすいわね。いいわねえ」
どうやら心配が顔に出てたみたいで、すぐに思ったことが出る自分のそれが恥ずかしくなった。
「ちょっと苦しいけれども、みんな経験することだし、パイロットはみんな経験することだからね。乗り越えなきゃいけない壁よ」
「アムちゃん! 気を強く保って!」
「それじゃあ接続するけれど、準備はいい?」
「はい!」
目を瞑り、歯を食いしばる。一番最初の同調が苦しいという話を聞いて知っていたので、亀のように小さくなりながらも必死に耐えようと思った。ディスプレイ上に高速で文字列が流れる。そしてその瞬間は訪れた。
最初に起こった変化は視界だった。360度の視覚外の視野。脊髄に生えた眼球が皮膚の中で蠢くような感触がした瞬間に、アムは嘔吐した。
もちろんそれは始まりにすぎない。擬似的な接続における感覚機関の拡張は、コアによる利益のほんの一部にすぎない。だがそれでも人類には容易く超えられる物ではなかった。
円筒の中でアムは助けを呼んだ。手や足を溺れているかのように動かして、胃酸に焼かれた喉からは声にもならない声が漏れ出た。脳味噌はガンガンと音を立てるぐらいに変質していき、体の感覚が塗り替えられる。そこには存在しない器官の感覚が膨れ上がり、そこに慣れない操作を加える事で体の中の不快感が膨れ上がり、弾けた。
吐瀉物の中で上げた産声に答えたのは一本の手。縋るように突き出された指に絡めた力強い体温に、引き上げられ、抱きしめられた。黒皮のブーツを円筒の縁にかけアムを救い上げたのは、灰色の髪をした少女だった。
エレベーターのドアが開くのと同時にケルトが目にしたのは、クソったれがクソったれな事をしている光景だった。
部屋の中心で棺のように横たわる同調デバイスの真ん中から、溺れるように手を出す栗色の毛をした少女。その光景を見ながら笑みを浮かべる女。傍らの男は諦めたような顔をしてそれを眺め、パイロット達は無関心そうな表情で見てさえもいない空間を、何かと何かがぶつかる音だけが甲高く響いていた。
誰も、動かない。その悲痛な光景に誰も手を差し伸べる事も無く、そして硬直と共に出来ない理由を並び立てるような、そんな不愉快な光景にケルトは一瞬も我慢が出来なかった。
「あら、遅くなったのね? 残念ながらもう始まっているし、貴方にできる事はもう何も無いわよ。今のうちに慰めの言葉を考えた方がいいんじゃない?」
舌打ちながら歩き出そうとするのを、ゲルニアは右手を彼女の前に出す事で制止した。
「彼女は今大切な儀式の最中なの。これを乗り越えられなければ、特異型のクジーには乗れない。彼女も相応の決意をしてここまで来ているのに、それを自分勝手に止めるのは許さないわ」
「儀式だって?玩具の間違いだろ」
それに私はヒーローで、そして特異型のクジーの乗るのは私だけで十分だ。そう言いながらゲルニアを思いっきり突き飛ばし、円筒の横に設置された測定器を蹴り飛ばした。
けたたましいアラーム音と共にシステムは緊急停止する。接続機能の喪失と共に自我を取り戻すという救出方法をケルトは知っていて行使した。余裕ぶっていた研究者の悲鳴をよそに、少女はアムを力づくで抱き上げた。
酷い光景。いや、誰だって最初はそうだった。涎と吐瀉物と涙でグチャグチャになった顔をハンカチで拭う。酸性の咽返るような匂いが鼻につく。混濁した意識の中薄目を開けるアムを、怒りを噛み殺したケルトが優しく撫でた。
アムの記憶はそこで途絶えて、そこからはケルトの時間であった。
アム・ネルサドラルの人生は常に一人だった。
全てを失う前の家族にも、そして全てを失ってしまった後の孤児院の人間にも。打ち明けられない秘密を持った彼女の心は酷く歪であり、そしてこの世界の誰よりも彼女は孤独だった。
彼女の在り方は異質だ。その異質さは次第に余裕の無い人間達の攻撃の対象となる。それを痛感したのはアスファルトの上で、殴打の痕と共に横たわっている時であった。
初めは言いがかりであった。自分がしていない事で一方的に責められ、そして何人もの子供達が集まって殴り続けた。石で、瓦礫で、鉄の棒で。無知は恐怖を煽り、孤立は被虐の愉悦を照らす。世界の誰からも見捨てられた子供達は、常に敗者を求めていた。
血と共に吐き出した悲鳴は誰の耳にも届かない。灰色に濁った空が涙で滲む。ネヴィアに届かない無力さと、そしてこんな子供の慰み者にしかならない自分の矮小さに、声にならない声は世界に響きすらしなかった。
救済を叫ぶ腕すら上げられない。この動悸は打ち付けられた体の上げる悲鳴なのか、それとも降り積もった悔しさなのか、それともその両方か。血に染まったアムにはもう何もわからなかった。
息をするたびに肺が痛む。冷たくて埃に塗れた空気をアムは泣きながら吸い込んで、そして激痛の中起き上がった。
この世界に味方はいない。ヒーローなんてものは存在しない。
錆付いた鉄柱を頼りに起き上がる。金属の冷たい感触が火照った指先に気持ちよく感じた。砂埃と泥が絡まった栗色の髪が眼前で僅かに揺れる。
そうだ、恐らくこれは同じような記憶だ。助けられなかったいくつもの出来事のうちの一つの、苦痛に悶えながらも立ち向かったその一つの物語だ。
「ふざけるな」
彼女は立ち上がらなければいけない。
叫んだ。声にならない声を張り叫びながら、笑う膝に渇を入れて立ち上がった。苦痛に歪む視界を気合で捻じ伏せ、石くれを足蹴にして立ち上がった。
「ふざけるな! ふざけるな! ふざけるな! 何故私がこんな目にあわなければならない! 何で、何で私だけがこんな目に会わなければならない!」
あらん限りの慟哭がその場を支配する。そこにあるのは何でもない日常だったものの残骸と、壊れきった彼女だけだった。涙を流しても何も変わらないという事は知っていたし、小手先の抵抗ではむしろもっと酷い目に遭うという事を聡い彼女は知っていた。
この時が彼女の始まりだった。彼女が壊れていく最初の出来事で、壊れていった彼女が覚えている最初の記憶だった。
時間が巡り、アムは目を覚ます。最初に目に入ったのはクリーム色の天井で、淡い黄色の間接照明が無機質な部屋を照らし出していた。