パチンコ
突然だが、最近自分タイムが長くなっているような気がしてならない。
マンガ、テレビ、ラジオ、ゲーム、パチンコと上げてみてこの中で遊ぶ時お金がかかるのは?と考えた時、答えはパチンコである。パチンコの歴史もそこそこ長く薀蓄を語っても良いのだが、死とは全く関係無いので止めにする。
パチンコ、かつては庶民の娯楽と言われていた。お爺ちゃん、お祖母ちゃんが年金から少しお金を出すだけで一日中遊べた。時間の浪費だと言う人もいるだろうが楽しいのだからしょうがない。全然関係無いかもしれないが、犬好きの人が犬を毎日散歩に連れて行くように、毎日店に通ってあの台出そうとか昨日コテンパンにやられちゃったよ、みたいな一種のコミュニケーションのツールなのだ。それは老人ホーム等にパチンコ台を呆け防止の為に置いてあるように
確かな根拠のある有意義な時間なのだ。
僕はもう十七年もパチンコ・パチスロを愉しんでいる。書きたくないがサラ金から借金した事もある。ここまで飽きないというのも凄い娯楽だ。一時遊技人口は3千万人近くだった事があった。4人に1人は経験があるのだ。
で何がメメントモリなの?と思われるかもしれないが、パチンコと死には少なからず関係が無い事もない。ストレスの問題だ。パチンコをやっている時は何も考えなくても良い。
当たってーくらいで良い。大当たりすればドーパミンが出て気持ち良い。
基本的に1人でやる遊戯であるという点も死とは無関係ではないと思う。
今回は生きている上で時間をどう使うかに重点を置いたので死の考察は次回があれば次回に。
つづく(かもしれない)